「中国人を一生やっていくのは大変なことだ」大物中国ウォッチャーが回想した、最も心に残った言葉の意味
大物中国ウォッチャーが語る「身の上話」
秋雨前線が停滞し、驟雨がしのつく昼時。講談社近くの和食屋に現れた「姉御」は、着席するなり店員に告げた。
「生ビール下さい!」
古稀をとっくに過ぎた心身を感じさせない貫禄だ。
大先輩の「中国ウォッチャー」譚璐美さんが「来日」した。日本の華僑社会で知らぬ者はいない革命家・外交官の譚覚真の娘(母は日本の陸軍中将の娘)で、長くニューヨーク暮らしをしている。
日本で生まれ育った譚さんは、台湾系の東京中華学校と中国系の横浜山手中華学校の出身で、慶応大学を卒業後に中国専門のノンフィクション作家となった。
天安門事件から3年後の'92年に弊社から出した『柴玲の見た夢 天安門の炎は消えず』が話題を呼んだ。同じく天安門事件で中国に目覚めた私は、貪り読んだものだ。その後、知己を得てはや30年近くが経つ。
二人で会えばいつでも中国話に談論風発。だが今回は、姉御が珍しく身の上話をした。
「宋慶齢」の秘書への勧誘
10年前に名著『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社)を上梓し、今年、新書判(白水Uブックス)になった。その巻末に初めて「自身の歴史」を少し綴っていたことを、私が指摘した時だった。
「実は本に書いてないこともたくさんあるの。私、宋慶齢の秘書にならないかって誘われたのよ」
「えっ、何ですって⁉」
宋慶齢(1893~1981年)は「革命の父」孫文の夫人で、'49年の新中国建国後は家族と決別し、中国大陸に残って国家副主席を務めた。
「あれはまだ日中国交正常化前の'65年頃のこと。宋慶齢の甥っ子が、たびたび北京から横浜の自宅に遊びに来て、父と話し込んでいたの。父は孫文の講演の記録係を務めたこともあったから。
私はそのおじさんに気に入られて、『秘書と言っても(宋慶齢に)新聞を読んであげたりするくらいだ。何年か務めたらアメリカに留学させてあげよう』と口説かれたわ。もしあの時、北京に行っていたら、私の人生も変わっていたでしょうね」
天真爛漫とした表情で語る。少女気分に戻ったのか、昔話を続けた。
心に残った「中国人のホンネ」
「私は小6で、蔣介石の肖像画が飾ってある学校から毛沢東の肖像画が飾ってある学校に転校したの。でも立場が正反対のようでいて、実は瓜二つだった。大人の世界ってウソっぽいと思ったわ」
私は最後に訊ねた。「これまで数多くの中国人を取材してきて、心に残っている言葉は?」
姉御は一転して、顔を曇らせてつぶやいた。
「『中国人を一生やっていくのは大変なことだ』ー中国にルーツがある人間でないと理解できないホンネだわ」
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「週刊現代」2026年10月12日号より
