「災害時のインプレ稼ぎ」と「個人支援の難しさ」 能登の被災者が考える支援の形 輪島市町野町出身のシナリオライターが見つめる“ふるさと”の今・特別編

27日未明から石川県内を襲った記録的大雨は、大きな被害をもたらしました。そんな中、2024年の奥能登豪雨の動画を現在の状況としてSNSで投稿・拡散するケースが相次ぎました。
いずれもインプレッション数を上げ、収益を目的としたもので、能登に住む被災者から指摘をされていてもなお、掲載され続けています。
これらの投稿は、2024年の奥能登豪雨の映像を使って行われたデマです。今回の記録的大雨で輪島市では河川の氾濫はありません。
石川県輪島市町野町出身で東京在住のシナリオライター、藤本透さんは、現地ならではの情報や行政の情報をまとめ、ご自身の実家も被災しながら、発災から一日も休むことなく、X(旧・Twitter)で発信を続けています。
MRO NEWSDIGで配信している藤本さんの連載、今回は、特別編として、被災地での写真撮影や藤本さんに届けられた被災者からのメッセージを通じて、SNSのあり方、能登半島地震・奥能登豪雨の二重被災の経験から見えてくることを考えます。
災害現場での配慮を令和8年熊本地震の発災からまだ間もない、7月31日。早くから現地入りした方々によるSNSへの被災写真の投稿が目立ちはじめました。
能登半島地震でも倒壊家屋の写真の投稿が相次ぎ、無断で撮影したり、SNSに投稿したりしないように巡回中の警察官が注意をする事態になりました。
特に輪島市街地の中心部に程近い場所にある倒壊したビルでは、まるで記念写真のような撮影が相次ぎ、現地の方々の心を深く傷つけました。
災害現場における記録は重要かもしれません。ただ、それを無断で撮影し、SNSに投稿する意味を、今一度考えていただきたいと切に願います。
どんなに壊れていても、そこは瓦礫ではなく、思い出の詰まった誰かのお家であることを決して忘れないでいただきたいと思っています。
熊本地震で能登の被災者が感じること8月1日、令和6年能登半島地震から2年7か月、奥能登豪雨から間もなく1年11か月、令和8年熊本地震から5日が経ったこの日、筆者(藤本)に能登の方からひとつのメッセージを頂きました。
許可をいただいた上で、全文ご紹介させていただきます。
能登の方からのメッセージ
令和8年熊本地震から5日が経ちました。能登で支援活動を続けている災害支援のプロたちは早々に熊本へと動いています。日頃からの団体間の連携を生かし、現地からの声を確認しながら迅速に、そして極力現地の方々の負担とならないように、ニーズを慎重に確認して行動しているそうです。発災直後からの報道、SNSを通して知る現地の様子は、あの時と重なる場面がいくつも目に入ってきます。また、真夏の被災は、真冬の被災とは違う過酷さを私達に教えてくれています。
当時の能登は、たぶん今の熊本のように全国ニュースで流れていたんだろうな、と改めて思います。
発災後の約2週間、筆者の地区は主要道路のほとんどが寸断され、ライフラインが全滅し、さまざまな情報が全くと言っていいほど入ってこない時間を過ごしてきました。
そんな中、滞在していた避難所に突然現れた、明らかに地元の人ではない見知らぬ人達は『物資を持ってきた』とか、『まだ見つかっていない人がいますか?探すの手伝います』とか、こうした情報をニュースやSNSなどから得て、荒天と悪路と渋滞の中を駆け付けてくださったことが、今なら十分理解できます。
いろいろな形でご支援してくださる方々への感謝は、今も尽きることはありません。(続く)
「どこが今大変ですか?」と聞かれても「どこも大変」としかただ正直なところ、いくら災害支援のプロ集団であっても、失礼ながら誰もが知っている、というわけではなく、当時は混乱が続く中でいきなり目の前に現れたら、果たして信頼していい方々なのか、支援の手をつかんでよいのかとても戸惑いました。
火事場泥棒の話が同じ頃には既に出回っていたからです。相手はそのことも想定済みで、信頼を得るためのノウハウをしっかり持ち合わせ、被災者の心に寄り添う形を徹底しておられたと思います。
個人で駆け付けた方の場合はもっと戸惑いました。特に、地元に親戚やゆかりのある人がおらず、報道を知って衝動的に駆け付けてくださった方。現場活動がしたくて来た人からは『どこが今大変ですか?』と尋ねられても『どこも大変』であったし、それ以前に周辺の状況すら避難所にいる人達にはまともに情報がなくて、返答に困ることがありました。(続く)
善意の物資提供が抱える難しさ物資の提供に来た人は、車いっぱいに水や日用品など、あったら助かるだろうと判断したものを載せていて、そこに込められた思いも一緒に受け入れ、応えられるよう心がけていました。しかし、ここにもどうしても難しい一面がありました。個人での物資提供には、用意できる数の限界があるからです。
避難所では、全員に配布するものを平等にする傾向があります。小規模な避難所でもたいてい20~30人はいて、その人数分なかったら渡すのを保留にするか、対象者を限定して渡すといったことがなされていたと思います。
筆者がいた避難所は、多い時で200人以上いました。近隣にも100人、200人集まっている避難所が数か所、それに車中泊、自宅で安全確保しながら過ごす被災者が町じゅうにいて、避難所に寄せられた物資がこれら住民達の命綱になっていました。これだけの規模になると、個人からの物資は全体に役立てようにも平等に配り切れず、難しさと申し訳なさを抱えることにもなりました。
こういう時(発災から間もない急性期)は行政機関で調整し、関係団体から必要数が確実に届く流れのほうがその場に合っているように感じました。
どんな立場であっても、『被災者を助けたい』という気持ちで動いているのはとても伝わりました。
しかし、フェーズによって、それぞれの立場に合った支援の仕方があることを、この2年7か月で学びました。(続く)
現地の負担にならない支援とはあくまで私の個人的な考えですが、
①発災直後の1~2週間は現場のプロができることはそこに任せる。②個人ができることは、募金なりボランティア活動なり、まず現地の受け皿が整うのを待つ。これらの視点を持っていただくことが、大切なのではないかと思います。
募金受付が始まれば募金をすることができますし、ボランティア受付が始まれば、ボランティア登録をして現地で役立つことができます。
『なにかしたい』、その気持ちは否定しませんが、それは発災直後ではないように思います。まずは、気持ちを一旦落ち着かせて、自分が出来ること・やりたいことに合致する情報や、現地の受入体制が出てから動き出すのが現地の負担軽減に繋がるのではないでしょうか。
そして、このことも忘れてはならない思い、記します。
地元の消防、警察、病院、福祉施設、役所の職員は、こうなったとき真っ先に被災者のために動かなくてはならない方々です。
職場が被災していても、家族がどうなっていても、そこを向いている場合ではなく、地域の安全確保、不明者捜索や救助活動、負傷者処置、避難所開設などの被災者対応といった役割を担っています。昼夜関係なく道路やライフラインの復旧に徹する地元の現場系業者の方々も同様と思っていただきたいです。
その方々がそれぞれの役割に専念できるよう、そして被災者の一人でもあることを忘れないよう、配慮を願ってやみません。(メッセージここまで)
繰り返される事例、立ち止まって考える10年前の熊本地震の時も、2024年の能登半島地震の時もSNSでデマが相次ぎました。
中には、刑事事件となったものもありますが、時間がたって、別のところで災害が起こると同じことがまた起こります。
災害が起きるたびに繰り返される善意の空回り、心ないSNSの投稿。被災地の声から学ぶべきなのは、「想像力」を持つことではないでしょうか。
画面の向こうには思い出を失い傷ついた人々がいること、そして、善意が時に現場の負担になる時期があること。その想像力こそが、本当の意味での寄り添いに繋がります。
「何かしたい」という温かい気持ちを真に生かすためにも、まずは一度立ち止まり、正しい情報と現地の受け入れ態勢を待つ。そんな支援のあり方が、これからの社会の常識となることを願ってやみません。
MRO北陸放送では、被災地の声を集め続ける藤本さんが見つめる被災地の現状をNEWS DIGで、毎月掲載します。
藤本透
シナリオライター。アプリゲーム『ノラネコと恋の錬金術』メインシナリオライター。『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』、『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル2』のシナリオ執筆に携わるほか、様々なジャンルでの執筆を手がける。石川県輪島市町野町出身で、石川県を舞台に描かれたアニメ「花咲くいろは」の小説版を執筆。2024年1月1日の能登半島地震発生以降、SNSを通じてふるさとの情報を日々きめ細かく発信している。