戦慄のタワマン×因習村ホラー。「どんなに賑やかな都会であっても、人が死んでいない土地はない」『ぬひんさまの塔』【綿原 芹 インタビュー】
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年9月号からの転載です。
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綿原芹さん
東京駅から約20分という好立地に建つ、瀟洒なヴィンテージタワーマンション。そこには幾つもの奇妙な規約があった――。期待の新鋭・綿原芹さんの第2作『ぬひんさまの塔』は、タワマン×因習村ホラーという野心的な長編だ。
「ホラーでは因習村と呼ばれる、人里離れた閉鎖的な土地がよく描かれますよね。わたしもその手の話は大好きですが、都会にも因習村は存在しているんじゃないか、というのがこの作品の出発点。そこで思いついたのがタワーマンションという舞台でした」
横溝正史ミステリ&ホラー大賞・大賞を受賞したデビュー作『うたかたの娘』ではルッキズムと人魚伝承を絡め、本作では都心のタワマンと因習村を重ね合わせる。現代的なテーマと土俗的モチーフの融合は、綿原ホラーの特徴かもしれない。
「古いものと新しいものを組み合わせるのが好きなんでしょうね。銀座のビルの屋上に祠があるとか、繁華街の路地に古い石碑が残っているとか、そういう風景に心惹かれるんです(笑)。どんなに賑やかな都会であっても、人が死んでいない土地はないし、過去に目を向ければホラーの題材はいくらでも見つかります」
舞台となるのは21階建てのタワマン・ロイヤルスカイタワー。物語は「低層」「中層」「高層」という3つのパートから、このマンションと土地にまつわる恐ろしい事件を描いていく。第1章の「低層」で主人公を務めるのは低層階の1LDKを購入し、憧れのタワマンに入居した会社員・井上清那だ。
「彼女は因習村に外部から入ってくる立場。それでタワマンにステイタスを感じる外資系の銀行員という属性を与えました。わたしも清那と同じく地方出身で、東京でばりばり働いて稼ごうと考えていた時期もあります。自分にとって共感しやすい、等身大の女性ですね」
しかし引っ越し早々、清那は予想もしていなかった事態に遭遇する。挨拶に来た理事の老人たちに、「結婚前にマンションを買う女なんて貰い手がないと思うがね」などとセクハラ発言を浴びせられるのだ。しかもマンションには細かい規約があり、ベランダか窓に風車を挿すこと、庭に祀られている〈ぬひんさま〉に交代でお参りすることなどの不可解なものもある。
「理事会の老人たちのような嫌な人たちはいくらでも書けます(笑)。これはわたしの未熟さでもあるんですが、善人よりも悪人の方が書きやすいんですよ。今回は参考資料として都内に実在するマンションのルポも読みました。客を無断で泊めてはいけない、ウーバーイーツも禁止など異様なほど細かい規約があるんですけど、当初はよかれと思って作られたのだと思うんですね。それが年月とともに積もり積もって、住人の生活をがんじがらめにしている。共同生活の難しさだなと思います」
■ある価値観に染まると世間の常識が見えなくなる
ほどなく清那はマンションの廊下を歩く下駄の音に悩まされるようになる。さらに何者かにストーカー行為を受け、不安と恐怖は日に日に高まっていくのだ。実はそこまでホラーマニアではないという綿原さんだが、怪異と人の怖さを巧みにミックスさせ、迫真の恐怖シーンを生みだしている。章後半で意外な事実が明かされる、ミステリー的なひねりも鮮やかだ。
「今回はホラーを書くぞと意識して、デビュー作以上に怖いシーンを盛りこみました。ミステリー的な仕掛けは、ページをめくってもらうための工夫として入れています。各章の終わりにどんでん返しを入れれば、最後まで読んでもらえるかなと。ヒューマンドラマの中にミステリー的な仕掛けが自然に溶け込んでいる作品、たとえば辻村深月さんのような作品がひとつの理想ですね」
「中層」の主人公は12階に入居している専業主婦・朝日奈純。息子・由弥の小学校受験に力を注ぎ、「東京に住みながら子どもに小学校受験をさせないのは、親の怠慢」とまで語る純は、中層階に住む富裕層の価値観を象徴している。
「純は小学校受験に没頭する母親のステレオタイプとして描いています。お受験ルックの紺のワンピースを着て、ママ友の前では素の部分を見せずに生きている。純の発言にはぎょっとさせられますが、実際にこういうことを言う人はいますよね。ある価値観にどっぷり浸かると、自分の常識を世間の常識だと思い込んでしまう。これもひとつの因習だと思います」
そんな彼女を悲劇が襲う。目を離した隙に、由弥がマンションの庭で消えてしまうのだ。懸命に由弥を探す純に、理事長の理森珠代は言う。ぬひんさまは強くて立派な神様だが、子どもが大好きなのだと。
「作中にも書きましたが、神様とお化けは表裏一体の関係のように感じます。人間に祀られているのが神様で、祀られなくなったものがお化け。人には理解の及ばない存在であるという点は共通しています。ぬひんさまという名前は、ある妖怪の別名をもじったもの。子どもをさらうとも言われているので、内容にぴったりだと思いました」
怪異に悩まされている清那や純に、救いの手を差し伸べる人物がいる。スカイタワーに住む中年男性で、霊能者でもある桐村だ。ある事情からぬひんさまと深く関わることになった彼は第3章「高層」において怪異を引き起こしているものの正体に迫っていく。陰影に富んだ桐村のキャラクター造形も本書の魅力のひとつだ。
「この人が出てくれば即解決、というカリスマ的な霊能者キャラも好きなんですが、自分が書くなら人間くさく、哀愁を漂わせた中年男性がいいなと。これは一種のファンタジーですが、女性よりも中年男性のほうが、自分より遠い分いい人として描きやすい。桐村のキャラクターは個人的にも気に入っています」
■誰にとっても他人事ではない因習に縛られる恐ろしさ
マンション内で異変が相次いだことで、珠代や理事たちも危機感を募らせる。その結果生まれたのは、ぬひんさまを鎮めるための新たな因習だった。暴走していく集団の怖さが、目を覆いたくなるような場面とともに描かれていく。
「集団が暴走してしまう背景には、一人一人の恐怖心や不安があると思うので。集団心理の危うさは『うたかたの娘』でも描いていますし、わたしにとって恐怖の対象なんでしょうね。大人になった今でも集団にうまくなじめないので(笑)、こういう状況は怖くてたまらないんですよ」
桐村がたどり着いたのは、マンション建設以前にまでさかのぼる、ある悲しい真相だった。怪異とともに人の業があぶり出されていく展開は、前作『うたかたの娘』同様に読み応えがある。
「悪者を見つけて終わりではなく、その人にも複雑な事情があって、誰かを大事に思ったり嫉妬したり、色んな気持ちを抱えている。それは桐村も同じで、対比的に描くことができたかなと思います。わたしが一番書きたいのは、ヒューマンドラマの部分なんです」
本書が描いている問題は、決して東京に限ったものではない。都会でも田舎でも人は常に誰かを見下し、羨み、因習を作り出すものなのだ。誰にとっても無縁ではない恐怖を描いた、令和ホラーの新たな収穫だ。
「学校でも職場でもネット上の趣味の界隈でも、人が集まればルールができ、因習が生まれます。自分とは遠い話と思っていても、実はそうではないかもしれません。タワマン暮らしの方にもそうでない方にも、楽しんでもらえる作品になっていると思います」
取材・文:朝宮運河 写真:冨永智子
わたはら・せり●1987年、福井県生まれ。東京在住。2025年、『うたかたの娘』で第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞・大賞を受賞して作家デビュー。ルッキズムの問題と人魚伝承を絡めた同作は、ランキング本『このホラーがすごい!2026年版』で第8位にランクインした。ホラー・ミステリーの次代を担う新鋭。

『ぬひんさまの塔』
(綿原 芹/KADOKAWA) 2145円(税込)
厳しい審査をパスしなければ入居できない、都心のヴィンテージマンションの一室を購入した会社員・井上清那。タワマンでの新生活が始まるが、暗雲がたちこめる。バルコニーに並んだ黒い風車、入居階数による序列、そして庭に祀られた神・ぬひんさまの存在。やがて清那は怪異に見舞われるようになり……。戦慄のタワマン×因習村ホラー。
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東京駅から約20分という好立地に建つ、瀟洒なヴィンテージタワーマンション。そこには幾つもの奇妙な規約があった――。期待の新鋭・綿原芹さんの第2作『ぬひんさまの塔』は、タワマン×因習村ホラーという野心的な長編だ。
「ホラーでは因習村と呼ばれる、人里離れた閉鎖的な土地がよく描かれますよね。わたしもその手の話は大好きですが、都会にも因習村は存在しているんじゃないか、というのがこの作品の出発点。そこで思いついたのがタワーマンションという舞台でした」
「古いものと新しいものを組み合わせるのが好きなんでしょうね。銀座のビルの屋上に祠があるとか、繁華街の路地に古い石碑が残っているとか、そういう風景に心惹かれるんです(笑)。どんなに賑やかな都会であっても、人が死んでいない土地はないし、過去に目を向ければホラーの題材はいくらでも見つかります」
舞台となるのは21階建てのタワマン・ロイヤルスカイタワー。物語は「低層」「中層」「高層」という3つのパートから、このマンションと土地にまつわる恐ろしい事件を描いていく。第1章の「低層」で主人公を務めるのは低層階の1LDKを購入し、憧れのタワマンに入居した会社員・井上清那だ。
「彼女は因習村に外部から入ってくる立場。それでタワマンにステイタスを感じる外資系の銀行員という属性を与えました。わたしも清那と同じく地方出身で、東京でばりばり働いて稼ごうと考えていた時期もあります。自分にとって共感しやすい、等身大の女性ですね」
しかし引っ越し早々、清那は予想もしていなかった事態に遭遇する。挨拶に来た理事の老人たちに、「結婚前にマンションを買う女なんて貰い手がないと思うがね」などとセクハラ発言を浴びせられるのだ。しかもマンションには細かい規約があり、ベランダか窓に風車を挿すこと、庭に祀られている〈ぬひんさま〉に交代でお参りすることなどの不可解なものもある。
「理事会の老人たちのような嫌な人たちはいくらでも書けます(笑)。これはわたしの未熟さでもあるんですが、善人よりも悪人の方が書きやすいんですよ。今回は参考資料として都内に実在するマンションのルポも読みました。客を無断で泊めてはいけない、ウーバーイーツも禁止など異様なほど細かい規約があるんですけど、当初はよかれと思って作られたのだと思うんですね。それが年月とともに積もり積もって、住人の生活をがんじがらめにしている。共同生活の難しさだなと思います」
■ある価値観に染まると世間の常識が見えなくなる
ほどなく清那はマンションの廊下を歩く下駄の音に悩まされるようになる。さらに何者かにストーカー行為を受け、不安と恐怖は日に日に高まっていくのだ。実はそこまでホラーマニアではないという綿原さんだが、怪異と人の怖さを巧みにミックスさせ、迫真の恐怖シーンを生みだしている。章後半で意外な事実が明かされる、ミステリー的なひねりも鮮やかだ。
「今回はホラーを書くぞと意識して、デビュー作以上に怖いシーンを盛りこみました。ミステリー的な仕掛けは、ページをめくってもらうための工夫として入れています。各章の終わりにどんでん返しを入れれば、最後まで読んでもらえるかなと。ヒューマンドラマの中にミステリー的な仕掛けが自然に溶け込んでいる作品、たとえば辻村深月さんのような作品がひとつの理想ですね」
「中層」の主人公は12階に入居している専業主婦・朝日奈純。息子・由弥の小学校受験に力を注ぎ、「東京に住みながら子どもに小学校受験をさせないのは、親の怠慢」とまで語る純は、中層階に住む富裕層の価値観を象徴している。
「純は小学校受験に没頭する母親のステレオタイプとして描いています。お受験ルックの紺のワンピースを着て、ママ友の前では素の部分を見せずに生きている。純の発言にはぎょっとさせられますが、実際にこういうことを言う人はいますよね。ある価値観にどっぷり浸かると、自分の常識を世間の常識だと思い込んでしまう。これもひとつの因習だと思います」
そんな彼女を悲劇が襲う。目を離した隙に、由弥がマンションの庭で消えてしまうのだ。懸命に由弥を探す純に、理事長の理森珠代は言う。ぬひんさまは強くて立派な神様だが、子どもが大好きなのだと。
「作中にも書きましたが、神様とお化けは表裏一体の関係のように感じます。人間に祀られているのが神様で、祀られなくなったものがお化け。人には理解の及ばない存在であるという点は共通しています。ぬひんさまという名前は、ある妖怪の別名をもじったもの。子どもをさらうとも言われているので、内容にぴったりだと思いました」
怪異に悩まされている清那や純に、救いの手を差し伸べる人物がいる。スカイタワーに住む中年男性で、霊能者でもある桐村だ。ある事情からぬひんさまと深く関わることになった彼は第3章「高層」において怪異を引き起こしているものの正体に迫っていく。陰影に富んだ桐村のキャラクター造形も本書の魅力のひとつだ。
「この人が出てくれば即解決、というカリスマ的な霊能者キャラも好きなんですが、自分が書くなら人間くさく、哀愁を漂わせた中年男性がいいなと。これは一種のファンタジーですが、女性よりも中年男性のほうが、自分より遠い分いい人として描きやすい。桐村のキャラクターは個人的にも気に入っています」
■誰にとっても他人事ではない因習に縛られる恐ろしさ
マンション内で異変が相次いだことで、珠代や理事たちも危機感を募らせる。その結果生まれたのは、ぬひんさまを鎮めるための新たな因習だった。暴走していく集団の怖さが、目を覆いたくなるような場面とともに描かれていく。
「集団が暴走してしまう背景には、一人一人の恐怖心や不安があると思うので。集団心理の危うさは『うたかたの娘』でも描いていますし、わたしにとって恐怖の対象なんでしょうね。大人になった今でも集団にうまくなじめないので(笑)、こういう状況は怖くてたまらないんですよ」
桐村がたどり着いたのは、マンション建設以前にまでさかのぼる、ある悲しい真相だった。怪異とともに人の業があぶり出されていく展開は、前作『うたかたの娘』同様に読み応えがある。
「悪者を見つけて終わりではなく、その人にも複雑な事情があって、誰かを大事に思ったり嫉妬したり、色んな気持ちを抱えている。それは桐村も同じで、対比的に描くことができたかなと思います。わたしが一番書きたいのは、ヒューマンドラマの部分なんです」
本書が描いている問題は、決して東京に限ったものではない。都会でも田舎でも人は常に誰かを見下し、羨み、因習を作り出すものなのだ。誰にとっても無縁ではない恐怖を描いた、令和ホラーの新たな収穫だ。
「学校でも職場でもネット上の趣味の界隈でも、人が集まればルールができ、因習が生まれます。自分とは遠い話と思っていても、実はそうではないかもしれません。タワマン暮らしの方にもそうでない方にも、楽しんでもらえる作品になっていると思います」
取材・文:朝宮運河 写真:冨永智子
わたはら・せり●1987年、福井県生まれ。東京在住。2025年、『うたかたの娘』で第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞・大賞を受賞して作家デビュー。ルッキズムの問題と人魚伝承を絡めた同作は、ランキング本『このホラーがすごい!2026年版』で第8位にランクインした。ホラー・ミステリーの次代を担う新鋭。

『ぬひんさまの塔』
(綿原 芹/KADOKAWA) 2145円(税込)
厳しい審査をパスしなければ入居できない、都心のヴィンテージマンションの一室を購入した会社員・井上清那。タワマンでの新生活が始まるが、暗雲がたちこめる。バルコニーに並んだ黒い風車、入居階数による序列、そして庭に祀られた神・ぬひんさまの存在。やがて清那は怪異に見舞われるようになり……。戦慄のタワマン×因習村ホラー。
