沖縄県知事選挙で、3期目を目指した現職の玉城デニー氏(66)を大差で破り、前那覇市副市長の古謝玄太氏(42)が当選した。元総務官僚で、1972年の本土復帰より後に生まれた、初めての知事となる。

【映像】10秒でわかる「オール沖縄」

 古謝氏を推したのは、自民・維新・国民民主・参政・日本保守・公明党県本部。自民党政権が推す県政は12年ぶり。そして辺野古への現行の移設計画を容認すると掲げた候補が、知事に選ばれるのも、初めてのことだ。

組んで勝ち、割れて破れる

 ジャーナリストの青山和弘氏は「選挙では基地問題よりも経済問題が大きな争点になった。沖縄でも左右のイデオロギー対立は過去のものになりつつある。」「かつては国が基地を沖縄に押しつけているという沖縄県民の怒りが、保守・革新の垣根を越えた。オール沖縄という大きなうねりは衝撃的だった」

 約1800年前の中国・三国志、いわゆる「赤壁の戦い」では、天下を狙う曹操の大軍に対し、それまで争っていた孫権と劉備が“敵の敵は味方”と手を組み、赤壁で火攻め。大軍を打ち破った。しかし、のちに同盟は割れ、刃を向け合い、結果的に天下を取ったのは、どちらでもなかった。

 組んで勝ち、割れて敗れる。沖縄にもそんな12年間があった。沖縄県知事の座は、本土復帰以降、保守と革新を行き来していた。その両者をひとつの舟に乗せたのが「オール沖縄」だ。時は2014年の沖縄県知事選にさかのぼる。

「オール沖縄」圧勝も…徐々に離脱

 2013年12月、当時の仲井真弘多知事が、辺野古の埋め立てを承認。これに反対したのが、那覇市長だった翁長雄志氏だった。翁長氏は自民党県連の幹事長まで務めた“保守の人”だったが、「イデオロギーよりアイデンティティー」の旗のもと、それまで争ってきた保守と革新、そして経済界が集った。

 翁長氏は「辺野古阻止のためなら、ほかは腹八分、腹四分、場合によっては腹四分でも折り合う」と説いた。その結果、自民党に除名されてまで加わった那覇市議の保守議員や、長く保守と争ってきた社民・共産・沖縄社会大衆党、そして経済界から金秀グループ・かりゆしグループが集い、のちに「オール沖縄」と呼ばれる一大勢力に。そして2014年11月の知事選で、翁長氏は現職の仲井真氏に10万票近い差を付け、36万票あまりで当選。暮れの衆院選でも、4つの選挙区を制した。

 オール沖縄を結んでいたのは「辺野古に反対する」ということ。しかし、同じ舟に乗りながらも行き先はそれぞれ違っていた。呉越同舟、同床異夢の状態だった。

 しかし2018年2月、辺野古のある名護市長選で、オール沖縄が推す現職・稲嶺進氏が落選。金秀グループの呉屋守將会長が、その責任を取ってオール沖縄会議の共同代表を退いた。「なあなあでだらだら続いているようでは、県民の意向に沿った組織として、その任に耐えられない」という趣旨だった。その後の4月には、かりゆしグループも、政党の色が強くなりすぎたと離脱する。

「基地反対」だけでは難しい状況に

 翁長氏は7月、前の知事の埋め立て承認の撤回を表明したが、8月8日に任期半ばで世を去った。意志を継いだ玉城氏は、9月の知事選で当時史上最多となる39万票以上を集めて当選する。

 2021年、呉屋会長は「基地反対のテーマだけでは沖縄の未来は開けない」と、衆院選で自民候補を支援。2022年には那覇市の城間幹子市長(当時)も「私は保守中道だ」と、自公推薦の後継候補を支持した。

 世間では当時、「もはや“オール沖縄”ではない」との声も出た。青山氏は「基地反対の思いだけで求心力を保つのは、徐々に難しくなっていた」と解説する。

 この時点で保守と経済界の多くが離れ、革新政党が中心に残っていたが、2022年の知事選で玉城氏は再選した。また辺野古の新基地建設を巡って、県と国で争われた訴訟は、和解・取り下げ(4件)を除き、ことごとく県が敗訴した(10件)。

市長も国会議員も落選し…

 そして2023年12月、国は史上初の代執行に乗り出す。代執行とは、国が自治体に代わって続きを行うこと。埋め立ての設計変更を認めるかどうかの判断を、知事に代わって国が下した。

 2024年6月の県議選で、知事を支えるオール沖縄勢力は、県議会の過半数を割った。そしてこの年の末、大浦湾側で地盤改良工事が始まる。知事の打てる手が1つ、また1つ尽きていった。

 2025年1月、オール沖縄系の市長が、県内でゼロになった。7月の参院選沖縄選挙区では、オール沖縄が支援する高良沙哉氏が当選するも、2026年の衆院選では沖縄2区で、社民党を離れて中道改革連合から出た前職・新垣邦男氏と、社民党が立てた元職・瑞慶覧長敏氏が、ともに譲らず立候補し、自民候補が漁夫の利を得る。

 この衆院選では、県内4つの小選挙区で自民が全勝。オール沖縄の関係者は「本質は何か。みんなが今、見失っている」と話していた。

古謝陣営は「経済と暮らし」を打ち出す

 そんな中で行われた今回の知事選、焦点が当たったのは何だったのか。辺野古の新基地建設問題は、工事が進む中で前面に出ず、代わって焦点になったのが「経済と暮らし」だった。沖縄の1人当たりの県民所得は、全国で最低水準。失業率も全国で最も高い水準だ。

 古謝氏は1983年、那覇市生まれ。大学時代から知事を志して、その道を固めようと総務省へ入った。4年前の参院選では2888票差の惜敗となり、「正直言って、政治の道は諦めようと思った」と振り返っていた。

 その古謝氏は今回、「残りたい人が残れる、帰りたい人が帰れる沖縄」を掲げた。県民所得と子育て支援の「倍増」を打ち出し、国と協調して経済を伸ばすと訴えた。辺野古については、普天間の危険性を除くための「最も早く現実的な計画」として容認。選挙戦では「誰かのせいにして、今を諦めるのはもうやめましょう」と訴えた。

玉城陣営からも「辺野古はもう無党派層に響かない」

 一方の玉城氏は、2期8年の実績を前に出した。バス通学費・給食費の無償化、子どもの貧困対策、観光を軸にした好調な経済。「誰ひとり取り残さない社会にする」と県政の継続を呼びかける。集会ののぼりには、「現役世代の家賃サポート」の文字が躍った。

 玉城氏は7つの政策の柱に「辺野古反対」は入れなかった。それでも告示日、旧盆の最後に先祖を送り出す儀式「ウークイ」に重ねて、「みんなで力を合わせて、米軍基地、普天間飛行場もウークイしてしまいましょう」と訴えていた。

 しかし、この演説を聴いていた陣営の幹部は、「辺野古は支持者に受けが良くても、もう無党派には響かない」と首を振っていた。保守の側は、立候補の意向を示していた下地幹郎氏が取り下げ、古謝氏に束ねられた。6党の推薦に加え、県内の市町村長の多くが、古謝氏の支援に回ったとされる。

県民の半数近くが「基地問題」→「経済」へ

 では有権者は何を重んじて、一票を投じたのか。8年前の各種調査では、県民の半数近くが「基地問題」を重視していた。しかし、今回の共同通信の出口調査では、基地問題は20.9%にとどまり、代わって半数近くを占めたのが「経済の活性化」(49.5%)。「経済」と答えた人の78.7%が、古謝氏に投票した。

 この潮目の変化を、青山氏は「基地反対では飯は食えない。県民の関心が、より暮らしに直結した問題に移っているのは明らかだった」と分析する。なかには「反基地疲れ」「対立疲れ」と報じた新聞もあった。

 朝日新聞によると、玉城陣営の幹部も「辺野古だけでは勝てない。『民意を示し続け、これ以上どうしろというのか』というのが県民の気持ちだ」と語っていた。

 ただ、辺野古移設反対は、いまなお37%ある。「県民が移設を全面的に受け入れたとみるのは早計だ」と書いた新聞の社説もあった。この12年間を票で振り返ると、このようになる。

2014年・翁長氏36万820票
2018年・玉城氏39万6632票
2022年・玉城氏33万9767票
2026年・玉城氏27万6060票

 玉城氏の支持者は、8年で約12万票、約3割が離脱したことになる。一方の古謝氏は、42万3124票で、知事選初の40万票超えとなった。

古謝県政はどうなる?

 古謝氏は、普天間飛行場の危険性を除くためには、辺野古移設が最も早く現実的な計画だと容認する一方、返還の期日をはっきりさせるよう、国に迫るとしている。また当選後には、県庁の「辺野古新基地建設問題対策課」を名称変更する意向を明らかにし、業務内容を廃止する見通しを示した。

 地元紙が「オール沖縄の終焉」と書いた今回の知事選について、青山氏は「戦争を知る世代が減るなかで、反戦平和を基調とする“戦後レジーム”は沖縄でも大きな節目を迎えた」と話す。

 「赤壁の戦い」の後、天下をまとめたのは、焼かれた魏の流れをくむ晋だった。同様に沖縄でも、12年前に敗れた側から、本土復帰後に生まれた42歳が天下を取った。

 玉城氏を支持する女性は投票前、こう記者に語った。「知事が声をあげても基地はなくならない。それでも沖縄に基地が押しつけられるなかで意思を示したかった」。“呉越同舟”の関係性では、嵐の間は手を取り合うものとされる。辺野古の工事が続くなか、「場合によっては腹四分でも」と乗り合わせた舟は、今後どうなるのだろうか。

(『ABEMA的ニュースショー』より)