【歴史】尼将軍か悪女か?北条政子が下した非情な決断と幕府を守り抜いた生涯

写真拡大 (全2枚)

女傑か?悪女か?幕府を守った尼将軍と北条氏

非情な決断を迫られた北条政子

 正治元年(1199)、源頼朝は53歳で死去。死因は、落馬による外傷や糖尿病など諸説あり定かではありません。頼朝の死後、妻の北条政子は尼御台(貴人の妻が夫の死後に出家して称した尊称)となり、二代将軍・頼家、三代将軍・実朝の母として幕府運営を支えました。

 また、実朝が暗殺されたのち、後鳥羽上皇と鎌倉幕府が対立した承久の乱では、動揺する御家人たちに「頼朝の恩」を説いて結束させ、幕府の危機を救う「尼将軍」として北条氏の執権政治を確立しました。

 政子は、幕府の危機を救った英明な尼将軍と評される一方で、「日本三大悪女」の1人に挙げられることもあります。悪女とされる主な理由は、その嫉妬深さや、北条氏による権力奪取を支えるために行った非情な決断にあります。

 歴史書『吾妻鏡』には、政子が夫・頼朝の不倫相手やその子どもを徹底的に排除したエピソードが記されています。また、自らの子である頼家、実朝が次々と非業の死を遂げるなか、実家である北条氏に幕府の主導権を握らせるため、結果として息子たちの失脚や死に関与したともいわれています。とはいえ、政子は単に北条氏の利益を追い求めたのではなく、頼朝が残した武家政権の維持のため最善策を採ったと考えられています。

 北条氏が執権として実権を掌握する過程で、政子は幕府を支える柱として不可欠な存在でした。

執権北条氏の系譜

執権を世襲した北条氏

 鎌倉幕府の将軍を補佐する最高職「執権」を代々世襲した北条氏は、源頼朝の挙兵を支えた北条時政を祖とし、義時、泰時らが体制を確立。嫡流である「得宗」を中心に、約100年にわたり幕府の実権を握りました。また、名越・金沢・極楽寺・赤橋・大仏らの分流が執権やそれに次ぐ連署などの要職を輩出し、得宗家を支えながら幕府の中枢を担い、その政治を補佐しました。

日本最古の武家文庫「金沢文庫」

金沢北条氏の祖・北条実時は、武蔵国六浦荘金沢郷(現・横浜市金沢区)の邸宅内に日本最古の武家文庫とされる「金沢文庫」を創設。この施設は、武士の教養を高める場として設立されました。北条氏滅亡後も蔵書は称名寺で管理され、現在は「神奈川県立金沢文庫」で保管されています。

【神奈川県立金沢文庫】
旧金沢文庫本を引き継ぎ昭和5年(1930)に復興された。現在の建物は平成2年(1990)にリニューアルオープン。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話』監修:神奈川県立歴史博物館 館長 望月一樹

【監修者紹介】
望月 一樹(もちづき・かずき)
神奈川県立歴史博物館館長。昭和36年(1961)横須賀生まれ、鎌倉育ち。駒澤大学文学部歴史学科を卒業後、神奈川県史資料の整理作業に携わり、昭和63年(1988)に川崎市市民ミュージアムの歴史担当の学芸員、その後学芸室長となる。平成29年(2017)に横浜にあるシルク博物館の学芸担当課長、平成30年(2018)からは神奈川県立歴史博物館の学芸部長に就任し、令和3年(2021)から現職。学生時代は日本古代史を研究していたが、学芸員になってからは江戸時代を中心に川崎をフィールドとして調査研究を行っている。共著に『博物館の仕事』(岩田書院)など。また「律令制下における橘樹郡の様相」(『史叢』95号)や「ペリー来航時における川崎沿岸地域の様相」(『川崎市文化財調査集録』54集)など論文も多数。