旧日本海軍送信所跡や陸軍少尉の認識票を発見 埋もれた戦争の痕跡を掘り起こす27歳研究家 終戦81年の思い
かつて「軍都」と呼ばれた大分県佐伯市で、埋もれた戦争遺跡を掘り起こしている若手研究家が今年、旧海軍の送信所跡や陸軍少尉の「認識票」を相次いで発見。認識票を遺族に返還するなど、戦争の記憶を未来へ繋ぐ活動を続けています。
【写真を見る】旧日本海軍送信所跡や陸軍少尉の認識票を発見 埋もれた戦争の痕跡を掘り起こす27歳研究家 終戦81年の思い
旧日本海軍の送信所の一部か
大分県佐伯市の職員で、戦争の歴史を研究する民間団体で活動している原田和哉さん(27)。今年5月、住宅の裏山で旧日本海軍の送信所の一部とみられる遺構を発見しました。
原田さん:
「草が生い茂っている場所でしたので、草刈りをしてやっとの思いでたどり着きました。見つけたときは非常に歓喜しました」
原田さんは、海軍の関連資料や地域住民への聞き取りをもとに、これまで資料でしか確認できなかった新たな戦争遺跡を掘り起こしました。
遺構土地の持ち主・池田永年さん(81):
「祖母から『ここにトンネルがあったよ』と聞いてました。トンネルに入って遊んだという記憶はあります」
陸軍少尉の「認識票」を発見
豊後水道に面する佐伯市は、明治後半から敵の侵入を防ぐ防衛の要衝でもありました。さまざまな軍事施設があったことから、戦争の痕跡が数多く残されています。
原田さん:
「祖父が京都で軍の飛行機の製造に従事していたこともあり、興味を持ちました。佐伯市の遺構は、戦後81年という歴史を経てだんだん埋もれてきているので、なんとか残したいなと思い、記録する活動を始めました」
佐伯市鶴見には、旧陸軍豊予要塞の砲台が置かれていました。配属された将校たちが暮らした住居跡が残されています。
原田さんは今年3月、この住居跡の土の中から金属製の「認識票」を発見しました。兵士が首から下げ、戦死した際などに身元を特定するためのものです。
原田さん:
「ちょっと硬い違和感があったので、土をのけていてみたら、ありました」
発見された認識票には「陸軍少尉・土井壽人」と刻まれていました。その後、従軍記録などを調べた結果、土井さんは広島県出身で、昭和19年から鶴御崎砲台で砲長を務め、ここで終戦を迎えた人物だとわかりました。
原田さん:
「太平洋戦争の終わりごろ、ここでどうやって暮らしていたのか。終戦後、何らかの理由で私物を全部捨てて、広島の家族のもとに帰ったと思われます。戦死はしていません。今後、その経緯について調べたいと思っています」
遺族のもとに直接返還へ
原田さんは、広島に住んでいた土井さんの遺族に連絡を取り、認識票の発見を伝え、9月に自らの手で届けることにしています。
土井さんの娘・稲葉由香さん:
「戦争が終わって、これでふるさとに帰れるとなったときに、戦争のことを忘れたくて埋めて帰ったのかなと思います。何かを伝えようとして認識票が見つかったのかなとも思います」
原田さん:
「100年、200年先に語り継いでいけるように、その場所を訪れることができるように、戦争中の佐伯市に点在する資料が廃れないように案内していきたいと思います」
原田さんは、今回発見した認識票の詳しいデータを残してさらに調査を進め、地元の佐伯市と戦争との関わりについて研究を続けていきます。

