「介護」は、いずれ誰もが向き合う可能性のある問題。それは理解できていても、おそらく多くの人が自分にはまだ先の話だと考えているだろう。しかし、その現実はある日突然やって来る。本稿で紹介する作品は、いずれも介護の渦中を実際に生きた人々の記録。介護の実務だけでなく、割り切れない感情まで、きれいごとを排して描かれている。



 

▶『お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方』

▶『余命300日の毒親』

▶『20代、親を看取る。』

▶『48歳で認知症になった母』

▶『大切な人が死ぬとき ~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~』

■1)『お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方』一ノ瀬かおる:著、福田旭:協力

『お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方』


■誰にも気づかれず、人生が奪われていく――



 自分がヤングケアラー(本来は大人が担うと想定されている家事や家族の介護、世話などを、日常的に行っている子どもや若者のこと)だと気づかないまま、大人になる子どもがいる。『お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方』(一ノ瀬かおる:著、福田旭:協力/竹書房)の主人公・旭も、そのひとりだった。父親は旭が3歳の時に他界し、それ以降、お好み焼き屋を営む母とふたりで暮らしてきた。

 だが家計は常に苦しく、友達や学校行事よりも「家のこと」が最優先。遺産相続の話し合いすら、中学生の旭がひとりで担った。そして15歳で母が倒れ、17歳から本格的な介護が始まる。やがて、家の中が“人生のすべて”になってしまった旭。その生き方を通して示されるヤングケアラーの過酷さは、多くの人に周知されるべきだろう。

■2)『余命300日の毒親』枇杷かな子:漫画、太田差惠子:監修

『余命300日の毒親』


■“毒親”でも介護はしないとダメなのか?



「最後は優しくしてあげた方がいいんじゃない」。夫のこの言葉を、ヒトミは素直に受け取れない――。『余命300日の毒親』(枇杷かな子:漫画、太田差惠子:監修/KADOKAWA)は、著者の介護体験をもとにしたセミフィクション。母親を亡くした2年後、ヒトミの父親が“がん”で余命1年と告げられる。

 しかし彼女は、小さい頃に暴力を振るわれて育った記憶があり、父親が苦手だった。できるだけ関わらずに済む道を探すが、一人娘である以上逃げ場はなかった。やがて夫や娘たちとの生活も、心の支えだった仕事も、少しずつ削られていく。親だから面倒をみて当たり前という言い方が、どれだけ人を追い詰めるのか。その実例を知る意味でも同作を手に取ってみてほしい。

■3)『20代、親を看取る。』キクチ

『20代、親を看取る。』


■残された時間は想像よりずっと短かった



『20代、親を看取る。』(キクチ/KADOKAWA)の作者は、パートナーと同棲しながら働くデザイナー。そして70歳手前の父は、60代半ばの母と暮らしていた。その母に乳がんが見つかったのは、作者が中学生のころ。温存手術を経て、数年後には寛解(病気の症状や検査異常が軽くなること)の診断も出ていたが、がんは脳へと転移。症状は一気に悪化する――。

 作中には、医師の説明に納得できずセカンドオピニオンを探すところから、自宅でのおむつ替えや尿道カテーテルの扱いまで、実際に経験しなければわからない現実が具体的に描かれている。想定よりずっと短い残された時間をどう過ごせばいいのか。同作は、その問いを考えるためのヒントを与えてくれるだろう。

■4)『48歳で認知症になった母』美齊津康弘:原作、吉田美紀子:漫画

『48歳で認知症になった母』


■母が母でなくなっていく、認知症の恐ろしさ



 40代は、子育ての途中だったり、働き盛りだったりする年齢。『48歳で認知症になった母』(美齊津康弘:原作、吉田美紀子:漫画/KADOKAWA)は、そんな年代で若年性認知症を発症した母と、その現実に直面した家族の日々を描く実録コミックエッセイだ。

 目の前にいるのは確かに母なのに、少しずつ別人のようになってしまう…。その喪失を11歳の子どもが受け止めなければならなかった現実は悲劇に違いないが、同作には母と過ごした日々を糧に人生を切り開いていく姿も描かれている。悲しいだけでは終わらない、そんな原作者の記録に勇気づけられる人も多いだろう。

■5)『大切な人が死ぬとき ~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~』水谷緑

『大切な人が死ぬとき ~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~』


■看取りが終わっても後悔は終わらない



『大切な人が死ぬとき ~私の後悔を緩和ケアナースに相談してみた~』(水谷緑/竹書房)は、看取りをテーマにした作品。元気だと思っていた父が末期の膵臓がんと診断され、延命治療の末に亡くなってしまう。

 治らないと分かった時、どうすれば良かったのか。最期の言葉を聞いたあの日、何と言えば良かったのか。答えの出ない問いを抱えた著者は、終末期の患者と家族を支える緩和ケアナースに話を聞きに行く――。大切な人の最期を見届けたあと、後悔を抱えてしまう人は少なくない。だが同作を読めば、そこに唯一の正解などないことがわかるはずだ。

 親の介護は誰もが直面する問題であり、実際に目の当たりにすると想像以上に過酷なもの。本記事で紹介した作品には、不安に呑まれ、追い詰められてしまった人々の姿も描かれている。そうした姿も含めて描かれた記録だからこそ、迷いの真っ只中にいる人にも、まだ何も始まっていない人にも、届くものがあるかもしれない。いつか訪れるかもしれないその日に備えるためにも、まずは誰かの経験を知ることから始めてみてはいかがだろうか。

文=ハララ書房