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「退職して独立した元社員が、担当していた既存顧客を引き抜こうとしている」…。これは多くの経営者を悩ませる深刻な問題です。自社の売上や信用を守るため、会社は元社員に対してどのような措置をとることができるのでしょうか。そこで、実際にココナラ法律相談のオンライン無料法律相談サービス「法律Q&A」へよせられた質問をもとに、元従業員による顧客引き抜きへの法的対応について、江﨑裕久弁護士に解説していただきました。

独立した元社員が「顧客を横取り」!?

会社経営者である相談者は、従業員の退職にともなう競業行為および顧客の引き抜き問題について頭を悩ませています。

問題となっている従業員は、在職中に相談者の会社名義で顧客企業との契約締結に関与していました。しかし、退職後に自身の職業資格を活かして独立し、担当していた顧客に対して会社との既存契約を解除させ、自身が設立する会社(または自身個人)と直接契約を結ばせようとしている疑いが浮上しました。

相談者としては、在職中に会社名義で締結した契約や、会社の有する顧客情報・契約情報・価格情報等を不正に利用して顧客関係を自己に移転させる行為は、法的に問題があるのではないかと考え、対応を検討しています。

本件に関し、相談者は現在以下の資料を保有しています。

●対象顧客との契約書

●当該従業員の雇用契約書および誓約書

●当該従業員の顧客対応記録

●報酬配分や手数料に関する社内資料

●顧客情報、契約条件、価格情報等に関する社内資料

そこで、ココナラ法律相談「法律Q&A」に次の5点について相談しました。

(1)当該従業員の行為が、雇用契約上の忠実義務違反、秘密保持義務違反、競業避止義務違反、または不法行為に該当し得るか。

(2)当該従業員に対し、顧客への契約解除・契約切替の勧誘停止を求める通知書(内容証明郵便など)を送付できるか。

(3)顧客企業に対し、「担当者個人への契約や支払先の変更には、会社の書面同意が必要である」と通知してよいか。

(4)当該従業員への差止請求または損害賠償請求を検討できるか。

(5)今後、証拠としてどのような資料を保全すべきか。

引き抜きが「違法」になるのはどのような場合か

この論点については、すでに多くの記事がWebメディア等に出ていますが、実際に裁判でその請求が認められるかどうかまでを掘り下げたものは少ない印象です。そのため、本記事ではその点に絞ってみたいと思います。

大前提として、退職した従業員が同じ業界で独立し、以前に担当していた顧客と取引を始めること自体は原則として自由です。最高裁も、退職した従業員が元の勤務先の顧客と取引をした事案について、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法な態様といえない限り不法行為には当たらない、と判断しています(最高裁平成22年3月25日判決)。

したがって、不正競争防止法上の「営業秘密」を不正な態様で利用したか、有効な競業避止義務や秘密保持に関する覚書があった等の事情がある場合にのみ権利行使が可能、というのが大きな枠組みになります。

(1)行為の違法性

退職した従業員が、仮に退職前(在職中)に、会社の業務として築いた立場を利用し、顧客へ「独立後は自分と契約してほしい」と働きかけていたのであれば、労働契約上の誠実義務に反するものとして、債務不履行や不法行為が成立し得ます。

他方、退職後の勧誘については、次の3点で検討することになります。

①誓約書や就業規則に、有効な秘密保持義務・競業避止義務の定めがあるか

②持ち出された顧客情報や価格情報が、不正競争防止法の「営業秘密」(同法2条6項。秘密管理性・有用性・非公知性の3要件)に当たるか

③勧誘の態様が、自由競争として許される範囲を超えていないか

なお、①について競業避止の合意があれば常に有効というわけではありません。制限の期間・地域・職種の範囲、対象者の地位、代償措置の有無などから合理性が審査され、範囲が広すぎる条項は公序良俗に反して無効と判断されます。他方で、契約上の秘密保持義務については義務そのものの存在は認められやすいものの、最後の③の勧誘の対応で本当に秘密情報の「利用」であったかどうかを問われます。

また、②について、全ての顧客情報が「営業秘密」に該当するわけではなく、裁判例ではかなり厳しく秘密管理性、すなわちきちんと他の情報を区別して秘密であることを認識できるような状態で管理していたかどうかを問われます。

(2)元従業員への通知書

義務違反又は不正競争防止法違反に当たると思われる行為がある場合に、その中止を求める通知を元従業員宛に出すことは基本的には問題ありません。時期を逸すると顧客の契約切替えが完了してしまうため、素早い対応が望ましいといえます。

他方で、もう一歩踏み込んで裁判上の権利行使が認められるかどうかは上記(1)で述べたような観点でさらに検討が必要になりますし、裁判上で公的に認められた権利行使ではないので、書き方は事案に応じて慎重に選ぶ必要があるといえます。

(3)顧客企業への通知

こちらは慎重な対応が必要です。元従業員について法的な義務違反がある旨を顧客企業に伝えると、すでに元従業員とは競業関係にあるので、不正競争防止法が禁じる信用毀損行為に当たるおそれがあります。

ここでは虚偽であったかどうかが問題になりますが、客観的に「虚偽」かどうかは、裁判が確定しない限り判定できません。つまり、(4)で起こした裁判等で負けてしまうと、逆に元従業員側から損害賠償を求められる可能性があることに留意いただく必要があります。

(4)差止請求・損害賠償請求

営業秘密の不正な使用が認められる場合には、不正競争防止法3条に基づく差止請求、4条に基づく損害賠償請求ができ、5条の損害額の推定規定も利用できます。

契約上の競業避止義務違反・秘密保持義務違反であれば債務不履行に基づく損害賠償、態様が悪質であれば不法行為(民法709条)が根拠となります。急を要する場合は秘密保持命令等の仮処分の申立ても選択肢になります。

(5)保全すべき証拠

まずは在職中のメールやチャット、貸与パソコン・クラウドのアクセスログやダウンロード履歴は、上書きや自動削除が生じる前に保全してください。特に、情報を積極的に外部に持ち出した履歴等は、その秘密情報が使われたかどうかの極めて重要な証拠になります。事案によっては、フォレンジック業者等に調査を依頼することも想定されます。

その次に、秘密保持や競業避止義務等について、就業規則・誓約書、顧客情報へのアクセス権限の設定状況や「マル秘」表示など秘密管理性を裏付ける資料、解約の申し出を受けた際の顧客とのやり取りの記録等もあることが望ましいといえます。

顧客引き抜きトラブルを未然に防ぐ「平時の備え」

この種の相談において「誓約書にサインさせているから大丈夫」という方は多いのですが、まず退職後の競業避止条項は、期間・範囲・代償措置の点で合理性を欠けば無効と判断されます。「退職後3年間、同種の業務を一切行わない」といった包括的な条項は権利行使が難しくなります。また、元従業員の立場が例えば平社員だったような場合、退職金の上乗せ等の代償措置がなければ競業避止義務が認められることは難しいといえます。

また、秘密保持条項の方は、2~3年間という常識的な期間であれば、条文自体が有効とされる可能性が高いとはいえますが、単に退職の挨拶の際に独立することを述べただけ、というような場合には秘密情報の「利用」とは評価されないことが多いといえます。具体的にどのような言動がなされたのかを示す証拠、例えば勧誘するメールなどが残っていれば明白ですが、そうではない場合には顧客等の第三者から証言等の協力を得る必要があります。

このような誓約書や覚書がない場合にも権利行使が可能なのが、不正競争防止法上の営業秘密の不正利用類型です。念のためにいえば、誓約書や覚書違反による権利行使と並行して権利行使が可能ですが、実務上、営業秘密として保護されるための要件の一つである「秘密管理性」が認められるかの認定が厳しいため、多くの場合で誓約書や覚書の方が違反を問うこと自体は容易です。

もう少し詳しく説明すると、例えば顧客名簿や価格表は「営業秘密」になり得る情報ですが、「社内の誰もが自由に閲覧・複製できる状態では、秘密として管理されていたとはいえない」と判断された裁判例は少なくありません。営業秘密として保護されるためには、アクセス権限を業務上必要な範囲に限る・ファイルに「秘」と明示する・私物端末や個人アカウントへの持ち出しを禁じる規程を置き実際に運用すること等が必要になってきます。本来そうあるべきことには異論はないと思いますが、これが徹底されている会社は中小企業ではあまり多くないといえます。

退職時の手続きも重要です。退職面談で、秘密保持と競業に関する覚書を改めて書面で提出していただくことが望ましいのはもちろんなのですが(いずれも強制的にサインさせることはできません)、貸与端末やデータの返却・削除を記録に残し、PC回収後に退職直前に不審なデータの移行がないかを確認すること等はやっていただきたいところです。

営業を受けた顧客から、企業の秘密管理体制に疑念を持たれるケースも

少し観点が変わりますが、これらの話は、実はどのような会社でも問題になり得ます。営業から情報が漏れたり、退職者が競合会社に就職したりすることはある程度やむを得ないし許容するという考えであっても、逆に顧客の方から「元従業員が貴社の情報を持って営業に来たが、貴社の秘密管理体制はどうなっているのか」といわれてしまうこともあります。

顧客が上場企業やそれに準ずる会社であれば、普段から従業員に対して意識付けをし、万が一流出が疑われる状態になった場合、上記のように元従業員に対する責任追及が可能な体制を取っておくことが望ましいところです。

従業員個人に依存せず、組織として対応する体制づくりを

最後に、少し法的な議論とは離れますが、顧客の引き抜きは、顧客対応がほぼその担当者に依存し、引継ぎも容易ではないという状態のときに最も起きやすいといえます。

会社として従業員個人に依存せず組織として対応する体制を作ることが、実は最大の防衛策であると思います。上記で述べたように、法的には色々な手段は考えられるところですが、その追及にかかる手間や、立証の難しさ、経済的な損害の回復が難しい(仮に顧客がその元従業員に引き抜かれなかったとしても将来的に取引が解消される可能性もあり、損害を算定しにくい)こと等からも、事後の追及よりも、事前の体制構築の方が効果的であると思います。

江﨑 裕久

江﨑法律事務所

代表弁護士