太平洋戦争中の出撃映像に父の姿…著書きっかけに特定 遺族が語る亡き父と平和への思い
太平洋戦争中、旧日本軍の出撃の様子を捉えた映像の中に、大分市出身の男性の姿が残されていることがわかりました。男性が戦後に記した著書をきっかけに映像が特定され、遺族である娘が亡き父に思いをはせるとともに、平和への強い願いを語りました。
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死と隣り合わせの戦場を生きた父
8月4日、大分市の堀端優子さん(72)は親族とともに父の墓を訪れ、静かに手を合わせました。
堀端さん:
「お墓自体、最近は年をとってご無沙汰していて、4年ぶりに来ました」
堀端さんの父・松浪清さんは大分市出身で、1936年に予科練に入隊後、艦上爆撃機の偵察員として前線へ飛び立ちました。敵との交戦で負傷したほか、特攻隊員に指名されるなど常に死と隣り合わせの日々を送りました。
堀端さん:
「農家で10人くらい兄弟がいて、上級学校に行けるような状況ではありませんでした。予科練があって勉強もしたかったんだと思います。真面目で実直な人でした」
著書がきっかけ…米軍回収の映像内に父の姿
戦後、松浪さんは自身の戦争体験を著書『命令一下、出で発つは』にまとめました。戦友との会話や出撃の様子、当時の切実な思いが克明に記されています。今年5月、この著書をきっかけに戦時中の”ある映像”が特定されました。
第2次世界大戦の映像資料を発掘している市民団体「豊の国宇佐市塾」がアメリカ国立公文書館から入手・分析した映像の中に、1943年4月、ブーゲンビル島の基地から爆撃機で出撃する直前、仲間とともに訓示を受ける松浪さんの姿が記録されていたのです。
この映像は旧日本軍が撮影したもので、撃墜された機体からアメリカ軍がフィルムを回収し、保存していたものでした。
豊の国宇佐市塾・織田祐輔さん:
「松浪さんの手記、日本側の記録映像の内容から、松浪さんがここに立っていることが分かりました」
公開された映像を目にした堀端さんは、そこに映る人物が父であると確信しました。
堀端さん:
「まさに父の顔です。みなさんマフラーきちんとしているでしょ。整列して本来しておかないといけないのに。不真面目ではないんだけど、真正面にきちんとしたくないのでしょうね。感慨深いというか、まさか若い頃の父の動いている姿が見られるとは思わなかったです」
松浪さんはこの日、偵察員として出撃したものの、エンジンの不調で引き返しました。
当時の戦況について松浪さんは、『紅蓮の炎をひいて突入する艦爆の後部座席で、工藤二飛曹長はアイモをだいたまま壮烈な自爆戦死をとげたのだ一掬の涙を禁じ得ない』と自身の著書に記しています。
「戦争はいやだ」平和の尊さ
松浪さんは生前、家族に当時の経験を語ることはなかったといいます。
堀端さん:
「直接シビアなことはあまり言わなかったです。聞けば教えてくれたでしょうけれど、何も言わなかったです」
今回、映像を特定した豊の国宇佐市塾の織田祐輔さんは、松浪さんの著書は非常に貴重な資料だと話します。
織田さん:
「この戦線では多数の搭乗員が亡くなっているので、隊員がどういうことをしていたか、事細かに描写されています。それによって映像を撮った人が誰か分かりましたし、映像を撮った人はその直後に本当に亡くなられていますから、戦争の悲惨さや戦争がどういうものかを映像を通して、その裏にあることまで含めて考えていただければと思います」
新たに発見された映像を通じて父に思いをはせる堀端さん。平和への強い思いは父と同じです。
堀端さん:
「映像を見て新たにお父さんよく頑張ったねと思いました。戦争はいやだと確実に心の中に出てきたし、何かを思ってくださる方がいれば、それが父の思いでもあったと思います」
終戦から81年。松浪さんが遺した著書と激動の時代を記した映像は、後世に戦争の悲惨さと平和の尊さを今に伝えています。

