「最後に奇跡が起きればと…」後半ATの失点直後にも伊藤洋輝が貫いた執念
北中米W杯決勝トーナメント1回戦でブラジルに敗れ、大会を終えた日本代表が、戦いから一夜明けて報道陣に対応した。3バックの左センターバックとして4試合すべてにフル出場したDF伊藤洋輝(バイエルン)は、「この4年間で見ればケガも多かったし、このW杯に戻って来られたことが本当にうれしかった。感謝しています」と、大舞台への思いをあらためて語った。
ブラジル戦では勝利への執念を見せつける姿が印象的だった。1-2と勝ち越しを許した後半アディショナルタイム、ほとんどの選手がその場に立ち尽くす中、伊藤はすぐにボールを拾いに走り、ピッチに倒れ込んだMF田中碧(リーズ)を引っ張って立ち上がらせた。最後まで諦めない意思の表れだった。
「正直、時間はもうなかった。でも、まだまだワンチャンスあると思った自分もいたし、最後に奇跡が起きればと思った自分もいた」
行動はほとんど無意識だった。「負けて落ち込むのは試合が終わってからでもできる」。笛が鳴るまでは勝利だけを信じる。その姿勢は、勝者のメンタリティーが根付くバイエルンで培われたものというより、「ただ勝ちたかった。ワンチャンスあればという希望だった」という純粋な思いから生まれたものだった。
結果については、敗戦をだれか一人の責任にすることはないと強調した 。「前半の自分のパスミスから失点していたかもしれないし、(失点につながるミスを犯すのが)だれだったかは分からない。それに、(鈴木)彩艶が何本も止めてくれましたし、それで勝っていたとしても彩艶が自分一人の勝利にすることはないと思う。そういうチームワークがあった」。勝敗は全員で背負うもの。その考え方が、田中を立ち上がらせた行動にも表れていた。
今大会は伊藤自身にとっても特別な舞台だった。シュツットガルトに在籍していた2023-24シーズンにブンデスリーガ2位躍進の中心選手として活躍し、バイエルンに移籍した24年夏、右足中足骨を骨折して手術。復帰を果たしたあとの25年3月にも同じ箇所を骨折し、長期離脱を繰り返す苦しみを味わった。
だからこそ、毎試合を「最後」のつもりで戦った。「ケガをしてプレーできなくなるかもしれないし、次の代表で選ばれる保証もない。ケガをしてもいい、というのではないけど、全力でプレーした結果ならケガをしても仕方ないという覚悟だった」。強い気持ちを秘めて4試合を闘い抜いたことに胸を張った。
日本が世界の頂点へ近づくために必要なものが何かと聞かれると、明確な考えを示した。それは組織力だけではなく、一人ひとりの「個」の成長だ。「それぞれがもっと高いレベルでプレーして個の能力を伸ばすこと。それが日本の組織力やチーム力につながれば、もっと強いチームになれると思う」。自身もシュツットガルトで飛躍し、世界屈指の名門バイエルンへ移籍したことで成長を実感している。
「環境が変わったことが一番大きかった。日々の練習レベルが上がって、無意識のうちに成長できた」。ブラジル戦で日本はビニシウス対策として2人で対応する戦略を採ったが、「もちろんチームのやり方があるが、まずは1対1で負けないことが一番重要」と断言する。バイエルンでは世界最高峰の選手を相手に、日常的に1対1や数的不利のトレーニングを積む。「そうした日常が自分を成長させてくれた」と振り返り、日本代表も選手一人ひとりの力が上がれば、戦い方そのものも変わっていくと信じている。
4年後は31歳になる。十分に中心を担える年齢だ。だが、この3年半に全精力を注いで挑んだW杯を終えた直後である今はまだ、先のことについて明言していない。まずは心身を休ませて来季に向かうつもりだ。
(取材・文 矢内由美子)
ブラジル戦では勝利への執念を見せつける姿が印象的だった。1-2と勝ち越しを許した後半アディショナルタイム、ほとんどの選手がその場に立ち尽くす中、伊藤はすぐにボールを拾いに走り、ピッチに倒れ込んだMF田中碧(リーズ)を引っ張って立ち上がらせた。最後まで諦めない意思の表れだった。
行動はほとんど無意識だった。「負けて落ち込むのは試合が終わってからでもできる」。笛が鳴るまでは勝利だけを信じる。その姿勢は、勝者のメンタリティーが根付くバイエルンで培われたものというより、「ただ勝ちたかった。ワンチャンスあればという希望だった」という純粋な思いから生まれたものだった。
結果については、敗戦をだれか一人の責任にすることはないと強調した 。「前半の自分のパスミスから失点していたかもしれないし、(失点につながるミスを犯すのが)だれだったかは分からない。それに、(鈴木)彩艶が何本も止めてくれましたし、それで勝っていたとしても彩艶が自分一人の勝利にすることはないと思う。そういうチームワークがあった」。勝敗は全員で背負うもの。その考え方が、田中を立ち上がらせた行動にも表れていた。
今大会は伊藤自身にとっても特別な舞台だった。シュツットガルトに在籍していた2023-24シーズンにブンデスリーガ2位躍進の中心選手として活躍し、バイエルンに移籍した24年夏、右足中足骨を骨折して手術。復帰を果たしたあとの25年3月にも同じ箇所を骨折し、長期離脱を繰り返す苦しみを味わった。
だからこそ、毎試合を「最後」のつもりで戦った。「ケガをしてプレーできなくなるかもしれないし、次の代表で選ばれる保証もない。ケガをしてもいい、というのではないけど、全力でプレーした結果ならケガをしても仕方ないという覚悟だった」。強い気持ちを秘めて4試合を闘い抜いたことに胸を張った。
日本が世界の頂点へ近づくために必要なものが何かと聞かれると、明確な考えを示した。それは組織力だけではなく、一人ひとりの「個」の成長だ。「それぞれがもっと高いレベルでプレーして個の能力を伸ばすこと。それが日本の組織力やチーム力につながれば、もっと強いチームになれると思う」。自身もシュツットガルトで飛躍し、世界屈指の名門バイエルンへ移籍したことで成長を実感している。
「環境が変わったことが一番大きかった。日々の練習レベルが上がって、無意識のうちに成長できた」。ブラジル戦で日本はビニシウス対策として2人で対応する戦略を採ったが、「もちろんチームのやり方があるが、まずは1対1で負けないことが一番重要」と断言する。バイエルンでは世界最高峰の選手を相手に、日常的に1対1や数的不利のトレーニングを積む。「そうした日常が自分を成長させてくれた」と振り返り、日本代表も選手一人ひとりの力が上がれば、戦い方そのものも変わっていくと信じている。
4年後は31歳になる。十分に中心を担える年齢だ。だが、この3年半に全精力を注いで挑んだW杯を終えた直後である今はまだ、先のことについて明言していない。まずは心身を休ませて来季に向かうつもりだ。
(取材・文 矢内由美子)

