「究極の分散」でリスク管理も…インデックス投資家が差し出している〈代償〉
市場指数(インデックス)との連動を目指すインデックス運用は、長期投資における魅力的な選択肢の一つと言えるでしょう。しかし、市場を機械的になぞるだけの「コピー品」にすべてを委ねてしまうと、株価急落などの危機的状況で致命的な弱点を露呈すると著者は語ります。本記事では、リチャード・ケイ氏の著書『日本株を買う外国人 外国株を買う日本人』(星海社)より一部を抜粋・再編集し、株式市場で生き残るために〈不可欠なもの〉について解説します。
インデックス運用は、市場を機械的になぞった「コピー品」
インデックス運用とは、全世界株式の株価指数や日経平均株価等のベンチマークに連動することを目指す運用ですね。そうした運用で目標とされる完成形は、ベンチマークにピッタリと連動するようにつくられたポートフォリオです。
それは言わば「コピー品」です。目指すべきポートフォリオにどれだけ近くコピーできたか、それ次第で完成度を評価されます。インデックス運用を選択してあなたが得る資産は、誰かの意志が宿った「作品」ではなく、市場という巨大な現象を機械的になぞった精緻な「コピー」です。
どれだけ忠実にコピーできたか否かを、運用に携わるファンドマネージャーたちは競っています。AIが存在感を増していくなかで、こうした運用をAIが担う面がドンドンと増すものと想像されますが、いずれにしても、どれだけ上手にコピーできているか、という目標、完成形そのものは何も変わりません。
そして、この「コピー」という作業は、本質的に「速さ」を宿命づけられています。なぜなら、ベンチマークである「目標値(株価指数)」の構成は、刻一刻と変化し続けるからです。
指数の構成銘柄や組入れ比率に変更・変動が生じた際には、それに遅れまいと、コピー(ポートフォリオ)も迅速に中身を入れ替え、比率を調整し続けなければ、完成形からのズレ(トラッキングエラー)が生じてしまいます。
個々の企業を観察し、それをもとに対話し、納得を深めるための「のろま」なプロセスは、当然、一切必要とされません。というよりも、それらは無駄なこと、余計なことでしかありません。ただ必要なのは、変化する正解をいかに速く、正確にトレースするかという、機械的なスピードです。
この連動の「速さ」を追求するのに、人間が邪魔になりAIへの依存が高まるのは必然です。新幹線や自動車での高速移動では、その道中の風景をしっかりと観察することは求められていません。なるだけ早く目的地に着くこと、それが何よりも優先されるべきことです。
インデックス運用で拠り所になるのは、株価です。コピーを高速で繰り返していますが、その視線は、株価という「すでに起きたこと(過去)」にのみ向けられています。この先、どのような未来が待っているか、それが考慮されることはありません。
個々の企業が営む事業内容、そこではたらく人たちに一瞥もせず、未来への想像等は徹底的に省き、ベンチマークそっくりの「コピー品」をただひたすら積み上げようとするのがインデックス運用なのです。
株価暴落時の行動を決定づける「信仰」
「信仰」という言葉に違和感を持たれた読者もいらっしゃることと思います。ここで申し上げる「信仰」は、対象にすべてを委ねるようなものではありません。
じっくりと時間をかけた観察、それをもとにした分析や洞察、そして判断に自信を持つ、という意味です。その後も続けた観察等の過程で自分の判断への自信が揺らぐようであれば、その「信仰」は終わります。
世界経済の成長をひたすら信じるという「信仰」は、他者、外部を信じるものです。私がここでいう「信仰」は、対照的に、自分自身で観察し、見出したモノを自ら信じるか、を問うています。自分自身の観察、判断に深く納得できているかが、私にとっての「信仰」の唯一の問いになるのです。
この「信仰」の有無が、株価急落の局面、株式市況が軟調になる地合いでの投資判断、行動に大きな違いとしてあらわれる可能性があります。また、その企業がこれからつくろうとしている価値に対して、市場からの評価が分かれている、とりわけ、その潜在的な価値に懐疑的な際にも大きな違いとなってあらわれることがあります。
じっくりと時間をかけた観察、それをもとにした分析、洞察を拠り所にして徐々に築きあげた「信仰」があれば、その対象の市場からの評価に対して冷静な対応ができる可能性が高いものです。「信仰」に揺らぐところが無ければ、市場がその潜在的な可能性を認識できていない段階で割安な評価に乗じた追加投資に踏み切ることすらできることでしょう。ここが「のろま」な投資の真骨頂と考えています。
逆に「速さ」を追求する運用の場合、どうでしょうか。投資先の会社の事業内容はわからない、その事業がどんな価値を実現しているのかもわからない、それらの要素にそれまで何ら関心を寄せていない場合、世界経済の成長に対する「信仰」が揺らぐ可能性が高い、場合によっては狼狽売りに駆り立てられる可能性すらあるものと想像します。
「信仰」の拠り所が自分のプロセスにあるのか、外部(の意見や雰囲気)にあるのか、で困難な環境での対応、判断、行動が大きく変わる、というのが私の見方です。
インデックス運用に対する「3つの疑問」
しかし、結局、パフォーマンスの面では、インデックス運用が勝るのでは?
統計上のリターンがいかに優秀であっても、市況の急変時に「信仰」が打ち砕かれ、途中で退場してしまった投資家には現金だけが戻ってきます。のろまな投資家が目指すのは、机上のシミュレーションではありません。しっかりとしたプロセスを通じて築いた「信仰」がもたらすリターンです。
深い納得、信頼を「信仰」にまで至らしめるだけの手触りがあるからこそ、暴落などの急変を「買い増しの好機」と捉えることができる。この実践でのリターン獲得の可能性の高さこそが、本当のパフォーマンスではないでしょうか。
インデックス運用のアクティブ運用に対する勝率そのものは輝かしく見えるかもしれません。しかし、その輝かしい数値は市況の急変にも狼狽しなかった生存者だけに与えられる報酬です。「信仰」を外注してしまうと、外部(市場)が荒れた瞬間に「信じる根拠」を失いかねません。数値としての優位性よりも「生存確率の優位性」こそが、資産形成においては決定的な差になるのです。
パフォーマンスとは単なる数字の比較ではなく「あなたが最後までその資産をその期間、保有していられるか」という実行力、実践の関数であることを重々ご理解いただきたいと思います。
幅広い分散投資のほうが、資産を毀損させる可能性を減らせるのでは?
分散投資の保険の代償として、私たちは何を差し出しているのでしょうか。それは、「対象を深く理解し、自らの眼を養うという、人間だけが持つ特権」です。
インデックス運用による究極の分散は、「自分には本質を見抜く眼など養えるはずがない」という自分自身に対する諦め、あるいは「間違えて傷つきたくない」という防衛本能が前提になっています。リスクを管理しているようでいて、実は、自分の「観察する力」や「思考する力」の可能性を信じること、その努力そのものを放棄してしまっているようにも見えます。
自分の眼を信じられるようになった投資家にとって、もはや「中身のわからない千本の木」でできた巨大な森を持つ必要はありません。丹念に選び抜き、十分に納得できる数本と共に歩むこと。その「理解に基づいた集中」、そして、そのための不断の積み重ねのプロセスこそが、結果として、統計的な机上の分散よりもあなたを強く守る「資産」になるのです。
もちろん、投資対象を大幅に絞り込むことはリスクを伴います。しかし、のろまな投資家にとっての「集中」とは、行き当たりばったりのギャンブルではありません。それは、じっくりと時間をかけた観察、分析、そこからの洞察をもとに「リスクの所在がどこにあるかが見えている」状態です。
広く薄くリスクを取ってはいるものの真に向き合っていないのなら、見えるリスクを数社でコントロールする方が、真の意味で安全である-- 。この逆説を受け入れられるかどうか、それも一つの信仰でしょう。
ゆったりと時間をかけて成果が上がらない場合、タイパが悪すぎないか?
株式投資を「目的地(富)へ最短で運んでもらうサービス」と認識している人にとって、わざわざ自分の足で歩く時間は、確かに無駄なコストにしか見えないでしょう。1分1秒を惜しみ、効率を競う世界では「(のろまに)歩く」という選択肢はあり得ないからです。
しかし、株式投資を「自分の足で歩く力を養いつつ、未完成を楽しむ営み」だと捉える投資家にとって、将来性ある苗木を探し求め、じっと観察する時間は、人生の質そのものを高めてくれる極めて貴重な体験です。
自分の眼で価値を見極め、腹の底から納得して動く。このプロセスで得られる知恵や「信仰」は、相場の好不調に左右されることのない、一生誰からも奪われることのないあなただけの『非財務資産』となります。
タイパとは、単なる「時間の短縮」ではありません。その時間を投じたことで、「自分の人生の資産」の幅、深さや奥行きをどれだけ広げられたか、です。
そうした視点を持つことができたとき、のろまな投資は、単なる資産形成の手段を超え、あなたの人生において独自の、かけがえのない資産として積み上がっていくのです。
人それぞれではありますが、こうしたプロセスを真摯に積み上げていくことで、数十年後には、金銭的に換算可能な資産の時価よりも遥かに眩しい輝きを放つ資産になっているかもしれません。そんな未来を信じられるかどうか、それも信仰ですね。
「コピー品」を選ぶか、自らの眼で選んだ「作品」を選ぶか
あえて繰り返し強調しておきますが、インデックス運用を否定する意図は一切ありません。資産運用の手段としての有効性は認めています。
重要なのは、この運用にすべてを賭けてしまう意味を、一度立ち止まって考えてみることです。インデックス運用への信仰を打ち立てる前に、ここまで述べてきた論点をじっくりと検討してみる価値があるのではないか、というのが私からの提案です。
効率を突き詰め、感情を排した「コピー」の集積を選ぶのか。それとも、不器用でも自らの眼で観察し、納得を積み上げる「作品」としての投資を選ぶのか。
もちろん、何を信じるのかはあなた自身が決断するべきことです。
リチャード・ケイ
コムジェスト
ファンド・マネージャー

