月刊文藝春秋の電子版『文藝春秋PLUS』に掲載されている「昭和100年の100人」シリーズは、各界著名人の知られざる素顔を、縁のある人物が語っている。

【画像】芥川賞を受賞した頃の中上健次とその家族

 なかでも、「文化人篇」では、石原慎太郎、阿川弘之、佐藤紅緑、檀一雄、中上健次といった昭和を代表する作家について、その子どもたちが語り手として登場した。

“ひと癖”ある父親3人

 石原慎太郎の次男・石原良純氏は、「親父は怖い存在だった」という。子どもの頃に感じた父親の怖さについて次のように説明した。


石原慎太郎 ©文藝春秋

「とにかく目つきが怖い。昔の目つきは、今よりずっと鋭くて恐ろしかった。実家には、誕生日にケーキを囲んで、両親と息子4人が写っているような写真がたくさん残っている。だが、写真を見ても、その光景をはっきりと思い出すことはできない。理由は、親父が怖かったからだろう」(良純氏)

 もちろん、父親としての石原慎太郎は怖いだけの存在ではなかった。「子煩悩で、子供のことになると極度の心配性を発揮するのも親父の特徴だ。大地震がくるという噂が流れたときには、兄弟揃って学校を休ませた」と良純氏は振り返った。

 阿川弘之の長男・阿川尚之氏(2024年死去)は、気難しい父についての記憶を次のように語っている。

「とにかく子供が育つ環境としては劣悪であった。もの心ついて以来、父は賭けごとばかりしている。麻雀やらドボン(トランプばくちの一種)に誘われてでかけ、二三日帰ってこない。あるいは家に相手を呼んで花札を引く。狭い公団住宅、子供が寝ている隣の部屋で、夜中までののしり合いながら、やっている。教育にいいわけがない」(尚之氏)

 こうした体験を経る中で、尚之氏は「父のようにはなるまい」と子どもながらに固く決意したという。ただ、阿川弘之は、親ばかな一面を見せるときもあった。「私がロースクールへの留学から帰り、その経験を本にまとめたいと言ったら、知らぬ間に出版社へその話をもちこんでいた」と尚之氏が明かしている。

 昭和の人気作家・佐藤紅緑を父に持つ佐藤愛子氏(今年4月死去)は、自身の育った家庭の波瀾万丈ぶりを小説『血脈』に描いた。愛子氏の兄であるサトウハチローもまた、昭和の大詩人として歴史に名を刻んだ人物だ。佐藤紅緑とサトウハチローの交流する姿を通じて、愛子氏は父の記憶を語っている。

 子ども時代のサトウハチローは、手の付けられない不良息子だったが、佐藤紅緑がサトウハチローを叱ることはなかったという。

「紅緑の少年時代、生れ故郷の弘前では『佐藤の伜(せがれ)』といえば知らない人がないくらいの乱暴者だったという」(愛子氏)

「そんな紅緑にどうして八郎を叱ることが出来ただろう。普通の少年の何倍ものエネルギーを持って生れ、それを制禦出来ずにつき動かされてしまう気持が、誰よりもよく理解出来たのだろう」(愛子氏)

 こうしたエピソードを明かした佐藤愛子氏は「八郎が私は羨ましい」と締めくくっている。詳しくは、ぜひ本文をお読みいただきたい。

娘の背中を押した檀一雄

 女優として活躍している檀ふみ氏の父親は、無頼派の象徴的作家・檀一雄。父親の記憶を振り返る中で、檀ふみ氏は意外なエピソードをユーモアたっぷりに明かしている。

 ある日、女優にスカウトされた檀ふみ氏は、その後に父親から書斎に呼ばれ、「どうするの、やるの、やらないの?」と問われ、「やりません」ときっぱり答えたという。その理由について次のように語る。

「私はこんなに背も高いし、顔もまずい。第一、演技の『エ』の字も知らない。何よりも、受験が控えている。(中略)なんていい子なんだろう! 私が親なら、感動にむせび泣いたことだろう」(ふみ氏)

 すると檀一雄は、「チャップリンをご覧なさい、ジャン・ギャバンをご覧なさい。あの人たちが、背が高いか?顔がいいか?みーんな努力です!」と不機嫌そうに言ったという。こうして、檀ふみ氏は女優の道を歩み始める決意をしたのだった。当時の檀一雄の気持ちを、ふみ氏は次のように考察している。

「私は、マジメな高校生だったと書いた。決して枠からはみ出そうとしない。それが、父には歯がゆくてたまらなかったのだろう。娘はせっかく与えられたいのちを粗末にしている。そう思って、枠の外に線を引いてやった。その飛び出た線が『女優』だったのだ」(ふみ氏)

「愛」を語った中上健次

 作家の中上紀氏は、父親である中上健次の思い出を綴った。「今でも時々、父の夢を見ることがある」という文章で始まり、自らの父親像を次のように表現している。

「父は私にとって甘える対象ではなく、空のようにあり、海のようにある存在だった。見えなくても、いつも必ず側にあるもの、私の帰るべきところ」(紀氏)

 中上健次の生前、中上紀氏は父の作品をほとんど読むことがなかった。しかし、父の死後に「少しずつそのページを開いていった」という。

「何より、父に会いたかった。作品を開けば、父がそこにいた。しかし、時が経つにつれ、わたしはそれらの作品を父の、というよりも、一人の敬愛する作家のものとして読むようになっていった」(紀氏)

 紀氏が綴った本文では、中上健次から送られた手紙が引用されている。この手紙を読んだとき、中上紀氏は「感動して涙が止まらなかった」と明かしている。詳しくは本文をお読みいただきたい。

※月刊文藝春秋の電子版『文藝春秋PLUS』では、「昭和100年の100人」シリーズを順次公開しています。今回紹介した記事のほかに、芥川龍之介、獅子文六、北杜夫、島尾敏雄といった作家についてその肉親が語っています。

(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 電子版オリジナル)