「ロードを歌う意味が変わった」被災者支援を続ける高橋ジョージが胸に刻む、東日本大震災で両親を喪った“少女の言葉”
2011年3月11日に起きた、東日本大震災。宮城県出身、THE虎舞竜のボーカリスト・高橋ジョージ(68)は、震災直後から東北各地の避難所や駐車場でギター一本の弾き語りを続けてきた。あれから15年。当時、家族を失ったひとりの少女から告げられたひとことが、代表曲『ロード』(1993年発売)の意味を大きく変えたという。震災15年の節目に、高橋が語った。(前後編の後編)
【画像】被災地での出来事を話すと思わず目をうるませた高橋ジョージ
被災地で歌い続けて15年「見てくれの支援でも、何もしないより全然いい」
「震災の後、青森の田老町から福島のいわき市のあたりまで何箇所か歌って回ったんです。『何時何分に、どこどこの駐車場で歌います』ってチラシを貼って告知して、来てくれた人の前で。多いときで50人から100人くらい、少ない時は本当に10人、20人くらいの前で、ギター1本で歌う。15年間コツコツと続けて来た」(高橋、以下同)
高橋の出身地である宮城県栗原市は、2008年の岩手・宮城内陸地震に続いての被災だった。高橋自身も心に深い痛みを感じながらの行動である。
大きな会場でのチャリティーコンサートではなく、あくまで小さな輪の中で歌う。それには理由があったという。
「避難所にいる人はみんな、テレビもつけてないんですよ。もうPTSDとかトラウマを抱えている状態で、津波の映像なんて見られないから。そんな痛みを抱えている人たちの前で、俺の歌のためにわざわざステージを作って、歌うのって邪魔じゃないかと思って。
そっとしておいてほしい、今は何も手につかない、そういう人だっている。だから来られる人だけ、来てくださいっていうやり方でずっと回らせてもらったんです」
著名人が炊き出しやボランティアに参加する姿がメディアで報じられることについても、高橋は複雑な思いを抱えていたという。
「有名な人が来て、みんなでワーッと集まるのを見て、『偽善だ』とか言う人もいるじゃないですか。でも俺は、それでもいいと思うんですよ。見てくれの支援でも、何もしないより全然いい。ただ、俺にはそういう、沢山の人を束ねる力はないから。俺なりの支援を実行したんですね」
折を見ては東京から被災地に訪れ、ミニライブを行なっていた。
2012年、震災から1年後。被災地で高橋を待っていた中学生の女の子がいた。
「最高の財産だった」被災者の声で気づいた『ロード』の真価
「一番前でずっと俺が出てくるのを待ってて、ギター弾き始めたら、もう歌う前から泣いてたんだよね。『ロード』を歌ったら、わーっと泣いて。俺の歌なんて、彼女がリアルタイムで知ってるはずないんですよ。まだ生まれる前のヒット曲だから、何でだろうってずっと気になってて」
歌い終えたあと、駆け寄ってきた少女は「この歌をずっと歌い続けてください」と告げた。震災当時、彼女は中学1年生だったという。
「震災が起きる前は、家で毎日、両親が言い争いをしていたそうなんです。『帰りたくない』って思うくらいの家庭だったと。それが震災当日、図書館から避難所に連れていかれ、1週間後に、お父さんとお母さん、妹のご遺体と対面することになった。それからしばらく、何が起きたのかも分からずパニックだったって言ってましたね」
避難所で、誰かがつけていたラジオから流れてきたのが『ロード』だった。
「『何、この歌』って思ったのが最初だったみたいです。それで、俺が被災地を回って歌ってるらしいって噂を聞いて、来るのをずっと待っててくれたそうなんですね」
少女は高橋にこう続けた。
「震災の前夜も、うるさい両親に口ごたえをして、翌朝もろくに口をきかずに登校したと。あの日々が幸せだったかどうかはわからない。でも、あれが家族だったんだ、って。私みたいな思いの人はいっぱいいるはず、だって」
14歳の少女の重い言葉を思い出した高橋は、目をうるませた。
「俺は、とんでもない曲を作ってしまっていたんだな、と思いましたね」
同じ現場に、もうひとり印象的な人物がいたという。
「自分で持ってきた腰かけに座って、ずっと聴いてくれてたおばあちゃんがいて。85、6歳くらいだったかな。歌い終わったら『この曲、いい曲ね。売れるよ』って言うんですよ。『ロード』がもう(当時で)20年近く前に220万枚以上売れた曲だってことも知らずに、まるで初めて聴いたみたいな顔で」
中学生の「もっと歌ってほしい」という涙と、おばあちゃんの「この曲、売れるよ」という無邪気な感想。ふたつが同じ日、同じ場所で重なったことが、高橋にとって決定的な出来事になったという。
「ヒットして何億円入ったとか、そういう話とはまったく別の、最高の財産だったと気づいたんです。俺としては一周も二周も回ったネタっていうか、世間としても、もう終わった曲だと思われてたのに」
「『ロード』を超えるものは、作れない」
そもそも『ロード』は、ロックバンドであるTHE虎舞竜の曲のなかでは珍しいバラード曲だった。有線放送から火がつき、大ヒット曲となったわけだが、ライブで演奏すると「シーンとなっちゃうほど盛り上がらない曲だったので封印していたくらい」だったという。
「でもさ、こうやって誰かの心を動かすことができる。売れた曲だなんて知らなかった人の力にもなれる。『ロード』を超えるものは、作れない。でも、それでいい」
東日本大震災から15年。高橋のもとには今も、各地の被災地で『ロード』を聴いたという人からの連絡が届くという。
公私共に数々の困難を越えてきた高橋が、いま音楽を通じて伝えたいメッセージとは何か。
「難しいことじゃなくて、ラブ&ピース。それだけなんですよ。人に寄り添うことができて、それが一番幸せだと思うんです。誰かを励ませるなら、それでいい。俺は特別なことなんて何もしてない。ただ歌い続けているだけ。一生、そのために歌いたい。みんな、毎日を一生懸命生きてほしい。それに尽きますね」
来年、69歳を迎える高橋。ますますロック(69)に生きる準備はできている。
(前編はこちら)
取材・文/木原みぎわ
(撮影/佐藤靖彦)
