日産自動車 イヴァン・エスピノーサ社長兼CEOを直撃!「中国メーカーが台頭する中、経営再建策と成長戦略をどう進めていきますか?」
─ 日産再生にかける覚悟を聞く前にイヴァンさんのこれまでの歩みを聞かせてください。
エスピノーサ 私がどうして日産に懸けてきたか。私がメキシコ日産自動車に入社したのが25年近く前です。私は生まれも育ちもメキシコで、子どもの頃から身近に車がある家庭で育ちました。エンジニアの一家だったからです。父も祖父もエンジニアだったんですね。
幼少期は父親と家で車の修理を一緒に手伝ってきました。オイル交換やブレーキパッドの交換などです。そんな家庭で育ち、私は車が大好きになりました。我が家ではあまりにも車が身近な存在でしたので、私の将来の進むべき道もメカニカルエンジニアになるのが当たり前でした。
─ 家庭で育ってきた環境がイヴァンさんにも大きな影響を与えていたということですね。
エスピノーサ はい。ただ、日産に入社したのは、メキシコでは日産は力強い会社として定評があるからです。今でもメキシコでの日産のシェアは首位の座です。日産は60年以上、メキシコで事業をやってきたのです。ですから、私が子どもの頃から日産車はメキシコの街を走っていました。
─ 当時の日産にどんなイメージを持っていたのですか。
エスピノーサ 信頼性の高い、身近な自動車会社という評判が高かったですね。一方で、技術力が非常に優れているという話はあまり聞かれませんでした。日本や他の海外では、「技術の日産」として知られていましたが、メキシコでは信頼性のある車を手頃な価格で提供するメーカーとして定評がありました。
ただ私が10代半ばのときにいつも読んでいた雑誌で(スポーツタイプの高性能車である)「フェアレディZ(日本名)」を見たときは驚きました。まさに「技術の日産」は真実だなと感じることができたからです。
エクステリアデザインは他にはない独特のカッコいいデザインでした。車内は技術が満載で、飛行機のコックピットのようでした。10代の私には本当に衝撃的でしたね。独ポルシェのスポーツカー「911」と競争できる車でありながら、低価格帯で同じような性能が備わっている。日産の開発力は高いと分かり、私は入社したいなと思いました。
─ 2003年に入社して商品企画を担当しましたね。
エスピノーサ はい。メキシコの大学の機械工学部を卒業して入社すると、いろいろな仕事をさせてもらいましたが、いつも商品に近いところで仕事をしてきました。これが私のキャリアのバックボーンになっています。常に商品企画や商品戦略に関係する仕事に携わってきました。

