「地上波に乗る勇気がなかった」テレビから離れた“空白の3年”…高校生でデビューした北川景子(40)の“知られざる挫折”
この8月15日に放送された音楽特番『NHK夏の音楽祭 うたであえたら 2026』では、俳優の北川景子が司会を同業の二宮和也、人気バンドMrs. GREEN APPLEの大森元貴とともに務めた。
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夫・DAIGOと10年ぶりの夫婦共演
番組の第1部のムード歌謡コーナーでは、北川の夫である歌手・タレントのDAIGOが「一之森大湖」として登場、2016年の結婚会見以来じつに10年ぶりに公の場で夫婦がそろった。ただし、共演中はDAIGOと一之森はあくまで別人という設定を通し、夫婦でちぐはぐな会話を繰り広げ、会場を笑わせた。
このあと、DAIGO……ではなく一之森は新浜レオンとのコラボレーションで「東京砂漠」(オリジナルは内山田洋とクール・ファイブ)を熱唱。それを北川は舞台袖で見守り、歌が終わったあとで二宮から「北川さん、一之森さんのパフォーマンス、いかがでしたか?」と話を振られると、「一言でいうなら『OAG』……おつきあい、ありがとうございました」と、日本語のフレーズをアルファベットで略す夫の持ち芸「DAI語」を用いて、観客が自分たち夫婦のやりとりにつきあってくれたことに感謝を表した。

北川景子(2025年、東京国際映画祭のレッドカーペット) ©Hans Lucas via AFP=時事
この放送の1週間後、北川は40歳の誕生日を迎えた。DAIGOは自身のXで《KSK!/これからも 素敵な 景子さん!》と本家「DAI語」で祝福している。
17歳でのデビュー作は『セーラームーン』
ところで、先の『夏の音楽祭』では、DAIGOが登場する一つ前のステージで、アイドルグループのFRUITS ZIPPERと=LOVEが往年の人気アニメ『美少女戦士セーラームーン』の主題歌「ムーンライト伝説」を披露した。
北川はそのコラボの前に大森元貴から「北川さん、あの決めゼリフ、お願いしてもいいでしょうか」と振られ、「火星に代わってお仕置きよ!」と応じてみせた。これはアニメではなく、実写ドラマ版の『美少女戦士セーラームーン』(2003~04年、CBC・TBS系)で彼女が演じた火野レイ=セーラーマーズの決めゼリフだ。
北川にとって17歳で出演した『セーラームーン』はデビュー作である。当時からクールビューティーなルックスで、火野レイのキャラクターにハマっていたのを思い出す。
兵庫県出身、医者になるため勉強に励んだ
北川はもともと芸能界にほとんど憧れはなかった。兵庫県に生まれ育った彼女は、幼いころ、小児ぜんそくを患っていたため、病院で医者に診てもらううち、自分も人の役に立てる人間になりたいと思うようになったという。その思いは、小学2年生だった1995年に阪神・淡路大震災を経験し、全国からやって来たボランティアの人たちに支援を受けたことでさらに固まった。
中学・高校時代には医者になるため理数系を選択、勉強に打ち込んだが、高校2年ぐらいから成績が伸びなくなり、「こんなに頑張ってもダメってことは向いてないのかも……」と思い悩んだ(『anan』2008年11月12日号)。モデルとしてスカウトされたのはそんなときだった。
「これは神のお導きだ!」
それまでにも何度かスカウトされたことはあったが、全然興味がなくて、やりすごしていた。それがこのときは、「これは、医者になれないかもしれないと悩んでる私に対する神のお導きだ!」と、プロテスタント系の学校に通っていた彼女は思ってしまったのだという。
また、震災のときにSMAPやZARDがテレビなどを通じて歌を届けてくれて勇気をもらったことも思い出し、人の役に立ちたいという思いは何も医者でなくても昇華できると、スカウトされたときにストンと納得したとも語っている(写真集『27 KEIKO KITAGAWA』SDP、2013年)。
『セブンティーン』時代の反発心
こうして芸能事務所・スターダストプロモーションに入り、俳優として前出のドラマ『セーラームーン』、モデルとして集英社のティーン誌『セブンティーン』のオーディションを受け、いずれも合格して活動を開始する。
だが、『セブンティーン』の初めての撮影で、いざカメラの前に立つとうまく笑えず、「モデルってこんなに難しいの!?」とショックを受ける。その後も現場ではしょっちゅう叱られてばかりで、反抗期の終わりがけだったこともあり、「そんなに怒るなら、上手い人を選べばいいじゃん!」と反発心も抱いた。それでも当時の同誌の編集長から「親元離れて預かっているんだから、私が言わないで誰が言うの!」と言われたときには、すごく愛を感じたという。
そうやって叱られながらも、毎日のように撮影をするうち、だんだん写真に撮られることに慣れていき、自分に向いているかなと思うこともあった。しかし、背が高いわけでもない自分が、20歳を超えてハイブランドを着こなせるかと考えると、やっぱり恵まれた体格の人しか進めない道だなとも感じていた。
一方で『セーラームーン』の撮影では、モデルの現場とは違って服のしわも気にせずに泥んこになって戦ったり、泣いたりしていた。そのなかで、全身で表現することは上手くできているわけではないけれど、自分の好みに合っていると思い始める。撮影していた14ヵ月のうちに役と一緒に成長したという手応えも感じた。
『セブンティーン』のモデルは2006年に卒業する。その際、分野を広げすぎて中途半端になるくらいなら、自分が下手なほうを突き詰めようと思い、映像の道に進もうと決めた。
オーディションに「100本くらいは落ちた」
しかし、映像の仕事は『セーラームーン』が終わってからなかなか決まらなかった。オーディションにも、本人いわく《100本くらいは落ちたと思いますね》(前掲、『27 KEIKO KITAGAWA』)。
デビュー後には明治大学に入学している。人間形成やその後の俳優の仕事のためにもなると思ったからだが、あまりに仕事が決まらないので、だんだん逃げ道にしていた部分もあったのではないかと、のちに省みている。
そんな時期、映画『間宮兄弟』(2006年)のオーディションを受けた。その日はオーディションのあと、大学で体育の授業に出るつもりだったが、時間が延びて結局出席できず、体育の単位を落とすことが確定してしまう。おかげで、オーディションに臨んだときの北川の機嫌は最悪だった。
監督に「僕が誰だかわかりますか?」と訊かれ…
面接で「僕が誰だかわかりますか?」と訊かれ、思わず「わからないので自己紹介してください」と答えると、「監督の森田(芳光)です」という言葉が返ってきたので、「これで落ちた! もう二度と監督と会うこともない」と確信する。しかし、森田監督はけっして怒らず、終始にこやかだったという(『キネマ旬報』臨時増刊2012年5月11日号「映画作家 森田芳光の世界」)。
結果的に北川の悪い予感は外れ、オーディションに合格、主人公の間宮兄弟(佐々木蔵之介・塚地武雅)の自宅パーティーに招かれる本間姉妹のうち妹の夕美役に起用された。ちなみに姉の直美役は、彼女と同い年の沢尻エリカだった。
あとから思えば、オーディションで夕美のセリフを読んだときは、怖いもの知らずでピュアな気持ちで臨めたせいか、本番よりうまくできたという。それに気づいたのは、撮影に入ってから森田監督に「オーディションで読んだままでいい。芝居は芝居だけど、芝居であっちゃいけないんだよ。自然に思いついたままやってくれればいいから」と言われたときだった。
それでも監督からは1週間足らずの撮影中、一度も叱られず、のびのびやらせてもらい、クランクアップのときには「女優をやめずに続けてくださいね」との言葉を贈られた。その言葉に北川は、映画女優になろうと強く誓ったという。
2006年には『間宮兄弟』に続き、ハリウッド映画『ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT』、初主演映画『チェリーパイ』も公開された。
前者は事務所が彼女の知らないあいだにプロフィールと映像資料を送っていて、出演が決まると、アメリカに数ヵ月滞在して撮った。現場では学校で習った英語は通じず、かといって通訳を通すと会話の意味が抜け落ちる気がして、フラストレーションを感じた。それでも毎晩泣きながら勉強し、2ヵ月目には通訳をつけなくても会話できるようになったという(『日経エンタテインメント! MOVIE DX』2006年9月号増刊)。
テレビドラマ出演がなかった“空白の3年”
俳優デビューしてしばらくは映画の仕事が続き、テレビドラマへの出演は『セーラームーン』のあと『モップガール』(2007年、テレビ朝日系)まで3年ほど間が空いた。それというのも《パッとテレビをつけて、誰にでも見られてしまうには、お芝居がまだまだ至らないと思っていて、地上波に乗る勇気がなかった》とのちに語っているように、彼女のなかで葛藤があったかららしい(『AERA』2011年12月12日号)。
その葛藤にひと区切りついたのは20歳くらいのとき、さまざまな役柄を演じるうちに「俳優というのは、きっと最後まで自分に満足することはない、それが当たり前だ」と気づいてからだという。以後、映画だけでなくドラマへの出演も増えていく。
映画に出始めてからというもの、北川は現場で、自分の役割や求められているものを深く考えるようになっていた。そのなかで《私たちは『俳優部』という部署であって、『撮影部』がいたり、『メーク部』がいたりするなかでの『俳優部』だと》強く感じたという(『AERA』前掲号)。俳優の仕事は一見すると華やかに思われがちだが、現場でそれぞれの役割を果たしながらみんなで一つの作品をつくりあげるという意味では、ほかのスタッフと変わらない、というわけである。
2009年には大学を卒業し、《これまでは学生だけど好きな仕事をするという感覚でしたが、今は職業として女優をやっているという気持ちです》と、仕事に取り組むときの肚(はら)の括り方が変わったと話していた(『週刊文春』2010年3月18日号)。当時、映画『花のあと』(2010年)で初めて時代劇に挑戦し、殺陣や所作の稽古に半年以上かけて取り組んだ。ここから、ひとつの役を演じるには、役と向き合うだけでなく、役そのものになって息づくことができないといけないと思うようになったという。
デビューから10年、ようやくスタートラインに立てたと思えた
北川は17歳でスカウトされて以来、周囲を見渡せば同年代にかわいい子も才能のある子もいっぱいいて、素質や積み上げてきたものが自分とは全然違うと落ち込むこともあったという。それでも、個性など違う部分でなら勝負できるのではないかと信じ、追いつき追い越せでがむしゃらに続けてきた。そしてようやく彼女たちと肩を並べ、スタートラインに立てたと思えたのが、デビュー10周年のときだった。
折しもそのころ、ドラマ『HERO』第2シリーズ(2014年、フジテレビ系)にレギュラー出演する。北川の役は、主演の木村拓哉演じる検察官・久利生公平の相方である検察事務官の麻木千佳だった。麻木の前任の事務官を演じたのは松たか子とあって、そのあとで何ができるのかという意見も当初あったらしい。しかし、北川自身は錚々たる出演者が集まった同作に、自分がオファーされたことがうれしく、《一気に一流の仲間入りをさせてもらえた気持ちになった》と語っている(写真集『30 Keiko Kitagawa』SDP、2016年)。(つづく)
〈《産後2ヶ月で復帰》「人と一緒に住むとかありえない」→29歳で結婚、2児の母に…北川景子(40)がDAIGO(48)との結婚を決めたワケ〉へ続く
(近藤 正高)
