「子どもはつくらない」「障害のある子がうまれると怖い」15歳で被爆した女性の決断に医者が激怒…彼女の人生を変えた“医者からの衝撃的な一言”
〈妊娠発覚後、医者と義母から「絶対に奇形の子がうまれる」と…9歳で“広島原爆”を体験した女性が明かす、それでも「うむ」と決めた理由〉から続く
被爆者の子どもを表す言葉、「被爆二世」。親の戦争体験を語り継ぐ平和運動の担い手というポジティブな文脈で登場することが多い一方、当事者の遺伝的影響や健康問題、差別への苦しみなどには光が当てられてこなかった。 なぜ被爆者の子どもについて語ることが“タブー視”されてきたのか?
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ジャーナリスト・小山美砂氏の著書『ルポ 被爆二世』(集英社新書)より一部を抜粋・再編集して、広島で被爆した切明千枝子さんが、子どもを「うまない」決断をしていた背景を紹介する。(全4回の4回目/1回目から読む)

写真はイメージ ©graphica/イメージマート
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「障害のある子がうまれるのではないか」子どもをもたない前提で結婚
早志さんとは対照的に、「うまない」決断をしていた人もいる。同じく広島の被爆者である切明千枝子さんだ。夫も被爆者だったので、2人は子どもをもたない前提で結婚した。
「障害のある子がうまれるのではないか」──そう恐れて結んだ約束だった。
結婚から7年後、近所の医師は切明さんにこう問うた。
「あんたたちは子どもを意識的につくらんのか、それともほしくてできんのか、どっちじゃ」
単刀直入な問いかけだったが、切明さんは率直にこう答えた。
「あんたたち、なんちゅうことを言うんじゃ」医師は猛烈に怒り出し…
「2人とも被爆者で、障害のある子がうまれると怖いから、つくらないことにしたんです」
すると、医師は猛烈に怒り出した。
「あんたたち、なんちゅうことを言うんじゃ。障害者を差別する心が内にあるから、そんなことを思うんじゃろう」
頭をガン、と殴られたような衝撃でございました──当時の気持ちを、切明さんはそう振り返る。心の奥底にあった差別心を見つけられた、と感じたのだ。
「障害があろうがなかろうが、わが子はわが子じゃ」医師からの人生を変える一言
医師は続けた。
「障害があろうがなかろうが、わが子はわが子じゃ。それをいつくしんで育てるのが命をつなぐ、ということじゃないんか。どんなに重い障害のある子がうまれようと、命の大切さに違いはない」
人生を変える一言だった。
夫婦の約束は取りやめた。心の底では、子どもがほしいと願っていたのだろう。迷いや悩みは消え、1男1女を授かった。「本当は大家族に憧れていた」が、その後、子宮と卵巣を患って摘出し、その願いを叶えることはできなかった。
しかし、今は5人の孫に加えてひ孫もいるという。「ひいおばあちゃん」になった切明さんは、しみじみ、その幸せをかみしめる。
「ひ孫の幼い顔を見ていると、命をつなぐとはこういうことか、と思うんですね。孫の結婚式に参列した時にも、先生の言葉を思い出しながら涙しました。あの言葉がなければ彼らにも会えなかっただろうと思うと、感謝の気持ちでいっぱいなんです」
80歳を越えてから本格的に証言活動を始めたワケ
切明さんは原爆が投下された当時、高等女学校に通う15歳だった。爆心地から約1.9キロ離れた場所で被爆。広島市中心部で建物疎開の作業に動員されていた大勢の下級生を見送った。生きたかったに違いない彼女たち、そして次世代のために、80歳を越えてから本格的に証言活動を始めた。
歌人でもある切明さんは2024年8月、歌集『ひろしまを想う』(レタープレス)を出版した。編者は証言を聞き取り続けてきた大学院生の佐藤優さんで、戦中の生活、原爆、そして戦後の営みについて詠んだ500首を収録。切明さんはあとがきで、「人間の命に上下はない」という医師の言葉を紹介した。
94歳で出した初めての歌集に、こんな思いを込めている。
「人間というのは、勝手なものですね。『健常』にうまれてくることを望み、障害のある方々を差別する心が、わたくしの中にありました。先生のお言葉で、人の命に変わりはなく、いつくしみながら育てていくことが人間としての本当の生き方だろうと気づかされたんです。同じような悩みを抱える二世や三世もいらっしゃると思います。『人間の命に上下はない』という先生の言葉が平和を築く力になれば、こんなにうれしいことはございません」
子どもをもつか否か、その選択をしようとする時に「原爆」が重くのしかかってきた
原爆に遭ったことが理由で、うむかうまざるかの決断を強いられた被爆者がいた。
もちろん、被爆者であろうとなかろうと、子どもが病気や障害がある状態でうまれてくる可能性はある。
しかし被爆者の場合は、「被爆者である」ことを理由に、子どもをもつことを踏みとどまらせる言説があった。遺伝的影響への不安が広がっていたということに加えて、自分の体調が悪く育てていく自信がなかった、という話も聞く。
子どもをもつか否かは、個人の選択だ。だが被爆者の場合は、その選択をしようとする時に「原爆」が重くのしかかってきた。
自分の命はどうなっても、うまれてくる子どもを守ろうとした人がいた。内に潜む「差別する心」に気が付き、「人間としての本当の生き方」を考える中で、子どもをもつことを決断した人がいた。
本章の冒頭で取り上げた朴南珠さんのように、子どもを授かっても天へ見送ることになったり、生きたわが子に対面できなかったりするケースもあった。そもそも子どもをもつ選択をしなかった人もいる。
被爆二世は、被爆者が生きて命をつないだ証である。
その誕生に感動を覚えつつも、それが叶わなかった、あるいはその選択をしなかった人たちのことも忘れたくない。
(小山 美砂/Webオリジナル(外部転載))
