フランスで大炎上「AIで書いた小説」が文学賞の候補作に浮上 文学界を揺るがす大問題に発展していた

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日本では最近、文学賞への応募作にAI製の作品が急増して、審査員をはじめ主催者側が対応に苦慮している。が、それは万国共通の現象かもしれない。

今年5月には、イギリスのコモンウエルス財団が主催する短編文学賞を受賞した「The Serpant in the Glove(手袋の中の蛇)」という作品が、読者や評論家などから「表現がいかにもAIのようだ」と指摘されSNS上で炎上した。

9月にはフランスで最も権威のある「ゴンクール賞」の候補作に残った「C'etait ca ou mourir(それか死ぬかだった)」という作品が、SNSの匿名アカウントから「AI製ではないか」と指摘された。さらに複数のAI検出ツールによって「AI製である」と判定された結果、ゴンクール賞の選考委員会は「賞の名誉を守るため」という理由で同作品を候補作から除外した。

いずれのケースでも、これら疑惑の作品を著した作家自身は「AIを使っていない」と主張している。ただ、以前と違って現在では「Pangram(パングラム)」など非常に高精度のAI検出ツールが存在する。

英仏で物議を醸した両作品とも、そうした高精度のAI検出ツールによって「黒(くろ)」と判定されたことから、恐らく「AI製」ないしは「AIに相当頼って書かれた作品」ではないか、と見られている。

編集者も審査員も騙された

ただ、今年5月(イギリス)と同9月(フランス)のケースでは異なる点もある。

それは前者が未発表の作品を対象とした文学新人賞であるのに対し、後者は既に出版された長編小説を対象にした文学賞(ゴンクール賞)であるということだ。恐らくは、後者の方が(そのAI利用に対する)社会的な批判は厳しくなるだろう。

今回の騒動が起きる前、(前掲の)「C'etait ca ou mourir(それか死ぬかだった)」という作品はカナダとフランス両国で出版され好評を博した。

特にフランスでは3万5000部以上と好調な売り上げを記録し、ゴンクール賞に先立って別の文学賞「Prix du Roman Fnac(フナック小説賞)」を受賞していた。

つまりプロの編集者が「これは出版に値する作品だ」と判断して書籍化し、権威ある文学賞の選考委員らも高く評価した作品が「実はAI製だった」と判定されたわけだ。このため読者(文学ファン)の間で「編集者や審査員達の目は節穴か?」と批判されるなど、フランス出版界の権威を揺るがす大問題になっている。

因みに、この作品を書いた作家Thelyson Orelien氏は元々、カリブ海の島国ハイチに生まれ、そこからカナダに渡った移民だ。「AI利用」で物議を醸した同作品は、そうしたハイチ移民の苦難を描いた作品だという。

この作品(長編小説)は元々フランス語で書かれているが、最初カナダのケベック州(フランス語圏)で出版され、そこでの売上が好調であったことからフランスでも出版の運びとなり、同国でも高い評判を得た。だからこそ、フランスの文学賞(Prix du Roman Fnac)を受賞したり、それとは別の文学賞(ゴンクール賞)の候補作に上ったりしたわけだ。

文学作品をAIで書いて何が悪いのか

同作の著者Orelien氏やそれを世に出した出版社などは今、社会的に激しい非難を浴びているが、一部には彼らを擁護する向きもある。フランスの某批評家は「 文学作品の価値は創作過程にあるのではない。重要なのは『最終的に出来上がった作品が良いかどうか』だけだ」と述べている。

つまり「小説を執筆する過程でAIを使おうと使うまいと、作品のクォリティが高ければ何の問題もない(プロセスよりも結果が重要だ)」という意見だが、確かに一理ある。

実際、当該の「C'etait ca ou mourir」という作品はカナダやフランスで小説部門の週間売上1位にランクされるなど、かなりよく売れた。その上、幾つかの文学賞の候補作に上ったり、実際に受賞したりしている以上、そのクォリティはある程度まで保証された、と見ることもできるかもしれない。

仮にそうだとすれば、(前述のように)「AI作品に賞を授与する選考委員の目は節穴か?」と批判する世間の方が本来おかしいのであって、たとえAI作品でもそれを差別することなく(と言うか、実際にはAI製と知らなかっただけだが)文学賞を授与した審査員の判断はむしろ「英断だった」ということになろう。

結果よりもプロセスが大事

しかし実際には、そうした見解はあくまで少数派に止まっている。大多数の読者や批評家らは「文学は本来、人間がやるものだ」という意見で一致しているのだ。

と言うのも、小説など文学作品は本来、著者(という人間)が「これを誰かに伝えたい」「表現せずにはいられない」という内的欲求に突き動かされて書いているからだ。

それこそが文学だとすれば、逆にそうした内的欲求(心)を持たないAIが「単に出力(生成)した」だけの「小説」は本来の小説とは言えない。つまり結果よりもプロセスが問題なのだ。

【後編】→「これはAI製では?」フランスで文学賞候補作が大批判…ヒット小説をめぐり「読者を騙した」の声が続出

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