KK世代座談会(後編)

 桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」が高校野球界を席巻した1980年代半ば。だが、あの時代に甲子園を沸かせたのは、ふたりだけではない。伊野商の渡辺智男、帝京の河田雄祐、そして全国各地にいた名投手、強打者たち──。そんな怪物たちと同じ時代を戦った小板橋則之(東海大甲府)、新藤純(東海大浦安)、寺島一男(関東第一)、柳沢達也(帝京)の4人が、KKの衝撃、対戦した忘れられない選手、強豪校同士の知られざる交流を語り合った。


(写真左から)元東海大甲府・小板橋則之氏、元東海大浦安・新藤純氏、元関東第一・寺島一男氏、元帝京・柳沢達也氏 photo by Sportiva

【清原和博からの電話】

── 柳沢さんの帝京は、1985年春の選抜で準優勝を果たしました。

柳沢 開会式が雨で2日順延になったんですよ。その時にうちのエースの小林昭則が「清原と桑田のところへ行こう」って言いだして、記者の方と一緒にPLに行ったんです。帽子を交換したり、一緒に写真を撮ったりしました。

寺島 PLと決勝で当たる可能性があったよな。

柳沢 俺らが準決勝に勝って宿舎へ戻ったら、PLが伊野商に敗れて......。その日の夜、PLの選手たちから宿舎に電話がかかってきて、清原に「渡辺(智男)、めちゃくちゃ速いぞ!」って言われたんだ。

小板橋 そんなことがあったんだ。

柳沢 清原がそこまで言うんだから、「これは打てないな」と思った。ところが決勝で1番の河田雄祐が三塁打を打った。ベンチに戻ってきて「渡辺、遅いぞ」って。みんな「えっ?」って驚いたんだけど、あとで映像を見たら、河田が打ったのはスライダーだった(笑)。

寺島 テレビで見ていたけど、渡辺も桑田も8割ぐらいストレートという印象だった。それで打ち取るんだから、よほど球のキレがいいんだろうな。

小板橋 桑田はカーブもすごかった。一度フワッと浮き上がって、それからストンと落ちてくる。

新藤 渡辺のカーブもそんな感じだったね。

【ノーマークだった伊野商】

── 選抜では、その渡辺投手の活躍もあって伊野商が優勝しました。

新藤 エースで4番。本当にすごすぎたよ。

柳沢 僕らはPLが決勝まで来ると思って、ずっとPLのデータばかり取っていた。伊野商は準決勝の1試合分しかなかったんだ。

新藤 じつは、俺ら(東海大浦安)は選抜初戦の相手が伊野商に決まった瞬間、みんな喜んでいたんだ。どんな選手がいるかわからなかったけど、伊野商なんて聞いたことなかったし......。それで抽選会のあと、うちの主将が伊野商の選手に「よろしくな」って軽い感じで話しかけたらしいの。それで渡辺が、「関東のチームになめられた気がして、火がついた」というようなことを本で書いていて(笑)。

柳沢 それって最後の夏、東東京大会決勝の前日に帝京が「関東第一はまだまだ」みたいなことを言って、寺島たちを燃えさせちゃったのと同じじゃない(笑)。

寺島 一緒だな(笑)。でも、帝京は投打のバランスがよく、なかでも河田は群を抜いていた。うちの投手陣は「河田には打たれてもいい」って、割り切ってたよ。

柳沢 俺は杉並シニアから河田と一緒だったけど、中学時代はあまり打てなくて、セーフティーバントばかりだった。

新藤 なんで急に打てるようになったの?

柳沢 1年の時に足を疲労骨折して、その間、先輩たちからウエイトトレーニングを勧められたんだ。復帰したら別人みたいに打てるようになっていた(笑)。

寺島 神宮第二球場で、あの高いネットを越えそうな打球も打っていたよな。

柳沢 僕らが入学したのは、選抜で帝京が池田(徳島)に0対11で負けた直後。池田のパワーに衝撃を受けて、すぐスポーツジムと契約した(笑)。それから週3回、レギュラー組はウエイトトレーニングをするようになったんだ。

小板橋 今ではどこの高校でもやってるけど、当時はまだウエイトに力を入れている学校は少なかったからね。池田と天理(奈良)がウエイトに力を入れていて、うちらも器具を入れてもらったんだけど、ちゃんとしたやり方もわからず、海で見せるためみたいな筋肉がついちゃった。

【同世代のすごい選手たち】

── 高校時代に対戦したなかで、「これはすごい」と思った選手は?

寺島 野手なら、やっぱり河田だね。同じセンターとして、打球の追い方もすばらしかった。

新藤 俺は渡辺智男。あの清原を3三振に仕留めたんだから。

柳沢 すごいピッチャーだったよね。ベース付近で加速してくる感じ。球速表示以上に速かった。

小板橋 俺は高校時代、あまり空振りしたことがなかった。それが、ある投手と対戦して、「打てる」と思って振ったら、ボールがバットの上を通っていた。あんな空振りは後にも先にも一度だけ。

新藤 誰なの?

小板橋 1学年下で、その後ドラフト1位で巨人へ入った木田優夫。

新藤 日大明誠!

小板橋 3回ぐらいまではめちゃくちゃ速い。最後の夏、木田がテレビで「対戦したい選手は小板橋選手」と答えていて、本当に山梨大会で対戦した。途中まで0対0で、「やばいぞ」と焦り始めたところで、鈴木博久がポール直撃のホームラン。1対0で勝った。

寺島 鈴木って、甲子園の準々決勝でも初回にポール直撃の3ランを打ったよね。ファウルかと思ったら浜風で戻されて。あいつ、何か持ってるよな(笑)。

小板橋 寺島は、対戦したなかですごいと思ったピッチャーは?

寺島 1学年上の明星高校(東京)の溝口仁さん。とにかく速かった。一番印象に残っている投手だね。

小板橋 調布シニア出身で、高校時代に150キロを超えるようなボールを投げていたよね。

新藤 俺と小板橋は、その後、東海大学でも一緒だった。

小板橋 あと、保谷シニアで一緒だった岩倉(東京)の内田正行もすごかった。中学ではエースで4番。内田のおかげで全国ベスト4まで行けた。1984年に岩倉が選抜で優勝した時も、2年生で中軸を打って、リリーフでも投げていたよ。

【憧れは早稲田実業だった】

── 当時、関東の高校野球をリードしていた学校といえば?

寺島 やっぱり帝京は別格だった。3年春の選抜でも準優勝だったし、俺らは打たれている印象しかない(笑)。

小板橋 帝京もすごかったけど、中学生の僕らにとって憧れは早稲田実業だった。

新藤 荒木大輔さん!

小板橋 みんな早実に行きたがっていた。同期もたくさん受験したけど、けっこう落とされてた。受験も大変だったからね。

── みなさん、練習試合では対戦したことはありましたか?

新藤 帝京とは水曜日の放課後、うちのグラウンドでよくやったよね。

柳沢 授業が終わってから浦安まで行くのがきつかった(笑)。平日は東海大浦安や立教が多かった。どっちとやっても、いつも大変な試合で......。

新藤 いつも乱打戦だったよね。

── 久しぶりに当時の高校野球を振り返って、いかがでしたか。

柳沢 僕らの頃って、本気で甲子園に出たいと思って高校野球をやっていたよね。今と比べてどうこうじゃなくて、少なくとも僕らは「何がなんでも甲子園へ行く」って、それぐらいの気持ちだった。だから40年以上たった今でも、こうして当時の話をすると楽しいんだと思う。それにしても、みんなよく覚えているよね。とくに小板橋(笑)。

小板橋 みんなから「記憶がありすぎる」って言われる(笑)。本当に、昨日のことみたいに覚えているんだよね。

寺島 またみんなでゴルフや食事に行きたいね。

新藤 寺島とはよくゴルフに行くんだけどね(笑)。またみんなで集まりたいよ。

一同 このような機会をつくっていただき、ありがとうございました。

新田光●文 text by Hikaru Nitta