「なぜ30年前から100円のまま?」に社長が回答…「豆苗」トップ企業が値上ラッシュに乗らない"納得の理由"
■“温室育ち”は外で育った野菜に勝てない
施設野菜メーカーの村上農園は、レタスをつくらない。トマトも、キャベツも、白菜も。
つまり、メジャーな野菜をつくらない。これは、植物工場を持つメーカーとしては異例の方針だ。
一般的な植物工場はまず、レタスかトマトをつくる。需要があり、売り先に困らないからだ。だが村上農園の社長 村上清貴さんに言わせれば、それこそが「負けパターン」の入り口なのだという。
「工場の野菜は品質面で、外で育った野菜に勝てません。ストレスがないからです。風や雨、気温の変化など、ストレスのある環境で育った方が、しっかりした味のいい野菜ができやすい。温室育ちはダメなんですよ」

さらに、コスト面の課題もある。畑の野菜は太陽の光と雨水で育つ。だから、エネルギーコストがほとんどかからない。一方、植物工場は電気代も空調代もかかる。品質で負け、コストでも負けるのだ。
「だから植物工場の野菜が求められるのは、気候の影響で露地野菜が高騰した時だけ。『植物工場にはありませんか』と連絡が入る。でも安くなったら『もう要りません』とお払い箱です」
つまり気候に恵まれた日本で植物工場でレタスやトマトを作って採算が合うのは、露地農家がいなくなった時しかない。
「だったら、売れない野菜を始めた方がいい。売れない野菜の価格は自分たちで決められるし伸びしろがありますから」
村上さんはサラリと言い切る。豆苗もブロッコリースプラウトも、村上農園が手がけ始めた頃はマイナーな存在だった。つまり「なくても誰も困らない野菜」である。
だからこそ競合がおらず、価格は自分で決められる。レタスやトマトのレッドオーシャンで薄利の価格競争に巻き込まれるのではなく、ブルーオーシャンで自ら市場を作る。
それが、村上農園のすべての商品戦略の起点だ。

■誰もいないから値段が決められる
その方法論を、村上さんは前職のリクルート時代に学んだ。
リクルートはもともと、「マーケットのないところを開拓していく」のが強みの企業だ。
たとえば、求人情報誌の話が分かりやすい。仕事探しといえば「ハローワーク」に通うか「コネ」に頼るかという時代に、リクルートは雑誌に求人情報を掲載し、企業と求職者をマッチングさせるというサービスを確立した。だが、当初はブルーオーシャンだった市場も、「儲かる」とわかれば当然、追随する他社が出てくる。
大手新聞社が同様の雑誌を立ち上げ、「よもや情報誌の値下げ競争になるか」と思われた。しかしそのとき、リクルートがとった作戦は値下げではなかった。本屋で競争になるなら、場所を変えればいいと、「コンビニエンスストアやKioskに専用ラックを置いてもらう」という作戦で切り抜けた。つまり、設置場所の「ブルーオーシャン」を狙って成功したのだ。
だから村上農園では、「売れている」米もキャベツも白菜もつくらない。
前編で書いたO-157後の反撃をした時期――カイワレ以外をつくりはじめた当時は、豆苗もブロッコリースプラウトも、外部に生産を委託したルッコラやハーブも、すべて「日本にはまだ確固たる市場がなかった野菜」だった。
誰もつくっていないから、村上農園が価格を決められた。
誰も売っていないから量販店に提案すれば「面白いね、やりましょう」と話が進んだ。
30年間、一貫してこの戦略で走り続けてきたのだ。

■なぜ「第2の村上農園」は現れないのか
では、なぜ他社は同じことをしないのか。
答えは、先行投資の限界にある。
ブルーオーシャンの野菜の良さを認知してもらうためには、長い時間とお金が必要だ。多くの人に知られていない野菜は、はじめてすぐ、いきなりはうまくいかない。
「ブロッコリースプラウトなんて誰も知らなかったのが20年前です。そこから20年かけて認知を広げ、ようやく定着させてきました。それを、大企業が『3年で伸ばせ』と言ってはじめても、3年経って『やめましょう』になるのがオチです」
加えて、くわしくは後述するが、同じ水準の品質・価格で安定した供給を担保できる仕組みを作ることも、一朝一夕でできるものではない。
さらに、参入の際に壁となるのが、量販店への販路の確保だ。
食品メーカーが市場に参入しようとしても、量販店の青果バイヤーと面識がないと難しいという。たとえば、大手調味料メーカーが販売しようとしても、つながっているルートはあくまでグロサリーの部門。生鮮野菜のバイヤーは別の人間となり、一から関係を作らなければならない。
村上農園は、O-157後の苦闘のなか、ルッコラやハーブなどの外部委託販売で「失敗してもいい小さな挑戦」を繰り返し、全国の量販店と生鮮野菜売場との直接取引ルートを構築してきた。さらに、ゼロから30年をかけて豆苗、「ブロッコリースプラウト」の認知を広げ、マーケットを創造してきた。それを短期間で再現するのは、事実上不可能だ。
「野菜工場は簡単だろうと思って参入される企業は多くいらっしゃいます。自分たちの技術をもってすれば、簡単に収益が上がるだろうとおっしゃいます。けれど、実際そこに入った時に何が待っているかというと、品質面で露地野菜に負け、コストでも負ける現実です。農作物は、30年くらい先まで見越して投資しなければならない。1年、5年、10年で結果は期待できません」
ブルーオーシャンの開拓は一日にしてならず。長期戦の構えでなければならないのだ。
■30年間ずっと「100円」のワケ
そして、実は豆苗も、いまだ「我慢の時期」にあると村上さん。その証拠が、豆苗販売を始めてからずっと「100円前後」をキープしている価格に表れている。
なぜ、豆苗は30年間、「100円前後」のまま売られ続けているのか。

コストは確実に上がっている。ウクライナ戦争の影響で穀物市場が混乱し、連動して豆苗のもとになるえんどう豆の国際価格も高騰。円安の影響もあり、種子の調達コストは従来の1.7倍から2倍近くにまで上がった。電気代、資材費、人件費もすべて上昇中だ。
山の斜面を利用して地下部分に工場を建てることで寒暖差を抑えたり、太陽光を最大活用したりと、なるべくエネルギーを使わない設計にしているとはいえ、自然の恵みで育まれる露地野菜とはかかるコストがまったく違う。
「出荷量が増えているからギリギリカバーできる」価格だという。
それでも村上さんは、値上げに踏み切らない。
「今は我慢して、とにかく普及させたい。みなさんが日常的に使える環境を築いてから価格を調整していく方が、大きく伸びるのではという戦略なんです」
さきほども言った通り、村上さんが見ているのは5年先でも10年先でもない。30年先の日本の農業だ。

■高齢化、離農はますます進む
「今、ほうれん草を作って普通に販売しても、農家の収益性はかなり低くなっています。肥料も、資材も、最低賃金も上がっているからです。でもほうれん草の価格は市場の相場で決まるから、生産コストがいくら上がっても関係ない。そんな状態で、さすがに後継者がいなくなっています」

たとえ継いでも、将来、子供を大学に進学させることができない。それくらいの所得しかないからだ。
高齢化と離農が進み、ほうれん草や小松菜を作る農家は減る一方だ。地球温暖化による気候変動も、今後ますます進むことが予想される。その時、栄養価が高く、工場で安定生産でき、幅広い料理に使える豆苗は、露地野菜の「受け皿」となりうる。
豆苗の市場規模は現在約50億円。村上さんが「普及したと言える点」とみなすのは約100億円で、チンゲン菜や春菊と同程度の規模感だ。まだ、半分にも達していない。
だから今は「定着」のための投資期間と捉えている。「100円前後」の価格は、単なる安売りではない。30年後のシェアを取るための戦略なのだ。
「100円の時代は、そのうち終わるかもしれないのでしょうか」
豆苗が値上がりする……。ほうれん草や小松菜が高騰するたび豆苗に頼り、刈り取った後、2度、3度と自宅で収穫している筆者は思わず身を乗り出して尋ねた。
「終わる可能性が絶対ないとは言えません。だけど、日本の消費者はこの30年間、物価がほとんど変わらない環境で暮らしてきました。世界的に見たら、こんな国はほかにないんですよ。その状況にこそ、問題があるのではないでしょうか」
■設定温度は同じでも、状態が違う
132億円の売り上げを支えるのは、安定した価格だけではない。全国13カ所の生産施設から、同じ品質の野菜を毎日届け続ける信頼も大きい。
「植物工場なんだから、全部同じ品質になると思うでしょう? それが意外に難しい。同じエアコン23度設定でも、札幌と那覇ではおそらく感じる温度が違う。植物工場でも同じなんです」
たとえば、北海道の冬と沖縄の夏では、同じ温度を作るための風温も全く違う。湿度も水温も地域・季節で変わる。一見単純に見える温度管理が、実は最も難しい技術なのだ。
「決まった育て方をすれば同じものができる」と考える植物工場が多いなか、これらの要因から村上農園は、「毎日、違う育て方をする」ことを前提としている。
■観察、記録、考察、栽培
すべての源となる種子も、産地や収穫年によって発芽特性が異なる。
「同じ種でも、アメリカ産とイタリア産では全く違うんです」と村上さん。農産品である以上、その個体差は避けられない。だからこそ、毎日の観察と調整が欠かせない。
「同じようには育たないので、種子に合わせて考えながら育てるしかありません。栽培者が毎日観察して、記録をつけて、考察して、その都度判断しながら栽培するしかないんです」
そこで、毎日の商品サンプルを広島の品質管理室に毎日集め、統一基準で採点する仕組みを作った。
「生産拠点が1カ所だけだと、品質が本当にいいのか悪いのか分かりません。たとえ、栽培者が『この品質が限界です』と言ったとしても、本当に限界なのかは他の拠点と比較してみたらわかります。全国に13の拠点があることが、品質を安定させる強みになっています」


■南は沖縄、北は北海道、そして海外にも…
複数の拠点があることには、「管理が大変」というデメリットもある。だが、この「全拠点で品質を比較・標準化する仕組み」こそが、新拠点展開の武器にもなった。
2012年には、本土とは気候の異なる沖縄でも、このノウハウを活かして地元企業との合弁会社を起業。3年で黒字化に成功した。加えて台湾では、2022年からライセンス契約で「三日苗・超級青花椰苗(ブロッコリー スーパースプラウト)」の現地生産が始まっている。

さらに、2025年には、北海道にも生産工場が完成し、北から南までカバーできる体制が整った。
ちなみに、ブロッコリースプラウトにおいては、がん予防に有効な「スルフォラファン」の含有量まで厳格にチェックし、さらに高濃度な種子の品種改良にも取り組んでいる。現在の「第4世代の種子」では、初期の1.7倍の濃度を実現。「他社のものとは比較にならない」と胸を張る。
パッケージに記された黄色の「ブラシカマーク」は、スルフォラファンの含有量と品質がジョンズ・ホプキンス大学ポール・タラレー博士の基準を満たしている証明で、日本では村上農園だけが認定を受けている。

ところで、村上農園は自らを「施設野菜メーカー」と呼ぶ。
どうして「農家」ではないのか。
■農業ではなく「脳業」
「我々の事業は農家とは完全に一線を画しています。農業に軸足は置きながら、経営はメーカーとしての考え方で進めています」
この意識は創業時からのものだそうだ。実際、村上農園は、一度も農業補助金を受けたことがないという。
「といいますか当初は、もらいたくても、もらえなかったんです。そもそも水耕栽培自体が農業の範疇ではないと言われていて……。株式会社が農業をやるという発想自体が、昔は認められていませんでした」
補助金に頼れない、頼らないからこそ、自分たちの頭で考え、自分たちの判断で投資し、自分たちの商品で市場を開拓してきたのだ。村上さんはこの姿勢を「脳業」と呼ぶ。頭を使った農業。1990年代半ばから使い始めた造語だ。
「新たにマーケットを作り出すことが我々のテーマです。あるマーケットに対して売り込みをするんじゃなくて、“ない”マーケットを“ある”形にしていく。そのためには頭を使わないと、『そんなのいらないよ』って話になるじゃないですか」
■「ドバイを見て死ね」
取材の終盤、ある講演で村上さんが語られていた、印象的な言葉の意味を尋ねてみた。
その言葉とは「ドバイを見て死ね」だ。
ナポリの絶景を見たゲーテの言葉「ナポリを見てから死ね」のもじりである。「ナポリの風光を見ずに死んでしまっては、生きていた甲斐がない」という意味だが、村上さんが見ているのは風景ではない。
「ドバイは元々、アラブ首長国連邦の中でも何もない国だったんです。石油もありません。ただの砂漠で、古い港町。だけど、なにもないからこそ開発しがいがあった。もし、さまざまなものがある街だったら、そこにあるものを変えなければなりません。何もない街だったからこそ、あそこまで自由に設計でき、発展できたんだと思います」
豆苗もブロッコリースプラウトも、もともと日本の食卓にはなかった。何もないところに市場を作り、品質基準を作り、全国に生産体制を作った。まさにドバイの砂漠に高層ビルを建てたのと同じ発想だ。

「事業は、そのときダメでもダメだと思っちゃいけない。可能性があるのかということを客観的に見たなかで、自分たちで『いずれこういう形にしよう』と考えていけば、どんな商品も、どの事業も発展するチャンスはあります」
村上農園のこれからのビジョンは、「2040年までに売上高1000億円」「世界一の施設野菜メーカーになる」だ。
65歳の村上さんは最後に、こう語った。
「日本はすっごくいい国なんですよ。そのいい面を海外にどんどん普及させていくのが日本の使命だと思います。我々もその一翼を担いたい」
カイワレの大量廃棄から出発し、「農業」を「脳業」に変えた男。倒産の危機に瀕したあの日から、売上高132億円の頂にたどり着いた今、その視線は世界を向いている。
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笹間 聖子(ささま・せいこ)
フリーライター、編集者
おもなジャンルは「ホテル」「ビジネス」「発酵」「幼児教育」。編集プロダクション2社を経て2019年に独立。ホテル業界専門誌で17年執筆を続けており、ホテルと経営者の取材経験多数。編集者としては、発酵食品メーカーの会員誌を10年以上担当し、多彩な発酵食品を取材した経験を持つ。「東洋経済オンライン」「月刊ホテレス」「ダイヤモンド・チェーンストアオンライン」「FQ Kids」などで執筆中。大阪在住。
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(フリーライター、編集者 笹間 聖子)
