「殺意はなかった」19歳女子高生を強姦殺害したのになぜ…裁判所と検察が対立した「驚きの判決」(昭和42年の事件)
〈「気絶させて強姦」「意識を取り戻したので殺害」遺体はスコップで埋められた…体重100キロの巨漢男(25)に襲われた「女子高生の悲劇」(昭和42年の事件)〉から続く
「冬だから寒いのは当たり前じゃない」。たった一言をきっかけに激昂した男は、帰宅途中の19歳女子高生を気絶させて乱暴し、意識を取り戻すと再び首を絞めて殺害。遺体は現場近くの造成地に運ばれ、スコップで埋められた。
【写真】この記事の写真を見る(2枚)
逮捕されたのは体重100キロの元力士志望の男だった――。前編では、神奈川県藤沢市で起きた残虐事件の全貌と、犯人が犯行に至るまでの経緯を追った。
しかし、この事件は犯人逮捕で終わらなかった。女子高生を強姦・殺害したにもかかわらず、一審で言い渡されたのは無期懲役。裁判所は「最初から殺意を抱いていたわけではない」と判断したのである。この判決に検察は……。
1967年、神奈川県藤沢市で起きた事件の結末を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

写真はイメージ ©getty
◆◆◆
女子高生を強姦殺害した男の人生
翌14日13時半ごろ、帰宅しない娘の安否を案じた母親が自宅から約70メートル離れた市道でAさんが失踪当日に履いていた靴の片方を発見。
父親から捜索願を受けた藤沢署は自宅付近の山中を捜索したが手がかりは得られず、同月16日に公開捜査に乗り出した。
力士になるため上京したが…
犯人の佐藤は1941年、岩手県西磐井郡花泉町(現・一関市)で農家の長男として生まれた。
父親は頑固かつ短気で家族の温かみや団欒の雰囲気は皆無。小学校高学年から農作業を強いられ、しばしば学校を早退させられたり休ませられる。
そんな家庭環境もあって、中学時代から非行に走り、卒業後は巨体を活かして力士になるべく地元出身の力士を頼り上京。しかし、身長不足のため弟子入りは叶わず、その後は郷里で土工・炭鉱夫などの職に就いた。
窃盗罪により初めて警察に逮捕されたのが1957年。翌1958年1月に一関市で強盗・婦女暴行致傷事件を起こし、懲役5年以上10年以下の不定期刑に処される。1966年9月、山形刑務所を仮出所。
その後再び上京し、神奈川県川崎市にあった建設会社の飯場で土木作業員として働き始める。同年12月、横浜市戸塚区で寿司屋を経営する従兄の勧めで、同店の従業員に転職。
しかし、前科があることの後ろめたさからすぐに店を辞め、以前の職場で藤沢市に移転していた建設会社の飯場で住み込みで働く。
「捕まれば死刑になるのが決まっている」
そして、1967年1月13日に強姦・殺人を実行。そのまま従兄のもとを訪れ全てを打ち明けた。
自首を勧める従兄に対して「現場に証拠になるものは何も残していないから捕まらない。捕まれば死刑になるのが決まっているからもう少し逃げたい」と言い残し、再び飯場へ。
15日に同僚と近所の風呂屋に行ったまま以降行方をくらました。
17日、従兄が「従弟の佐藤から、13日夜に藤沢市内で女性を殺して埋めたと聞かされた」と警察に通報する。これを受け、藤沢署が改めてAさん宅周辺を捜索したところ、22時を過ぎて家からほど近い宅地造成地でAさんの遺体を発見。
佐藤を犯人と断定し指名手配をかける。それも知らず、佐藤は18日午前3時半ごろ、横浜市鶴見区に住む別の従兄の家に現れ、張り込んでいた捜査員によってあっけなく逮捕された。
懲役は…
1969年3月18日に横浜地裁が下した判決は無期懲役。
「殺害行為は強姦に際して敢行されたものではあるが、被害者に襲いかかったときから殺意を抱いていたわけではない。殺害の内容も『殺害したうえで強姦しよう』といった積極的・意欲的なものではなかった」というのが、量刑の理由だった。
これを承服できない検察側は即日控訴。1972年7月18日、東京高裁は「(佐藤)被告が被害者の言葉に逆上し、その仕返しのために明確な殺意をもって犯行に及んだ」として一審判決が認めた“未必の故意”を否定。
さらに「自首を勧められても拒否するなど、いささかも改悛の情がない。本件犯罪が社会に与えた深刻重大な影響など、諸般の情状を十分に勘案し、慎重に考慮を重ねても、被告人には極刑をもって臨むべきだ」と認定し、死刑を宣告する。
その後、最高裁も高裁判決を支持し死刑が確定(1972年10月16日)。佐藤は確定死刑囚として東京拘置所の独居房に収監される。
死刑執行はそれから10年後の1982年11月25日。前記したとおり、当日の朝、死刑執行を告げられた佐藤は「自分は今、再審の手続きをしようとしていた。なぜ今執行するのだ」と抵抗、激しく暴れ、最期の祈りや教誨もないまま処刑台の露と消えた。
ちなみに、事件後、Aさんが通学していた湘南高校では再発防止のため、定時制の生徒714人のうち女子生徒全員(252人)に携帯型防犯ブザーを購入・配布することを決定。
7ヶ月後、またもや事件が…
朝日新聞も「飯場労働者の殺人」と題したコラムで〈警察・労働基準監督署は、流れ者が行き着く飯場の環境をよく調べ、パトロールによる地域の警戒を強化する必要がある〉と指摘したが、本事件7ヶ月後の1967年8月17日、Aさんが襲われた現場から5キロほど離れた藤沢市亀井野の路上で、再び帰宅途中の女子高生(同16歳)が前科8犯の労務者の男に強姦・殺害される事件が起きている。
(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))
