「ポリ袋を破って茶色い手みたいなものが」…お盆の運河に浮かんだ小1男児の遺体 「小学生の頃からワル」の実母が“執拗な折檻”に至るまで
【写真】一見すると「ごく普通の情景」だが…A君が暴行を受けたアパートなど
夏休みは虐待リスクが上昇
2001年のお盆を迎えていた兵庫・尼崎で、運河に浮いていた黒く大きなポリ袋。発見者たちはその中身に絶句した。6歳の男の子の無残な遺体。本来なら、海へ山へと元気に駆け回るはずの男の子はなぜ命を落としたのか――。夏休みに代表される長期休暇は親から子への虐待リスクが上昇する時期。子供たちの異変に気付くのは大人の大切な役割である。過去の事件を知ることで、その重要性を改めて認識しておきたい。
(全2回の第1回:以下、「週刊新潮」2001年8月30号掲載記事を再編集しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです)
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「これは人間や。まだ子供やな」
兵庫県神戸市内の小学校に通う1年生、A君(6)の遺体が発見されたのは8月13日の午後3時過ぎだった。

場所はA君が家族と暮らす尼崎市内のアパートから4キロほど離れた所を流れる運河で、この日、水量を調整する北堀水門を点検するために通りかかった尼崎港管理事務所の作業員たちが発見した。
「運河の左岸沿いに浮いた黒い家庭用の大型ポリ袋を破って、茶色い手みたいなものが突き出ておったんや。しかし、ほんとに小っちゃくてな。作業船からは小犬の足のようにしか見えなかったのです」
こう話す第一発見者の男性(62)たちはそのまま、いったんは水門に向かう。
「1時間後やった。点検作業を終えて帰る時に、今度は同じゴミ袋が右岸沿いに漂っており、しかも白いガムテープ十文字に縛られているのが分かった。それで船を近くに寄せて破れ目をジックリ見たら、人間の右手と右肩、脇腹らしい形が見えたので110番。駆けつけた警官達がゴミ袋を運河から引き揚げながら“これは人間や。まだ子供やな”というのを聞いた時は、ほんまにショックだった」
遺体発見の翌日にコンビニで騒ぎを起こす
遺体の身元はA君とすぐに分かった。これよりちょうど1週間前の8月7日、父Bと母Cが“行方不明になった長男”の捜索願を尼崎北署に提出していたからである。
地元の県警詰め記者が言う。
「実は大阪市内に住むCの母親にも頼み込んで、そっちからも嘘の捜索願を提出させていた。まあ、そこまでは自分達の犯行を隠蔽しようと知恵を働かせたようなのですが……捜索願を出した同じ日の深夜、この夫婦は2歳になる次男を友人宅に預けて姿を消してしまったのですからね。犯人は自分達だと白状しているようなものだった」
しかも、A君の遺体が発見された翌日には尼崎市内のコンビニ店で騒ぎを起こし、おかげで警察に逮捕されてしまったのだから……その間抜けさ加減も含めて、いっそ不気味な感じがするほどだ。
「生易しい殺し方ではなかった」
逮捕後の調べで、A君を死に至らしめたのは母親による執拗な折檻によるものと分かってくる。
「直接の死因は左側頭部への殴打による脳内出血なのですが、それらしい外傷は全くなかった。せいぜいが叩いたり、ど突いたりしてできた古いアザが被害児童の皮膚に残っている程度だった」(捜査関係者)
それは、CがA君に振るった最後の一撃が、革製の袋に砂を入れた凶器によるものだったからである。
「死ぬ前の被害児童の胃袋には、少なくとも3、4日前から何も入っていなかった。勝胱まで干からびていたから、水さえ飲ませていないんだ」
餓死させようとして遂げられなかったからだろうか。おそらく極限まで衰弱し切っていただろう6歳の子供に、彼女は容赦のない打撃を見舞って殺してしまったのである。
「本人は、子供を厳しく躾けようとして、誤って死なせてしまったと強弁しているが……そんな理屈が通るような生易しい殺し方ではなかったよ」
その虐待の凄まじさは兵庫県警の捜査官も思わず身震いするほどだった。
小学生の頃からワルで有名
キレやすい性格のCは、わがまま勝手で傍若無人、何事にも無責任な現代っ子そのままの生き方を平然と貫いてきたようだ。地元の事情通氏はこう言う。
「彼女は62歳の父親と27歳だった母親との間に生まれたが、その上に4人の男の子がいた。本来なら待望の女児誕生と祝福され、大事に育てられるはずの末娘なのですが、そうはいかなかったのです」
父親は元暴力団員。彼女が生まれた当時は経済的にもどん底の状態にあったという。
「若い母親が飲食店店員として外で働き、家計を支えていたのです。しかし、子供の教育に心を砕くような女性ではなかったようで、おかげで男兄弟は不良の仲間入りをして、みんなイッパシの半端者になってしまった」
両親の仲も最悪で、離婚と復縁を繰り返すような関係は父親が死ぬまで続いた。
そんな環境の中で育ったCは、すでに小学生の頃からワルで有名だった。たとえば、“ヒマやから”といって、前の席に坐っていた生徒の背中をカッターナイフで切りつけ、新聞ダネになっているほどだ。
すぐに刃物を振りまわす
当時の彼女を知る元同級生の1人は、こう洩らす。
「そんなのは事件になったから知られているだけで、当時の彼女がやったカツアゲや窃盗の被害で泣いた子供は、どれだけいたか数えられない」
キレてカッとなるだけならいいが、彼女はすぐに刃物を振りまわすものだから、実に始末が悪かったという。
「だから、中学時代は矯正施設のある養護学園に送り込まれ、途中から大阪市内の中学校に編入。そこの卒業証書をもらっているのです」
しかし、この養護学園での生活も、Cの矯正に役立ったとはとても思えないのだ。
「自分からそこでの寮生活を吹聴し、“当時はバレーボールをやらされていたので、痩せていたんやで”と自慢していたくらいでした」
同級生達よりも1年遅れで中学校を卒えた彼女はその後、年齢を偽って大阪の十三にあるキャバクラなどで働いていたが、その頃にA君の父親となる男性と知り合い、17歳で結婚してしまう。
「相手も1歳年上の18で、フーテン同然の男でしたからね。翌年には2人の間に子供まで生まれたというのに、それからちょうど1年後には協議離婚してしまうのです」
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市から月々支払われる児童手当の5000円を――。第2回【「母と養父」に“30時間の暴行”を受け絶命した「6歳男児」 施設職員が見ていた生前の無残な姿「顔は腫れ左目に眼帯。階段すら自力で上がれない」】では、A君が引き取られた経緯やその後の公判について伝える。
デイリー新潮編集部
