世界の「KUSAMA」、幼い頃から悩まされた幻覚・幻聴を作品に昇華…「命が尽きた後も永遠に受け継いで」
網目や水玉をモチーフに、幻想的な作品で世界的な人気を博した前衛美術家の草間彌生(やよい)さんが97歳で亡くなった。
いち早く海外で認められた世界の「KUSAMA」。幻覚や幻聴を作品に昇華し、最期まで創作にささげた人生だった。
「一生を通して絵をやる。描きたくてしょうがないんです」。最近まで制作を続け、常々語っていた。
幼い頃から薄い布に取り囲まれたり、花がしゃべりかけてきたりする幻覚や幻聴に悩まされていた。その時の恐怖や動揺を鎮めるために絵を描いていたことが、創作の原点だった。草間作品の特徴の一つである水玉模様も、子どもの頃から描いていたという。
渡米を経て、1966年には国際的な現代美術の祭典「ベネチア・ビエンナーレ国際美術展」で、ゲリラ的にプラスチック製のミラーボール約1500個を屋外の芝生の上に敷き詰めたインスタレーション(空間芸術)作品を展示した。トレードマークの水玉模様を生かし、反戦や性の解放などメッセージを託したパフォーマンスも行った。「ハプニングの女王」として名をはせた。
体調を崩し、73年に帰国すると、しばらくメディアから遠ざかった。しかし、89年にニューヨークの国際現代美術センターでの回顧展をきっかけに、国際的な再評価が始まった。93年のベネチア・ビエンナーレ国際美術展で日本館の出品作家に選ばれるなど、それほど高くなかった日本での評価も変わっていった。ニューヨーク近代美術館でも大規模個展を開催した。
2000年代に入ると、ますます国内外の国際芸術祭に参加したり、大型巡回展が開催されたりするようになる。特に13年から始まった中南米の巡回展には、大きな反響があった。オークションでも作品が億円単位で落札されるようになるなど、世界的な美術家としての地位を確固たるものにしていった。
都内の病院からスタジオに通い、毎日午前9時台から午後6時頃まで、一心不乱に絵筆を握り、「何か食べてくださいと言わないと、食事を忘れてしまう」ほどだったという。近年は、09年に始めた集大成の絵画シリーズ「わが永遠の魂」などの制作に没頭していた。大型のキャンバスに、具象から抽象まで様々なモチーフを色彩豊かに描き込んだ。194センチ四方の作品を中心に制作した。
17年に国立新美術館(東京都港区)で開かれた大規模個展での開会式で、草間さんは「私は毎日朝から晩まで芸術に身をささげております。前衛芸術家として、命の果てるまで戦いたい。命の限り、真剣に作り続けた作品を、私の命が尽きた後も、人々が永遠に受け継いでいってほしい」とあいさつしていた。
18年頃からは、描く作品のサイズが約100センチ四方や130センチ四方と小さくなったが、それでも制作意欲は衰えなかった。
