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 歌手のジュディ・オング(76)が8日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。母との別れについて語った。

 ジュディは台湾出身。司会の黒柳徹子から「去年の11月にお母さまがお亡くなりになったんですってね」と話を振られ、「はい。天国にいきました」と明言した。

 ジュディと両親、兄の写真が披露されると黒柳は「私もお目にかかったことあるけれど。奇麗なお母さまでした。日本の女学校をご卒業で、上品な日本語をお話しになるお母さまでした」と紹介した。

 ジュディは「徹子さんの日本語を聞いていると、母の日本語が非常に聞こえてくる。うれしいです。涙出ちゃう、本当に」と目を潤ませた。

 「おしゃれには厳しかったですね」とも語り、「彼女は黒い靴、レザーの持ったことない。必ずエナメルにバックスキンとか。そうでなければ赤とか紫とか入っていて」とジュディ。影響を受け、「靴は私、大好きみたいです」と話した。

 おしゃれに気を抜くと怒られたとし、新幹線で移動する際「なんであなたはちゃんとしないんですか」と叱責(しっせき)され、着替えたこともあったと回顧した。

 両親は晩年は台湾の施設に入っており、父は先に他界したが「教訓として覚えたのは両親の愛は無限で、両親といられる時間は有限だっていう。だから有限の時間は一つ一つ、真珠のように大事に過ごさなきゃいけないと思って、一生懸命通いました」としみじみと話した。

 母は「99(歳)でした」と言い、「“自分はもう100だから、100だから”って言ってましたけれど」と明かした。

 母が他界前には入院して点滴を受けていたが、その際ジュディは個室の病室にスピーカーを持ち込み、母のためのコンサートを開いたという。「本気になって歌いました」とし、舞台の様子も「満点の星空、会場はみんなが(ペン)ライトを持って、波が打っているような光が」と説明すると、母は見えているかのように「うん」と応じた。「だから私、ちゃんとコンサート、最期ママにしてあげてるって思って。うれしかったです」とほほ笑んだ。

 また兄はある朝、「昨日パパが僕の足をポンポンと叩いて、ママを迎えにきたって言ったんだ。僕は信じないけれど、信じざるをえないよなあ」と話したという。

 母はその後すぐに亡くなった。最期にジュディは「ママありがとうって。本当にありがとう、無理しなくていいよ。パパ迎えに来たね。パパのところにまたお嫁に行くんだね」と話しかけたとし、「何となく私もふーっと(気持ちが)降りて、みんなもふっと降りた。その夜に。私がいないときに。それを選んで」と振り返った。

 「あの瞬間は見せないっていう。それで天に。お嫁さんしてしまいました。パパのところに」と述べた。