【奥野史子 我が道6】「あんたがやったんでしょ」 食事制限以上につらかった“事件”
中学生の頃の私は太りやすい体質だったので、ダイエットが大変でした。普通、シンクロの選手は脂肪が浮力に関係するので食事をたくさん取らなくてはいけないのですが、私がそういう体になったのはもっとずっと後のことで、思春期だった中高時代は逆に「食べるな、食べるな」と言われていました。
今でこそ女子選手の健康についてはきちんと配慮されていますが、当時はそんな考えはありませんでした。極端なダイエットが横行していて、私も栄養摂取量が少なすぎたために、高校生の時に生理が止まってしまいました。
これは今では大きな社会的な課題の一つです。女性は若い頃に栄養摂取量が少なすぎて生理が止まると、骨密度が下がってしまう。20歳を過ぎるともう骨密度は上がらないので、10代のうちにきちんと必要な栄養を摂取しておかないと、大人になった時に月経不順や骨(こつ)粗鬆症(そしょうしょう)になる危険があるのです。
でも当時はまだそんな知識は誰も持っていなかったので、今だったら完全にアウトの激しいダイエットをしていました。ブロックのカロリーメイトを1食4本、400キロカロリーまで。1日1200キロカロリーで猛練習をしていたので普段からもうフラフラでした。練習をしていてもだんだん力が入らなくなってしまって…。でもそうしないと試合で思うように体が動かないので仕方がない。
女性の体はホルモンバランスの関係で思春期の間は太りやすく、大学生ぐらいでようやく落ち着いてきます。その頃になると練習量もどんどん増えてきて精神的にもプレッシャーがかかってくるので、今度は一転して太れなくなる。「食べるな、食べるな」からいきなり「食べろ、食べろ」ですからね。
バルセロナ五輪の前には1日に4000~5000キロカロリーぐらいは食べていたと思います。食べては泳ぎ、食べては泳ぎ、後は寝るだけ。何しろ1日10時間以上プールに入っていましたからね。
たくさん食べるのは苦痛でしたが、しっかり食べておかないと練習が終わる頃には2キロぐらい体重が落ちている。もう必死になって食べまくりました。
食べ盛りの中学生に食事制限はつらかったですが、それ以上につらい“事件”もありました。デュエットを組んでいたパートナーが突然、私にいじめられたと言ってクラブをやめてしまったのです。
もちろん、私はそんなことはしていません。全く身に覚えがない。パートナーがうそをついてやめていったというだけでもショックなのに、もっと悲しかったのは井村先生に全く信じてもらえなかったことでした。
いくら「何もしていません」と潔白を主張しても、「あんたがやったんでしょ」の一点張りで何も聞いてもらえない。それでも私は「やっていないものはやっていない」と絶対に譲りませんでした。
◇奥野 史子(おくの・ふみこ)1972年(昭47)4月14日生まれ、京都市出身の54歳。6歳から「京都踏水会」でシンクロを始め、同志社大2年の時に出場した92年バルセロナ五輪のソロとデュエットでともに銅メダルを獲得。94年世界選手権では「笑わないシンクロ」で史上初の芸術点オール10点満点を記録した。引退後は日本人で初めてシルク・ドゥ・ソレイユに出演。02年に陸上の朝原宣治と結婚した。

