仕事を続けるかは悩ましい問題だ(著者撮影)

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「ちゃんとしなきゃ。迷惑をかけてはいけない」

 2024年にステージ4の膵臓がんで「平均余命1年」と告知されてから一週間--。「どこか曖昧で現実味のない」がん世界を浮遊していた筆者(当時60)は、検査のための入院を経て、自分が「完治が難しい病人」であるという現実に直面した。次に考えないといけないのは「仕事をどうするか問題」だった。【Y・J/大学教員、映像作家】

※個人情報およびプライバシーに配慮し、内容の趣旨を違えない範囲で一部の表現を変更しています。

【写真を見る】細胞検査のため入院した際に目にした光景…がん患者の目を通して見る“新しい世界”をつづる筆者の近影

 2026年5月、カンヌ国際映画祭での最優秀女優賞獲得で注目された「急に具合が悪くなる」。それと同じタイトルの原作本は、私に自分の体験を書き残すことの意味を教えてくれた。共著者のひとりである哲学者、宮野真生子さんは、医師から「急に具合が悪くなる」可能性を指摘されたあと、日々の予定をどうするかについて、次のように書いている。

仕事を続けるかは悩ましい問題だ(著者撮影)

〈さて、困った。当たり前ですが、まだ人生は続くと思って日々の予定は組まれています。明日会議がある、来月のイベントはどうしよう、論文の校正が回ってくるはず……色んなことを考えます。ともかく「ちゃんとしなきゃ。迷惑をかけてはいけない」。そう思い、まだ準備の始まっていなかったイベントを一件キャンセルし、明日の会議の準備をして、いきなり入院になったら困るから、家を片づけようとゴミ袋一杯に服を詰めて捨てたりしました。〉

 あくまで遠い未来の可能性に過ぎなかった「死」が医学的なエビデンスを伴った数字として提示されたとたん、まるで明日にも起こることのように輪郭がはっきりしてくる。具体的な説得力をもって目の前にどんっと置かれたシビアな現実。それに向き合おうとすればするほど、これまでと同じではいられないという切迫感に苛まれてしまう。そうした心理が汲み取れる。

 しかし宮野さんは、もうひとりの著者である人類学者、磯野真穂さんとのやりとりを経て、違う境地に辿り着く。

未来は常に変化する

〈たしかに未来の死は確実ですが、しかし、なぜ、その未来の死から今を考えないといけないのでしょうか。それではまるで未来のために今を使うみたいじゃないですか。〉

 なぜ未来の死から、逆算して、今を考えないといけないのかという問いは、私にとって衝撃だった。

 未来は今から推しはかることはできない。もちろん良くなるだけではなく、悪い方に変化する可能性もあるが、それらの可能性をすべて含めての未来ではないか、と宮野さんはいう。余命や生存確率という数字は確かに一定の根拠があるのだろうが、確定ではない。未来はつねに変化するもので、がんの治療法ひとつとっても日進月歩。だから未来の死を前提に今を考える必要はない。

 言われてみればその通りだが、にわかに立ち現れたがんという現実を前にして、ここまで背筋を伸ばした考え方をするのは簡単ではない。

 私の場合、平均余命1年という“未来”を提示されたわけだが、1年を前提にスケジュールを立てたりはしなかった。宮野さんのような確たる考え方があったわけではなく、戸惑いながら、その場その場での選択を積み重ねた結果に過ぎない。

 だが、宣告から2年が経った“今(2026年8月)”からすれば、統計より良い方の“未来”だったということになる。日々がんとの格闘は続くものの、前向きな可能性を捨てなくて良かったと思う。

 一方で、命の限界を意識したとき仕事をどう考えればいいのかは悩ましい問題だ。

 病人になることの社会的な意味について考えたのがアメリカの社会学者、タルコット・パーソンズ(1902-1979)だ。パーソンズは社会において家族が果たす機能を分析したことで知られるが、「病人」についても社会で果たすべき役割=「病人役割」があるとして、以下の4つを挙げた。

(1)正常な社会的役割の責務の免除
(2)病気が続いているあいだ、かれ(病人)は「それをどうしようもない」
(3)「回復」しようとする義務を伴う
(4)医師の援助を求める義務、および回復しようとする過程で医師と協力する義務
※註:「(病人)」は筆者による加筆

「治療に専念」という言葉

 パーソンズが「病人役割」を発表したのは戦後間もない1951年のこと。「回復」が望めなくとも「正常な社会的役割の責務」が果たせることが当たり前になった今からすればギャップがある。

 しかし、私個人としては、がんであることに直面して「正常な社会的役割の責務の免除」を意識せざるを得なかった。もっと正確にいうと、回復が望めない以上、「正常な社会的役割の責務」から免除されるのではなく、自ら身を引くべきなのではないかという考えがどこか頭から離れなかった。

 別にパーソンズの教えに影響を受けていたわけでもないので、昭和気質でワーカホリックな考えが染み付いていたのだと思う。「病人役割」は、医者のいうことを聞いて、早く回復し、労働人口に復帰することを奨励しているわけで、経済成長下の社会にはマッチする。そうした世代的な感覚に加え、当時のジェンダーバイアスを踏まえ、労働の価値を大きく、重く捉えていたことは間違いない。

 先に書いたように、結果的に私は自ら身を引くことはせず、仮に「回復」が見込めなくても、「正常な社会的役割の責務」として仕事を続けることを望んだ。その理由は、転職して間もなかったが、教員という仕事にやりがいを感じていたことと、私の子どもたちがまだ学生であるという経済的な事情からだった。

 悩まなかったわけではない。仕事をすれば体力を削ることになるし、ストレスにもなる。「治療に専念」という言葉が頭をチラつくこともあった。しかし完治の見込みは期待できないと言われている以上、休息を優先してもしょうがなく、動けるうちはやりたいことをやった方がいいのではないかとも思う。一方で状況的に仕事を続けたいと言ったところで、職場が受け入れてくれるかどうかはわからない。様々な考えが頭を駆け巡った。

 が、結局一人で悩んでもしかたないという結論に至る。とにかくどうしたいのかは、言葉にして伝えないと始まらないと思った。

 その言葉を、誰に、どういう順番で伝えるかが次の問題だった。

 まずは家族だ。ここでも逡巡が始まる。

自分ひとりでは至れなかった結論

 私は仕事優先のライフスタイルだった。余命幾許もない中で、やはり仕事を続けたいと伝えてよいものかわからなかった。「動けるうちは仕事をしたい」と言いつつ、心の中には「できるだけ家族との時間をつくりたい」という思いもあった。どちらかを選ぶしかないことなのかも自分ではわからなかった。

 理想を言えば、短い余生でも、仕事を続けながら家族との時間も大切にしたい。とはいえ、それは、まだがん患者ではなかった頃ですらできなかったことだ。がんになったからといって、いきなりできるようになるのかと自問すれば自信はない。自分の言葉ひとつで家族の受け取り方を変えられると思うほどの傲慢さも持ち合わせてはいなかった。

 結局のところ思っていることをそのまま言うしかなかった。家族は反対しなかった。私は感謝した。

 次に相談したのは、大学教員歴の長い友人だった。治療を始めると配慮を求めることになるかもしれないので、状況説明はすべきだろうというというアドバイスを得た。

 後から考えれば当たり前のことのように思えるが、自分ひとりではこの結論には至れなかった。

誰にでも起こりうる未来の可能性

 当時の私が迷っていたのは、直ちに話すか、あるいは本当に「突然具合が悪くなる」まで言わない方がいいのかだった。言わない方がいいのではないかと感じた理由は、過剰に配慮されて迷惑になるのではないかということだった。その根底にあるのは「病人」であることが「弱み」であるという思考回路だ。パーソンズの時代のそれに近い社会的役割にこだわる考え方に今なお侵されていた。そう思うと同時に、同じ目線を他者に対しても抱いていたことを意識した。

 第5回で、「がんではなさそうな高齢の入院患者」を羨ましく、妬ましく感じたことを書いたが、この感覚も「まだ若い自分は本来、労働人口を担うべきだ」という考え方に根ざしている。裏を返せば弱者への偏見につながる怖さが潜んでいる。

 がんにならなければ、見過ごしてしまったかも知れない思考の澱のようなものが溜まっていることを初めて自覚した。そうして私は、がんになったことで逆に「明るくなる視野」があることを知った。

 友人の言葉に力を得て、それからの一週間で、私は職場の上司や関係者に状況を洗いざらい話し、仕事を続けたいという意思を伝えた。

 上司は宮野さんにとっての磯野さんさながらに、誰にでも起こりうる未来の可能性に過ぎないと受け止めて、励ましてくれた。

※記事中で引用した文献・資料の出典は以下の通りです。

『急に具合が悪くなる』(著 宮野真生子・磯野真穂/晶文社/2019年9月)
『現代社会学大系第14巻 社会体系論』(著 T. パーソンズ/訳 佐藤勉/青木書店/1985年12月10日第1版第9刷)

Y・J
1963年生まれ。京都大学大学院を経て、テレビ局に就職し、数多くのドキュメンタリー番組や教育番組を手掛ける。退職後は大学に転職し、現在も教員としてメディア論や社会学などを教えている。

デイリー新潮編集部