アパグループ・元谷一志社長兼CEOに聞く!「日本一のホテルチェーンの今後の戦略とは?」
─ 創業者である元谷外志雄会長(故人)から経営のバトンを受け継ぎ、社長兼CEO就任から4年目を迎えましたね。
元谷 はい。社長兼CEOに就任したのが2022年4月ですが、その半月前の3月15日の朝に会長から電話で呼び出されました。すると、「4月1日付で代替わりをする」と言われました。そして、5月10日の創業記念日までに中期経営計画も策定するように言われました。
─ かなり急でしたね。
元谷 そうですね(笑)。3月14日が会長とアパホテル社長(元谷芙美子氏)の結婚記念日だったということもあると思いますが、創業から50年連続黒字を達成したことを区切りにしたいとも言っていました。
実はそれ以前の私が大学4年生のときに、将来的に家業に戻ってくるかどうかについて踏み絵がありました。就活のときに家業に戻ってくる気がないなら一筆書きなさいと。その書類を見てみたら、「法定遺留分を含め、財産全てを放棄します」と書かれていました。家業に戻る気がないなら退路を断てという感じでしたね(笑)。
─ どう決断しましたか。
元谷 起業するか家業に戻るかの2択でした。ただ、実際に起業したとしても、せいぜい売上高100億円ほどの企業しかつくれないだろうと。一方で家業に戻れば、より一層、会社を大きく成長させることができるのではないかと考えたんです。
いわば雪国で種雪から雪だるまを作るように、大きい種雪があれば、より大きな雪だるまが作れます。今から会社を引き継ぐことで1兆円企業をつくることもできるはずだと考え、家業に戻る決断をしました。
─ 大学卒業後は住友銀行(現三井住友銀行)に入行しましたが、仕事の内容とは。
元谷 振り出しは東京の浜松町支店。預金の入出金や振込などの業務を行うハイカウンターから始まり、外国為替業務を経て、本部の法人業務部の不動産チームで業務外収益を稼ぐ仕事を担当しました。例えば、銀行の営業時間外に駐車場を時間貸しにして収益を得るといった事業です。
次に配属されたのが個人企画部の企画チームで、西暦2000年になるとコンピュータが日付を正しく認識できなくなって誤作動を起こす可能性が指摘された「2000年問題」の対応と他人が持っている売掛債権を買い取って、その債権の回収を行うファクタリングの会社の設立に携わりました。その後、28歳のときに家業に戻りました。
現場の社員に数字を根付かせる
─ それが1999年です。
元谷 ええ。突然、アパホテルの常務取締役で戻ってこいと言われました。20代の若造が創業期のメンバーなど50代の方々が数多くいる中に入っていった感じですね。ただ、そんな自分の唯一の強みが、その若さではないかと思いました。変化する時代に対してもビビッドに反応することもできますからね。
当時はアパホテルの黎明期で、今ほどのブランド力もありませんでした。グループ内での事業規模も不動産がメインとなっており、ホテルはまだ本流ではありませんでした。ですから、社内でのホテルのマネージメントスキルもあまりなかったですね。
─ どう改善しましたか。
元谷 例えば、月末着地の見込み数値などは、そのホテルの支配人だけしか分からない状況でしたが、現場の社員にも数字の意識を根付かせるべきだと考え、数値を共有する地区ごとのブロック会議の開催を提案しました。また、日報の売り上げも開示するようにし、売上高から経費を引いた営業総利益(GOP)を重視する経営に変えていきました。
