スズキナオ初小説連載『紀州路快速和歌山ゆき』第1回「11分後に来る電車に飛び乗ることにした」

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話題作『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』などの著書を持ち、「令和エッセイの名手」スズキナオによる、待望の、初の小説連載。人生に大きな目的を持たない“私”と”木田さん”が飛び乗った電車は「紀州路快速和歌山ゆき」だった……。ゆく宛てのない、ただ移動しているだけの時間のなかで紡がれていく言葉と思考。始まりも終わりもない反復の旅に、きっと何かがあると信じて。新連載第1回。

うつ伏せになって寝ていた。首の右側から肩にかけて痛みがあり、布団から上半身だけ起こして、その痛む辺りをぐいぐいと揉む。前夜に酒を飲み過ぎると、こうしてうつ伏せで眠っていることが多い気がする。姿勢にも無理が生じて寝苦しいとわかっているのに、なぜ無意識のうちにうつ伏せになろうとするのか。外の明るさから逃れようとしたのかもしれないと、窓の外から差し込む日差しを見て思う。枕元にあったスマートフォンを拾い上げてタップして、時間を見たらもう昼の12時を過ぎている。今度は仰向けに体を横たえて、寝たままスマートフォンの画面を眺める。

LINEの新着メッセージが2件あったので見てみたら、ひとつは一度だけ行って、LINEの友達に追加したら味玉がサービスになるというので登録したラーメン店からの新メニューの知らせで、もうひとつは木田さんからだった。

朝早くからの仕事が梅田で終わったんだけどどこかで昼ご飯でも食べないか、と、そういう内容のメッセージだった。「このあとは予定が何もないから何時でもいいです」というのが最後のメッセージで、30分ぐらい前に送られてきていた。

「今気づきました。もう食べ終わったでしょうか」とメッセージを送り、それだけの動作で疲れてスマートフォンを持つ手をおろして目を閉じたら、すぐに手のなかに振動を感じ、もう一度持ち上げて画面を見てみると「まだです」という文字がある。上半身をまた起こした。

今日が休みだということを木田さんはなんで知っているんだっけ。自分が伝えたのか、それともたまたまか。どっちにしても、平日に一度ある休日が今日で、だからちょうどよかった。

うちの会社は(というか自分がいる部署を含めた、いくつかの部署の社員は)土日のどちらかに必ず出社する必要があるから、そのかわり平日が1日、休みになる。その平日の休みが好き(平日しかできないこととか、平日しか開いていない店とか、案外多い。街がそこまで混んでいないのもいい)だし、自分とあと数人しか出社しない土日の会社の静かな雰囲気も嫌いじゃないから、それがこの会社にずっといる理由でもある。

ミスも多く、愛社精神とか、向上心みたいな、会社が求めているものを明らかに持っていない自分は、組織に歓迎されるような存在ではない。上司に嫌味を言われることもよくあるが、いつからかふてぶてしい気持ちも芽生えてきた。一応、10年以上も勤務してきたから、ひと通りのことはわかっているつもりだし、会社からそこまで簡単に、突然に切り捨てられることもないんじゃないかと思っているが、そうでもないんだろうか。自分と同じぐらい長くいたのに今年になって急に辞めた人もいたし。景気のいい会社とは言えないし。

「すぐ支度します!」と返事をしてスマートフォンを充電ケーブルにつないで、浴室にシャワーを浴びにいく。やはり首から肩にかけてが痛い。

昨日は仕事帰りに梅田の、チューハイが199円の立ち飲み屋に入って、そこでは軽く飲んで帰ろうと思っていて、実際、割とすぐに店を出て、そのまま帰ればよかったのだが、夜の外気がこの数日と比べたら涼しく(夕方に雨が降ったせいかもしれなかった)感じられ、梅田から家まで、40分ほどの道を歩いて帰ることにした。

そうなると、コンビニで缶チューハイを買うことになる。500ml入りのロング缶を買って、それでやめればまだよかったのかもしれないが、途中で同じものをもうひと缶買って、さらに家でも眠気に負けるギリギリまで焼酎を飲んでいた。

夜道を歩いていたら、大通り沿いの歩道の真ん中で激しく抱き合っている男女がいて、その女性の方と目が合った。その視線の、ちょっとうつろな感じをなぜか思い出しながら、ボディソープで体を洗った。ここ数日、洗濯機をまわすのが面倒で、サボっていたから新しいタオルがない。タオル掛けに干してあったタオルで体を拭く。今日は洗濯機をまわそう絶対に、と思ったけど、そういうことをいつも忘れる。

それで13時過ぎには梅田に着いて、木田さんが前から気になっていたというカレー屋に入った。出汁をきかせたスープっぽいカレーで、アサリがたくさん入っている。私は木田さんの倍のスピードで食べ終わってしまった。スプーンで1回にすくう量が多過ぎるのかもしれない。木田さんを急かしてしまうのは嫌だったので、何か一方的に喋ってその時間を埋めることにする。

この前、会社の人から聞いた話があって、その人が今度引っ越すから、ベッドをリサイクルショップに引き取ってもらうことにした。検索で見つけた店なのだが、そのリサイクルショップがやけに適当で、引き取りに伺える日の候補をまた電話で知らせますと言ってから何日も返事がなくて、こっちも引っ越しの日時が迫ってきて困るから、また電話した。すみません、今度はすぐに電話しますと言って、また翌日の連絡がなかったから電話して、そのときは結構こっちも怒り口調になって、ちょっと困るんですけど、本当に。こんなんだったら別の業者にすればよかったんですけど、これ、日が決まったとして、引き取ってもらうときに私は会社の午前休をもらわないといけないんで、本当にちゃんと決めてもらわないと困ります。明日か明後日はいけますか? 今、ここで返事をしてください、みたいに言って、それでやっと引き取り日が決まったのだが、その日の指定された時間になっても業者が現れない。30分過ぎたところで電話して、そのとき、自分でもちょっと驚くほど怒りがこみ上げて、こんなに激しい口調で誰かに物を言ったことは少なくとも10年ぐらいはなかった。高校生の頃に恋人とめっちゃ喧嘩したときとか、それぐらいしかなかったかもしれないとあとで思った。電話の相手はこんなクレームには慣れているのだろうか、あくまで軽い口調で「すみませーん! ドライバーに言いますので、もうすぐ行くと思いますー! すみませーん」と、ずっとそんな感じ。電話を切って、もう我慢できなくて部屋から出て、マンションの外で待っていることにした。午前休しか申請していないから、もう急がないと遅れてしまうほどの時間になっている。マンションの前の細い道が大通りとぶつかるほうからそれらしき白い軽トラが走ってきてマンションの前で停車して、やっぱりその業者らしかった。その運転席から出てきたのが、もう、本当に逆にわざとだろと思うほど、ヨレヨレでしわしわの作業服を着た老人で、いやいや、よりによってこんな人かよ。何も言えねえわ! と、怒りのやり場がなくなった。〇〇さんですか? すみません! お待たせしました! と言って老人は何度も頭を下げた。電話の対応が適当過ぎますよ、今日もだいぶ待たされました。もうお金いらないんで早く持っていってください。急がないと会社間に合わないんで、と言ったが、老人はいやいやそれはできません! 受け取ってくださいと言い、財布から5千円札を取り出したのだが、そのお札が、わざとだろ! と言うほどにしわしわで、ちょっと笑いそうになってしまった。この時代、どうしたらそんなにお札がしわしわになんねん! ……と、会社の人が言っていました、というような話を私はひとりでしゃべり続けた。木田さんは「うんうん」「へー」と、ときどき相づちを打ちながらカレーを食べ続け、私は思ったより笑ってもらえないので、だんだん焦ってきた。よく考えたら、この話は面白いのだろうか。会社の人から聞いたとき、私は笑って聞いたし、だからこうして誰かに話そうと思ったのだが、そのリサイクルショップがブラック企業で、老人は処理能力を超えた仕事を組織から強いられ、挙句にクレームの標的にされるような、辛い立場の人かもしれない。

「なんかその、この時代にそんなしわしわのお札ってどうやったら生まれるの?」みたいなところが面白かったんだけど、あんまり楽しい話じゃなかったです」と私が言うと、木田さんは「いや、その電話の向こうの人はどのぐらいの年齢の人なのかな、とか、古いベッドって5千円で引き取ってもらえるんだなーとか、ちょっと別のことを考えてしまっただけで、面白かったです。食べ終われました」と言って、綺麗になったカレー皿に両手を添えて少しだけ持ち上げた。

その店は人気店らしく、満席に近い状態だったからすぐに出ることにして、近くの喫茶店に入ることになった。アイスコーヒーをふたつ注文して、出てくるのを待っているあいだ、向かいに座っている木田さんが「今さらだけど今日は休みだったんですね」と、こっちを見て言った。

「そうなんです。ちょうど、というか、ちょうど今日休みで。そのことを木田さんに言ってたっけと思って、そうでしたっけ?」

「いや、なんとなく今日あたり休んでそうと、平日休みがたまにあるんでしょう?」

「そうそう。そのかわり土日がどっちか潰れるんですけど」

(アイスコーヒーが運ばれてくる)

「今日は何をするとかも考えてなくて、だいたいいつもそうなんですけど、たまに気合入れてお昼ご飯どこか行くこともあるけど、でもだいたいは部屋で何か食べて、そうすると眠くなって、もう夕方みたいな」

「ああ。今日は急に大丈夫でした? 思ったより打ち合わせが早く終わって、それで連絡してしまって」

「大丈夫というか、外に出るきっかけができてよかったです」

木田さんはフリーのデザイナーをしていて、WEB系のデザインも得意だというのを会社の誰かが知って仕事を外注したことがあって、そこに関わったのは私の部署ではなかったのだが、サービスが無事スタートしたあとの打ち上げの飲み会に私も呼ばれ、そこで知り合ったのだった。

と言っても、その場で意気投合して急接近とか、そんな劇的なことはなく、最初に会ってから1年以上はあっという間に経った。それから、また木田さんにうちの会社の仕事を頼むことがあり、そのときは自分が連絡の窓口になって、結局、その仕事は色々な障壁があって実現しなかったのだが、そんな結果になったのが申し訳ないと思ってクッキーのセットを持って謝りに行ったとき(そのときも木田さんに指定された梅田の喫茶店で会った)に、木田さんは「全然いいです。正直、ちょっと面倒だなと思ってたんです。最近クライアントの要求に合わせる仕事と、自分が本当にやりたいことのバランスを少し変えようと思ってたから、外の依頼とか、ありがたいけど、あんまり気が進まなかったんです。それにちょっと、大変な割りにギャラが安かったかも」というようなことを笑って言って、そのときのくだけた会話のトーンで、私は急に友達と話しているような気分になった。あのとき、仕事がちゃんと依頼できていたら、こんなふうに気楽に話すこともなかったかもしれない。

そこから、仕事が面倒で仕方ないと言い合ったりしながらたまにお酒を飲むようになった。木田さんはお酒が好きで、さらにお酒に強く(少なくとも私は木田さんが酔っぱらった状態を見たことがない)、以前からあちこちで飲み歩いていたという。

それに比べたら私は、お酒はそれほど飲めないし、適量を自分の部屋で気ままに飲んでいるほうが好きなぐらいだが、木田さんと一緒に飲んでいるうち、知らない店に勇気を出して入ってみるのも楽しいものだと思うようになってきた。

そんな付き合いが続いて、2年ぐらいになるだろうか。とはいえ、お互い、仕事が忙しくなったら会う機会もないし、かと思えば先週会って、また翌週に会うというようなこともある。たいていは木田さんが暇なときに連絡をくれるから、私はそれを待っている。待っているというほどでもない、たまに連絡が来たらその都度、反応するという感じ。

木田さんが今日の午前中に済ませてきた打ち合わせはどちらかというと残念な内容で、1年ほど続けてきたフリーペーパーのデザイン仕事が、次号の分で終わりそうだという話だったらしい。自治体がお金をかけて作っているフリーペーパーだから謝礼の額はなかなかよかったし、何より、依頼主があまり明確なイメージを持っていなくて、「とにかく自由に! 今の若い人にウケそうなものを!」ということだけ言われる感じだったから、やっていて楽しかったのだそうだ。自分が提案したものに対して、依頼主から意見を言われることもほぼなかった。

そういう、条件がよくて楽しい仕事ほど突然に終わったりするものだと木田さんは言う。廃刊が近い雑誌など、終わりが見えているから最後ぐらいは自由にやりたい放題、というようなことがよくあるらしい。それを聞きながら、住んでいたアパートがもうすぐ取り壊しになるからと、部屋の壁から天井まで好き勝手にペイントして、他の住民が退去していなくなった最後の方にターンテーブルとミキサーとサウンドシステムをどこからか借りてきて大音量のレイブパーティを開いて、近隣の人に警察を呼ばれて止められた学生時代の友人のことをなんとなく思い出した。それはあとから聞いた話で、友人に誘われたのにその場に行かなかった私は、そのことをずっと少しだけ後悔している。

とにかく午前中にそんな話し合いがあって少しクサクサしていたところもあったのか、木田さんは「このあとも時間があったら散歩しませんか」と言う。全然それはいいのだが、日中は35度以上になる日が続いている最近だったから、日差しの下をただ歩くというのは過酷かもしれないと思った。

デパートの地下に入っているチェーンの居酒屋なら安いし、もう開いている時間だとわかっていた。でもそれではちょっと当たり前過ぎる気もして、「どこか涼しい高原に向かう電車にでも乗れたらいいんだけど」と私が言ったら、木田さんは「ああ、たしかに、特急電車みたいなのに乗りたいな」と言って、喫茶店を出て、とりあえずJR大阪駅へ向かって歩くことになった。神戸にも京都にも、もっと遠くにも向かう電車が出ている大阪駅だから、行けば何かあるだろう。

大阪環状線という、大阪市内をめぐる電車の出る1・2番線のホームの出発時刻を表示する電光掲示板を見たら、「関空/紀州路快速」という文字が見えて、それに乗るのもいいかもしれないと思った。11分後に来るらしい。

「あれに乗りましょう。理由はゆっくり説明します」と言いながら、私は木田さんを改札内にあるコンビニに案内した。「ここでお酒などを買っていきましょう」と、それぞれにビニール袋を手に持って、1番線のホームへ続くエスカレーターに乗った。

ずっと前に一度、私は、今みたいに、どこでもいいからどこかへ向かう電車に乗ろうと思って家の最寄り駅まで行って、ちょうど来た電車に乗ったことがあった。それが関空/紀州路快速で、乗っている途中で和歌山のほうへ向かう電車なのだとわかった。正確には「関空/紀州路快速」というのはふたつの別々の電車が連結して一緒になっているという意味で、前4両が関西空港行き、後ろ4両が紀州路快速和歌山行きとなっている。途中の日根野という駅で、ふたつの電車が切り離され、そこからはそれぞれ別の方面へ向かう。

関西空港行きのほうには飛行機でこれから旅をする人が大きなスーツケースを引っ張りながらたくさん乗っていて、紀州路快速和歌山行きのほうも、そっちはそっちで乗客は多いのだが、私が前に飛び乗った時は途中のどこかの駅で人がたくさん降りて、それから車内がシーンと静かになって、集中して本を読むことができた記憶があった。そのときはリュックのなかに甲類焼酎の入ったミニボトル(前夜に酔った勢いでコンビニで買ったのを忘れてそのままになっていた)が入っていたから、これ幸いと、それをちびちび飲みながら和歌山方面へ向かった。あの電車なら、今の気分にちょうどいいかもしれなかった。

<つづく>

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スズキナオ『紀州路快速和歌山ゆき』第2回は9月10日(木)17時配信予定

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スズキナオ