「95%大丈夫」の診断から1週間で急転直下…57歳・人気モデルが明かす「39歳・乳がん宣告」と5年間の過酷な闘病
18年前、39歳のときに乳がんが見つかったモデルの園田マイコさん。母も乳がんだったためセルフチェックを続け、小さなしこりに気づいたものの、初診では「95%良性」と言われたという。ところが乳がんと判明。子ども、入院中の母の看病、仕事……。突然の告知に揺れながら、病気と向き合った日々を振り返る。
【写真】抗がん剤の副作用による脱毛を経て、自らスキンヘッドにしたモデルの園田さん
安心から1週間で急転直下のがん宣告
「宣告されたときは、全てを失うんだと目の前が真っ暗になりました。でも、治療を終えた今では、がんになってもできることはたくさんあると思っています」
と語るのは、モデルの園田マイコさん(57)。2008年、39歳で乳がんと診断され、40歳のときに闘病経験を綴った著書『モデル、40歳。乳がん1年生。』を出版。鮮烈な印象を残したスキンヘッド姿を記憶している人も多いかもしれない。異変に気づいたきっかけは、入浴時のセルフチェックだったという。
「母が乳がんだったので、遺伝の不安から定期的に胸を触ってチェックしていたんです。それがある日、左胸の乳頭の下あたりにコリッとした硬いものがあることに気づいて。とりあえずかかりつけの婦人科に行きました」(園田さん、以下同)
婦人科で乳腺科を紹介され、検査を受けることに。
「もやもやしながらマンモグラフィーと針生検を受けたのですが、検査の後に先生が“おそらく良性。95%大丈夫だと思う”とおっしゃっていたので、胸をなで下ろしました」
しかし、1週間後に告げられた結果は、乳がん。
「良性だと思っていたので、まさかの展開に頭の中が真っ白になってしまって。先生が病状や今後の治療方針などをお話しされていましたが、まったく耳に入ってきませんでした。
ふとわれに返ったときに“乳房を全摘出する必要がある。抗がん剤も……”という言葉だけが聞こえましたが、そのときは“とにかく早くここから逃げ出したい”としか感じませんでした」
やっとの思いで診察室を出て会計を済ませ、外に出たところで感情が爆発。涙があふれてきたという。
「もう泣くことしかできなくて。息子のこと、母のこと、仕事のこと、お金のこともどうしよう……ぐるぐると考えてしまいました」
当時、園田さんは離婚して、中学生の息子との二人暮らし。また、母は乳がんから転移した脳腫瘍の治療のため入院中だった。元夫に電話で検査結果を報告すると、息子には自分から伝えると言ってくれた。
「当時、息子は中学2年生で反抗期でした。でもひとしきり泣いて、少し落ち着いてから家に戻ると、元夫からすでに聞いていたらしく、“サポートするから大丈夫。一緒に闘っていこう”と言ってくれて。それを聞いて、この子のためにも死ねない。闘おうと思いました」
サードオピニオンで温存治療が決定
しかし、乳房全摘出となると、モデルの仕事への影響も不安が募る。
「そのときはまだ乳房同時再建術についてもよく知らなかったので、片方の胸を失ったら、バランスが悪くなって服もきれいに着こなせない。全てを失ってしまう……と打ちひしがれていました」
そんななか、マネージャーからのすすめでセカンドオピニオンを受けることに。
「2番目の病院でも、治療方針はやはり全摘出でした。患者に寄り添ってくれる優しい先生でしたし、そのままお願いしようかとも思ったのですが、ご縁があってまた別の方からサードオピニオンの先生を紹介していただき、行ってみることにしました」
改めて検査をした結果、ここで初めて別の治療法が提案される。
「“この状態なら、乳房温存でも全摘出でもリスクは変わらない。それなら負担の少ない温存手術でいきましょう”と。びっくりでした。実はこのサードオピニオンに行くまでの間に、乳がんの先輩方に話を聞く機会があったんです。
そこでは、全摘し、乳房再建している方、していない方、どちらもいらっしゃいましたが、皆さんとても元気で。そんな姿を見て、将来的に全摘が必要だったらそうしようと、自分自身納得していたんです。
なので、予想外の言葉に驚きとうれしさが入り交じっていましたね。リスクについても確認のうえ、結局3つ目の病院で温存手術を受けることに決めました」
最初の診断から3か月ほど。目まぐるしく状況が変わる日々だったが、結果的にサードオピニオンまで受けてよかった、と振り返る。
そしていよいよ治療がスタート。がんのステージは1だったが、温存手術後に抗がん剤を4クール、並行して放射線治療、分子標的治療を1年、さらにホルモン療法を受け、治療期間は5年に及んだ。
「治療中は、抗がん剤のときに味覚障害や倦怠感などの副作用がありました。2回目には脱毛も始まって……。覚悟はしていましたが、最初にゴソッと髪が抜けたときはやはり切なかったですね」
ホルモン療法では、手のこわばりや関節痛、ホットフラッシュなど、更年期障害のような症状が次々現れたそう。
「ホルモンバランスの崩れで、ひどく落ち込んでしまうこともありましたが、乳がんのイベントで出会った女性医師から“いずれ来る更年期が少し早く来たと思えばいい”と声をかけていただいて、少し気持ちが楽になりました」
“決して一人じゃない”頼ることを恐れない
そしてなにより、治療中の心の支えになったのは息子の存在。
「それまで何もしなかった息子が、家のことを手伝ってくれて助かりました。お風呂で歌っている鼻歌がヘタクソだったり(笑)、ちょっとしたことで笑わせてくれる彼の存在に、心が休まりました」
続けられるか心配していた仕事も、抗がん剤治療の途中から再開。
「自分の体調変化のペースがわかってきたので、投与1、2週間後の体調が戻る期間に撮影を入れてもらいました。撮影している間は自分ががん患者ということを忘れられるので、いい気分転換になりました。私のためにウィッグを作ってくれたクライアントさんもいて、本当にありがたかったです」
手術から10年がたった2019年には経過観察の通院も終了。治療終了から数えると今年で7年になる。 現在意識しているのは、心にゆとりのある生活だ。
「食事の内容にこだわるよりも、ストレスのない生活環境を大切にしています。自然の中にいると、心が解放されて落ち着くので、最近はパートナーとキャンプに行くようになりました」
がん患者に向けた活動も精力的に行っている。
「私ががんを経験して変わったのは、人に頼れるようになったこと。以前は、なんでも自分でやるほうが早いと思っていましたが、本当にしんどいときは一人でできなかったので、お願いしてみたら、みんな快く受けてくれて。
時には人に頼ることも大事なんだなと。だから、周囲でがんへの不安を抱えている人には必ず“一人じゃないよ”と伝えるようにしています。大変な時期を乗り越えると、その先に新しい出会いなど、いろんなものがありますから。私自身も今、すごく充実感を感じています」
取材・文/當間優子
18歳のときにモデルデビューし、「LOEWE」「クロエ」「FENDI」などのファッションショーに出演。現在は雑誌、テレビなど幅広いメディアで活躍。ピンクリボン運動の講演活動なども行っている。
週刊女性2026年10月13日号
