「野球賭博でクビ」「マンジャロも打ちました」…元大関・琴光喜が栃木の蕎麦屋に「転職」した”土俵際の事情”

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親友の代わりに億単位の借金を背負い、月に金利だけで500万円の返済に追われ、自らの焼肉店も失うこととなった元大関・琴光喜(50歳)。どん底の彼に手を差し伸べたのは、2010年の「大相撲野球賭博問題」で共に相撲協会を解雇された元関脇・貴闘力(58歳)だったーー。

前編記事『元大関・琴光喜が貴闘力と二人で「同居生活」を送っていた…!野球賭博で解雇後に“月500万円の借金”を背負い、焼肉店を手放したワケ』からつづく。

「賭け事は……もうしてないです」

現在、貴闘力と栃木県内の一軒家で同居生活を送る琴光喜にとって、最大の楽しみは「食事」だ。

「朝は大盛りのチャーハン、昼は店の賄い、夜は外食することも。一番の好物は寿司。スシローにもよく行きます。めちゃくちゃ食べると思われていますが、15皿くらいです。酒は付き合い程度で、それほど好きではありません。

運動は一切していません。糖尿病予備軍で、心筋梗塞になりやすいということで薬を6種類服用しています。体重は一時、現役時代よりも20キロ以上増えて、身長(182センチ)を超えてしまいました。マンジャロで30キロ痩せましたが、辞めた後は一気にリバウンドしてしまい、現在は170キロくらいです。現役時代から応援してくださったお客さんには『ご利益がある』と言われてお腹をさわられています(笑)」

休日は週に1回だが、出かけることはほぼないという。

「給料は月に50万円で、家賃は無料です。たまにパチンコに行く程度ですね。賭け事はまだやっているか? (急に真面目な顔になって)いやいや、もうしてないです。もうやらないです」

親方になって弟子を育てたかった

冗談を交えながらインタビューに応じてくれた琴光喜だが、本来取材は大の苦手だという。

「野球賭博の際、記者が50人くらい自宅前に集まっていたことが、人間恐怖症になるくらいトラウマでした。幕下のときに借りたアパートにそのまま家族と住んでいたんですが、『お金がないから5万円のアパートに住んでいる』とかいい加減なことを書かれて。いやいや、6万円だからって(笑)。

本場所の会場に車で向かっているときに、週刊誌の記者から電話がかかってきたことも忘れられません。いろいろ問い詰められたんですが、『な、な、何がですか』『い、いや、知りません』としか言えず、めちゃくちゃ震えたんです。しかも、だいたいの内容が当たっていた。その後の取り組みでは、本来負ける相手ではない相手に負けた。その日は、まったく相撲になりませんでした」

ちなみに、現役時代に対戦した中で最も強いと感じたのは白鵬だという。角界を追われた形とはいえ、いまも相撲愛は消えていない。

「相撲取りとしては、優勝もしたし、大関にもなれた。夢は実現できました。でも、親方になって弟子を育てたかった。それだけが心残りですね。

いまは一ファンとして純粋に応援しています。実力伯仲で誰が優勝するかわからないから面白い。心の中では『俺がいま現役だったら何回優勝できるかな』なんて思うこともありますが、いまの力士はえらいですよ。もちろん野球賭博はダメですが、自分たちの時代はある程度(土俵外のことが)許された面があった。でも、いまはすぐ叩かれてしまう。何かと我慢することが多いので、窮屈な生活を強いられて大変だと思います」

商売より相撲のほうがきつい

「力貴庵」には貴乃花の名前が入った土俵も併設されており、力士や親方が来店することもあるという。

「迷惑をかけてしまうので、名前は出せません。力関は協会に嫌われていますから。あの人、YouTubeで『八角、アホ』とかひどいことばかり言っていますからね。自分自身も前妻からは『貴闘力のちゃんねるには出るな』と言われています…。

力関は普及活動にも力を入れていますが、自分としては遊び感覚で相撲を楽しめるようなイベントを開催したいですね。勝ったらお菓子がもらえるような。自分自身もお祭り相撲に参加したことが相撲の道に進むきっかけになりましたから」

国技で大関まで上り詰めながら、店で皿洗いや後片付けまでこなす日々。「激動の半生を振り返ったとき、現役時代と第二の人生、どちらが大変か?」という問いには、「一番きつかったのはつい最近」と苦笑しつつも、キッパリとこう断言した。

借金に私生活のゴタゴタ。14年やった店も失った。でも、絶対に勝たなければいけないというプレッシャーがない分、商売のほうが精神的には楽です。相撲はどれだけお客さんを喜ばせても、負けたら意味がない世界ですから。叩き込みで勝ったとき、パフォーマンスとして首を傾げていましたが、心の中では『よっしゃ!』とガッツポーズしていました(笑)。やっぱり相撲は厳しい世界です」

息子との「涙の再会」

金銭問題を機に疎遠になっていた家族との絆も、少しずつ結び直されている。名門・埼玉栄高校に進学し、相撲に打ち込む息子とは一時音信不通だったが、今年になり再会を果たした。息子の話題になると、父親の顔を覗かせ、満面の笑みでこう話す。

「ご飯に行って『父さん、LINE交換しようよ』と言ってくれたのが本当にうれしかった。厳しい世界ですが、頑張ってほしい」

現在50歳。幾多の試練がありながらも、いまは前を向いている。

「協会をクビになったとき、力関には『俺たちは普通の人生の20人分を経験できた。良かったよな』と言われました。当時は納得できませんでしたが、その後、さらに激動があり、我ながら50人分ぐらいの濃い人生を送ったと思います。

焼肉屋を始めた頃、『ありがとうございま〜す!』と大声で接客している自分の姿を見た現役時代の仲間が『大関が…。涙が出る』なんて話していましたが、もともと接客業が好きで、自分ではまったく抵抗がないんです。

もう一度自分の店を持ちたいという思いもありますが、とにかくいまは栃木で頑張りたい。じつは、力関が宇都宮で違う業態の2号店を出す計画を進めていて、そこを任される予定です。栃木に来て新しい出会いもありましたし、日々充実しています」

幾多のどん底を味わいながらも、土俵際で踏ん張り、新たな人生を歩み始めた琴光喜の今後に注目だ。

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