PL学園野球部が休部となったのはちょうど10年前の夏だ(写真・時事通信フォト)

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 夏の甲子園で連日、熱闘が続いているが、そこから姿を消した名門校もある。春夏合わせて7度の全国制覇を誇った大阪のPL学園の硬式野球部が活動を休止してから、ちょうど10年が過ぎた。復活を願う高校野球ファンの声はあれど、その道は遥か遠いようだ。『永遠のPL学園』(小学館文庫)の著書があるノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。

【貴重写真】PL学園硬式野球部「最後の世代」の10年前と現在

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 大阪府富田林市の夜空に、今年も花火は打ち上がらなかった。

 毎年、パーフェクトリバティー教団(以下、PL教団)の2代教祖・御木徳近の生誕日にあたる8月1日に実施されてきたPL花火大会(正式名称は教祖祭PL花火芸術)は、2019年を最後に開催されていない。

 最盛期には12万発とも、20万発ともいわれる花火を打ち上げ、全国から数百台の大型バスが教団の聖地に乗り入れていた。大阪阿部野橋駅から聖地へ向かう近鉄電車も臨時列車を走らせ、日本一と誉れ高かったのがPL花火大会である。

 大阪の真夏の風物詩はなぜ実施されなくなったのか。表向きの理由はコロナ禍だったが、信者数の激減によって教団の運営が危機的状況を迎えていて、財政的に花火大会を開催することが困難というのが実状だろう。存続を切望されながら、活動を休止する――その構図は、2016年に活動を休止したPL学園高校の硬式野球部と同じだ。

3学年合わせて生徒39人

 ちょうど10年前の7月15日。同校の硬式野球部は大阪大会の初戦・東大阪大柏原戦に敗れ、60年以上の歴史に終止符を打った。当時、高校には国公立コースと理文選修コースにおよそ60人の生徒がいた。しかし、PL中学からの内部進学者を除いた外部受験者の数が年々、減っていき、今年の受験者は最終的に国公立コースこそ併願で受けた生徒が2人いたものの、理文選修コースにいたってはゼロだった。

 基本的に現在のPL学園は熱心な信者の子息に入学者を限定していて、硬式野球部があった時代のように「入信さえすれば入学を認める」というようなスタンスではない。PLに入学する強い意思のある中学生ならば、基本的に専願で受験するはずであり、国公立コースを受験した2人は滑り止めで受験した可能性が高いだろう。つまり、外部進学者は皆無の可能性があるのだ。

 今年1月にあったPL学園OB会の懇親会で、OB会長の桑田真澄氏(オイシックス新潟CBO)は2025年度の生徒数について、高校が3学年あわせて39人、中学も3学年で35人と明かした。近年の中学の生徒数から推察するに、今年度(2026年度)の内部進学者が劇的に増えるとは考えにくい。現状は硬式野球部よりも昔からの信徒が入部していた軟式野球部を存続するだけでもやっとで、硬式野球部を復活することなど考えられない状況である。

打ち上げ花火ではなく線香花火

 近鉄喜志駅を最寄り駅とするPL学園および富田林駅を最寄りとする教団本庁は、かつて教団の繁栄と共に人であふれ、硬式野球部が全国制覇を果たせばパレードが実施されたほどだ。しかし今は人の出入りがまるでなく、敷地内は廃墟と化した建物であふれている。敷地内はまるでバブルの時代から時間が止まったかのよう。

 PL学園では昨年11月に、創立70周年を記念した式典が開催され、西田真二と木戸克彦という夏の甲子園で初優勝した時のバッテリーによるトークショーなどが開催された。出席者は会の最後に花火が用意されていると説明を受けており、往年の花火大会のフィナーレのような花火を期待し心を躍らせたという。ところが――参加者には手持ち花火が渡されて、式典はしめやかに終了したという。

 1970年代後半から80年代にかけて、全国から集いしPL学園の球児たちは甲子園球場に特大の花火を打ち上げた。総勢82人のプロ野球選手を輩出してきた野球部だったが、2016年に活動を休止してちょうど10年が過ぎ、野球部の復活は絶望的な状況が続く。

 考えてもみればPL学園とは1980年代に強烈な光を放ちながら、長い高校野球の歴史においては儚く消えた線香花火のような野球部だったのかもしれない。