チャーハンの「喜ばしき退屈」と「うんざりブースト」 稲田俊輔×石田かおる【『チャーハンという迷宮』刊行記念対談・前編】

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日本における始まりはいつ──? 謎に包まれてきた歴史と、チャーハンを通した明治から令和までの家庭料理史を描いた『チャーハンという迷宮 なぜ国民食になったのか』が7月10日に刊行されました。出版を記念して帯文を寄せてくださった、料理人で文筆家としても活躍する稲田俊輔さんと著者・石田かおるが対談。

稲田さんは2024年7月にチャーハン・インタビュー連載「あの人のチャーハン」に登場し、話題が尽きず異例の4話の掲載となりました。このインタビュー後、稲田さんの中でチャーハンの再評価が始まり、さらに『チャーハンという迷宮』を読んだのをきっかけに「チャーハンの公式」が生まれたと言います。果たして今回はどんな話がとび出すのか。前・中・後編の3回に分けてお届けします。

NHK出版公式note「本がひらく」よりご紹介。

石田かおる『チャーハンという迷宮 なぜ国民食になったのか』

「今」読まれるべき本

石田かおる(以下、石田)  拙著『チャーハンという迷宮』にすてきな帯文をいただきありがとうございました。帯文の「食の隙間」「心の隙間」という言葉から、「あの人のチャーハン」4話でお話をいただいた「むしやしない」を彷彿としました。

稲田俊輔(以下、稲田)  そうです。僕は、チャーハンはちょっとした腹ふさぎの「むしやしない」として食べるのが好きなので。

『チャーハンという迷宮』を読んで、まさに「今出されるべき本」だと思いましたね。

石田 ありがとうございます。

稲田 「食」に関する本って、究極的には「今いかにおいしいものを食べるか」に行き着くと思うんです。

でも、「今おいしいもの」を知るには「今だけ」を知っていても仕方なくて。最新版のレストランガイドみたいなのを読んでも、本当においしいものにはたどりつけないと僕は常々思っています。

石田 それは、なぜですか?

稲田 歴史を太い束とするならば、「今」という断面だけを見ていても、たどりつけない領域があると思うんです。「食」の歴史を追った本は昔からありますが、断片的な面白エピソード集みたいなものが少なくありません。

その点、『チャーハンという迷宮』は一本の軸を通して明治から令和まで連続して歴史をつないでいるので、「今おいしいものが、なぜおいしいのか」が読み解ける。系統だった知識として入ってくるので、理解が進みました。

石田 そう言っていただけると嬉しいです。明治から令和までつないだ甲斐があります。

稲田 特に印象的だったのは、家庭用チャーハンの初期のレシピでは卵が入らないものが意外と多かったことと、洋風焼き飯的なものが中国の王道チャーハンとあまり区別されずに作られていたあたりですね。「あぁ、そうだったのか」という驚きと発見がありました。

とりわけ僕たちや下の世代は、強火で鍋をガンガン振って作る“周富徳的チャーハン”こそが「チャーハンである」とメディアに強烈に刷り込まれた世代なので。

“美味しんぼ的”世界観からの脱却

石田 本の第6章で1990年代のチャーハンブームについて書きましたが、稲田さんは『美味しんぼ』や『料理の鉄人』などの影響は受けましたか?

稲田 もちろんです。あの頃、影響を受けなかった人はいないんじゃないかな。『美味しんぼ』はピラミッド状のヒエラルキーの世界観で、頂点に唯一の正解があり、「チャーハンの正解はこれだ」と言い切ってました。

出典:原作・雁屋哲、作画・花咲アキラ『美味しんぼ』4巻「直火の威力」(小学館)

『料理の鉄人』も夢中で見ていましたが、どこまでが素でどこからが演出なのかわからずに見ていました。そうして僕らは“周富徳的チャーハン”の共同幻想に巻き込まれていったわけです。

その後、その洗脳が解けて、僕は脱マチズモの「あわてないチャーハン」を打ち出しました。

石田 あわてないチャーハン」は「あの人のチャーハン」の4話でお話をいただき、本の中にも引用しました。

「あわてない」で作れる仕組みによって、鍋振りの力のない人や料理初心者でも無理なく作れる。作る人を選ばない“レシピ設計”になっていることに、ユニークさと稲田さんの哲学が感じられ興味を引かれました。

稲田 僕は権威主義的なものが嫌いなんですよ。例えば『美味しんぼ』的なヒエラルキー構造があったとして、山岡士郎たちを蹴落として自分がそのトップに立ちたいかというとそれもイヤ。

むしろやりたいのは、権威が生まれるピラミッド構造をぺたんとつぶしてフラットにし、だれもが自由に行き来できるようにすることです。

石田 「あの人のチャーハン」の1話で、従来の「グルメ」のピラミッド状の世界観と、稲田さんが自称されていた食べもの好きの「フードサイコパス」の円の世界観に通じる話ですね。(詳細は1話)

右が従来のグルメの世界観、左が稲田さんが理想とする世界観。「あの人のチャーハン」第1話取材メモより

稲田 その通りです。僕は“美味しんぼ的”世界観からの脱却のため、「あわてないチャーハン」をはじめ、いろんなチャーハンを打ち出してきました。

ところが、『チャーハンという迷宮』を読んだら、戦後の主婦がそれを既にやっていて。そのことを知り、とても心強く感じました。 “周富徳的チャーハン”が数あるバリエーションの一つに過ぎない、ということが裏付けられました。

「まんべんなさ」がチャーハンの本質

料理人・文筆家の稲田俊輔さん

X(7月25日)に投稿された「チャーハンの公式」

稲田 『チャーハンという迷宮』をきっかけに僕は2、3日前に「チャーハンの公式」を作ったんですよ。

石田 Xで見ました! チャーハンは数式で作る時代に入るのか !? 稲田式レシピはどこまで進化するんだろう……って思いました(笑)。

稲田 それに、2年前の「あの人のチャーハン」のインタビュー後、僕の中でチャーハンの再評価も始まりました。

石田 そんなことに……!?

稲田 僕は「中華料理屋でチャーハンを頼むやつの気が知れない」ってずっと思っていました。

石田 好きなチャーハンは、中華のコース料理の締めで食べる薄味のチャーハンと、「むしやしない」のチャーハンとおっしゃってましたものね。町中華のチャーハンはあまり得意でないとも。

稲田 それで、あるとき昼ごはんを食べに町中華に入ったんです。僕は五目あんかけのかた焼きそばを注文しました。

かた焼きそばは、時間の経過とともにパリパリからふやけた麺に変化しますから、豚コマ、白菜、にんじん、キクラゲなどの具をどのタイミングで、どう麺とからめて食べていくかは一大テーマです。

うずらの卵なんかは1個しか入っていない。だからそのピークをどこに持っていくかも重要です。

石田 うずらの卵問題、わかります(笑)。

稲田 で、僕のあとにガタイのいい兄ちゃんが店に入ってきて、メニューを見るまでもなく大盛りのチャーハンを頼みました。

僕があんかけ焼きそばの麺と具が織りなすドラマに陶然としながら食べている横で、その兄ちゃんはチャーハンをスプーンですくっては口に運ぶ、すくっては口に運ぶという動作を、スマホを見ながらひたすら繰り返していました。

石田 あんかけ焼きそばの展開に心躍らす稲田さんと、チャーハンの兄ちゃんは実に対照的ですね。

稲田 だからチャーハンを頼むやつの気が知れないって、ずっと思ってきたわけです。ところが、チャーハンのインタビューを受けたあとだったこともあって、あらためてその兄ちゃんの食べる姿を見ていたら、「自分が持ってない何か」を見たような気がしたんですよね。

それで、そのあと自分も真似してみました。

石田 相変わらず、チャレンジャーですね(笑)。「おいしくないものに出合ったら、理解できるまで挑み続ける」と以前のインタビュー(1話)で話してらっしゃいました。

稲田 真似してあらためて気がついたのは、町中華のチャーハンって刻んだチャーシューとかナルトとかが結構な量入っているんです。あれが切り刻まれずにごろっとした形のまま入っていたらもっと豪華に見えるし、気づかれないのはもったいないし、単調さからも逃れられるのに──と思いました。

ところが食べ進めるうちにわかったんです。チャーハンの本質はこの「まんべんなさ」にあるんだと。

チャーハンの「喜ばしき退屈」

陳建民の「鶏火炒飯(ヂィホワチャオファン)」 (石田調理・撮影)

石田 関連した話では、私は本書に出てくるチャーハンは一通り作りましたが、あらためて開眼したのが「5ミリ角」です。

『きょうの料理』の放送開始時から出演し、中国料理を多く紹介した王馬熙純(おうま・きじゅん)さんのチャーハンを作ったところ、レシピには「焼豚、ハムは5mmのさいの目に切る」と書いてあった。町中華でゴロゴロチャーシューが売りのチャーハンを食べたりもしていたので、5ミリ角では物足りなく感じないかなと最初は思ったのですが、そんなことはなかった。噛んでいると、奥の方からチャーシューが確かな味を主張してくるのが心地いい。

そのあと、陳建民さんのチャーハンを作った時にも「鶏もも肉、ハムは5ミリ角」と指示されていて、息子の陳建一さんのレシピには「チャーハンの主役はご飯。具はご飯粒より小さめに切る」と書かれていた。それで、ほぼ米粒大の“5ミリ角”はチャーハンの黄金比の一つなんだなと思いました。

でもって、さらに面白いと思ったのは、料理研究家・リュウジさんの動画で最も多く再生されている、約1500万回視聴の「至高の炒飯」も、豚ばら肉は「米粒くらいの大きさに切る」んです。

稲田 まさに、チャーハンの本質である「まんべんなさ」ですよね。

それで、さっきの話に戻すと、僕はチャーハンをスプーンですくっては口に運ぶの繰り返しは、退屈だとずっと思っていたんです。

ところが、食べ続けていくと次第にそれが良い感じになってきて、これは「喜ばしき退屈」であると思い至りました。

石田 「喜ばしき退屈」……? 

稲田 音楽にたとえるなら、五目あんかけ焼きそばはイントロがあって、Aメロがあって、サビがある。これに対し、チャーハンはアンビエント・テクノ。単調さが延々続くけれど、それが逆に気持ちよくなる。

石田 それは「無我の境地」みたいなこと……?

稲田 そう、そう。町中華の兄ちゃんは、まさに無我の境地で、一心不乱にチャーハンを食べていました。

“うんざりブースト”の味覚世界

『美味しんぼ』、町中華、レシピの哲学、チャーハンの公式、米と油と日本人など、話題は多岐にわたった

稲田 あと、僕は以前から「うんざりブースト」という概念を提唱しているんです。

石田 うんざりブースト……?

稲田 食べる時って、だいたい1口目が一番おいしいですよね。そこからだんだん落ちていく。

石田 わかります。

稲田 ところが食べ物によっては、落ちていったあと、満腹近くでもう1回上がってくるものがあるんです。小籠包しょうろんぽうがその代表です。

小籠包も最初の1個目が一番おいしくて、2個目、3個目あたりから急激に感動が薄れていく。僕の経験では5個目まではいいけど、6個目に入るとわりとどうでもよくなってくる。ところが、10個目あたりからもう1回おいしくなるんです。

石田 10個目って、もうお腹いっぱいじゃないですか?

稲田 お腹いっぱいラインが15、6個とした時に、お腹いっぱいになる前に、もう1回上がる感覚がある。これは理屈じゃなくて、感覚としてです。

小籠包は麺とセットで4個くらいついて出てくるケースが多いですが、そうでなくて最初から最後まで小籠包を食べ続けるべきだと思うんですよね。少なくとも10個以上は食べてほしい。10個過ぎたあとに、違うおいしさがやってくるので。

石田 そんな未知の味覚世界があったとは――。

稲田 実際、台湾の人たちはそういう食べ方をしています。麺とかチャーハンを食べずに、前菜を食べたあとに延々小籠包を食べ続ける。その姿を見た時に、やっぱり僕の考えは間違っていなかったと思いました。

チャーハンもそれだと思うんですよ。あと、宅配のドミノ・ピザのドミノ・デラックスも、食べ続けると、残り3分の1あたりでブーストがかかります。

石田 その頃にはピザはだいぶ冷めてしまっていませんか?

稲田 冷めたてホヤホヤのおいしさっていうのもあるんです。ピザは最初のうちは無我夢中で食べるでしょう? その時にはわからなかった、細かな味への解像度が上がりブーストがかかるわけです。

石田 そうすると、一見なんの展開もないように見えるチャーハンも、食べているうちに味の解像度が上がり、実は内なる静かなドラマが展開されているということですね。

稲田 おっしゃる通り。チャーハンは内省型なんですよ。

石田 アンビエント・テクノだったり、内省型だったり、チャーハンが妙にスタイリッシュに見えてきました。稲田マジックですね(笑)。

(つづく)

稲田俊輔

料理人・文筆家。鹿児島県生まれ。京都大学在学中より料理修業と並行して音楽家を志すも、飲料メーカー勤務を経て、友人とともに円相フードサービスを設立。インド料理のほか、和食、フレンチ、洋食などさまざまなジャンルのメニュー監修や店舗プロデュースを手掛ける。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。南インド料理とミールスブームの火付け役となる。2023年『ミニマル料理』(柴田書店)で料理レシピ本大賞「プロの選んだレシピ賞」を受賞。著書に『おいしいものでできている』(リトルモア)、『料理人という仕事』(ちくまプリマー新書)、『異国の味』(集英社)、『稲田俊輔のおそうざい十二カ月 旬を味わう一汁三菜』(暮しの手帖社)ほか多数。

石田かおる

記者、チャーハン・ヒストリアン。週刊誌『AERA』などを経て、2022年からフリー。「食」「教育」「ライフスタイル」の分野を多く手がける。2018年、『きょうの料理』の60年間のチャーハンについて、作り方の変遷を分析した記事を『AERA』に執筆。その摩訶不思議な世界を知ったことをきっかけに、チャーハンを通した歴史・時代探索にとらわれる。本書は、チャーハン沼にはまり生還した、4年間の探訪と探究の集大成である。

題字・イラスト:植田まほ子