(※写真はイメージです/PIXTA)

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定年を迎えたら長年の労働から解放され、悠々自適な老後を過ごしたいと願うシニア層は少なくありません。しかし、企業規模による退職金の支給格差や、公的年金だけでは賄いきれない生活コストといった現実から、定年直後の完全リタイアは容易ではないのが現状です。事例を見ていきましょう。※事例の人物名はすべて仮名です。

定年翌日の悲劇

従業員50名ほどの中小メーカーで、営業の前線で奔走してきたカズヒコさん(65歳)。ノルマや人間関係に挟まれ、決して高くはない給料で耐え忍んできた40年間のサラリーマン生活に、ついに終わりの日がやってきました。

最終出社日、「さらば、しんどいばかりだったサラリーマン生活」とカズヒコさんは心の中で呟き、長年通った会社をあとに。その後、銀行口座には会社から退職金として500万円が振り込まれました。大企業の同世代と比べれば決して多い額ではありませんが、カズヒコさん本人はどこか晴れやかな表情でした。

「もとは退職金なんて出ない予定だったんだ。長く勤めたからと社長が特別に出してくれたお礼金みたいなものだし、こんな中小企業で、もらえるだけマシか……」

カズヒコさんの厚生年金と基礎年金を合わせた受給見込み額は、月額約14万円です。妻のヨシコさん(62歳)は近所のスーパーで週4日パートをしており、月に数万円の収入がありました。

「退職金が500万あって、俺の年金が月14万。それにヨシコのパート代があれば、贅沢さえしなければ十分暮らしていけるだろう」

カズヒコさんが思い描いていたのは、朝はゆっくりと起き、昼間はテレビを見て過ごし、夕方から晩酌をするという「ささやかな老後」でした。これからは誰にも縛られず、家でのんびりさせてもらおうと心に決めていたのです。

しかし、そのささやかな夢は、定年退職の翌朝にあっさりと打ち砕かれます。

朝9時過ぎに目を覚ましてリビングに向かうと、エプロンを外して出勤の準備をしているヨシコさんの姿がありました。「俺の朝飯は?」と尋ねるカズヒコさんに対し、ヨシコさんは冷ややかな視線を向けました。

「自分でパンでも焼いて食べてよ。私はこれからパートなんだから。あと、お昼ご飯は冷蔵庫の残り物で済ませてね。それと、時間があるなら掃除機かけておいて」

予想外の冷遇に、カズヒコさんはムッとして言い返しました。

「おいおい、俺は昨日まで40年も家族のために働き通して、やっと定年を迎えたんだぞ。少しは労って、家でのんびり休ませてくれたっていいじゃないか」

その言葉を聞いた瞬間、ヨシコさんの顔からスッと表情が消えました。

「なにを寝ぼけたこといってるの。年金と私のパート代だけで、どうやって生活していくつもり? 貯金なんて、家の外壁塗装と車の買い替え、それにこれから私たちのどちらかが病気になったらあっという間に消えてなくなるわよ」

言葉を失うカズヒコさんに、ヨシコさんは容赦なく現実を突きつけます。

「あなたが働いていたあいだ、私もずっとパートで家計を支えながら家事も全部やってきたの。あなただけが『しんどい生活から解放された』なんて都合のいい話はないわ。退職後の就職活動をしていない様子にはイライラしていたの。少し休んだら、ハローワークに行って新しい仕事を探してきて。私が働いているあいだ、家でゴロゴロされるなんて絶対に耐えられないから」

そう言い捨て、パートへ出かけていった妻。カズヒコさんは自分が抱いていた「ささやかな老後」の夢が、いかに見通しの甘い幻想だったかを痛感し、頭を抱え込むしかありませんでした。

会社の定年退職を機に完全リタイアの夢

定年退職を迎えるにあたり、多くの会社員が頼りにする「退職金」ですが、その金額は企業規模によって残酷なほどの格差が存在します。厚生労働省の「令和5年 就労条件総合調査」によると、そもそも退職給付(一時金・年金)制度がある企業は全体の約75%にとどまっており、4社に1社は退職金制度自体が存在しません。

同調査で定年退職者に対する退職給付額(退職金と企業年金の合計額)を見ると、大学・大学院卒(管理・事務・技術職)で20年以上勤務した場合の全体平均は1,896万円となっています。しかし、これを企業規模別に見ると厳しい現実が浮かび上がります。従業員1,000人以上の大企業では平均2,191万円に達する一方で、300人~999人の企業では1,662万円、100人~299人で1,347万円、そして30人~99人の小規模な企業では1,282万円と、企業規模が小さくなるにつれて支給額は明確に減少していきます。

カズヒコさんの退職金500万円は、本来なら支給予定がなかったため、慰労金という意味合いが含まれているとはいえ、小規模企業の平均水準をさらに大きく下回る金額です。世間一般の「退職金で老後安泰」というイメージに反して、中小企業出身者の多くは、まとまった老後資金を手にすることなく年金生活へ突入せざるを得ないのが実態です。

また、60歳以上を対象とした内閣府「2025年 高齢者の経済生活に関する調査」によると、何歳まで収入を伴う仕事をしたいかという問いに対し、「65歳くらいまで」が23.7%と最も多く、次いで「働けるうちはいつまでも(22.4%)」、「70歳くらいまで(20.0%)」と続きます。カズヒコさんのように「65歳で一区切りにしたい」と考える人が最多である一方で、実際の労働現場では65歳以降も働き続けることが一般化しています。

性・年齢階級別の就業率は以下のようになっています。

男性

60歳~64歳:84.1%

65歳~69歳:63.4%

70歳~74歳:44.5%

女性

60歳~64歳:65.8%

65歳~69歳:46.1%

70歳~74歳:28.8%

データが示すとおり、男性の場合、60代前半では8割以上、そして65歳を超えても6割以上の人がなんらかの形で就業を続けています。女性も60代前半の約3割強を除いた大半が就労しており、65歳以降も半数近くが仕事を継続しているのが日本のシニア層の実態です。

「65歳でサラリーマン生活を完全リタイアしたい」という気持ちもあるでしょうが、現役時代の収入が少なく、年金や貯金などの老後資金が少ない人にとって、それでは生活が立ち行かなくなる可能性があります。

定年を迎える前の段階で、夫婦で退職金と年金の受給額、そして今後の生活コストを客観的に共有し、「いつまで、どのような形で働き続けるか」という共通の認識を持っておくことこそが、老後の夫婦関係と経済的な安定を守るための第一歩となるでしょう。