長嶋茂雄氏のお陰でプロ初打席初ヒット? 中日ドラゴンズのレジェンド・谷沢健一氏が明かした巨人V10阻止&優勝パレード裏話

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昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・紱光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”を、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!

中日ドラゴンズの主軸打者として活躍した谷沢健一氏。巧打の中距離打者として強竜打線を引っ張り、新人王、首位打者2回、ベストナイン5回などのタイトルを獲得。持病のアキレス腱痛による引退の危機を乗り越えて通算2062安打を積み重ねた“不屈の男”に紱光和夫が切り込んだ。

長嶋氏を見てプロ初打席初ヒット

早稲田大学からドラフト1位で中日ドラゴンズに入団した谷沢氏。ルーキーとして迎えた昭和45年の開幕戦の巨人戦で、いきなり7番レフトで先発出場する。

谷沢:
巨人の先発ピッチャーは左の高橋一三さん、前年に22勝を挙げた経緯もあって開幕投手だった。後楽園でね。第1打席のバッターボックスに入ったんですよ。そしたら、サードには長嶋さん。ずーっと見まわしたらファーストには王さんがいる。

徳光:
そうそうたるメンバーが並んでた。

谷沢:
そう、そうそうたるメンバーですよ。そしたらね、膝が震えたの。それまで、そんなことなかったんですよ。

徳光:
なるほど。

谷沢:
でね、僕はやおらバッターボックスを外したんですよ。手に土をまぶして何秒かあったんです。
僕は左バッターだから、そのとき、サードの長嶋さんが目に入ったんですよ。「ああ、そうか」と。「長嶋さんはデビューのときに金田さんから4回三振した。4打席連続三振。長嶋さんは4回も続けて三振したんだ。じゃあ、俺だって1回ぐらい三振してもいいだろう」。何秒かの間に、そう思ったんですよ。それからバッターボックスに入り直したの。
そしたら、膝の震えがピタッと止まってるんです。高橋一三さんが3球目に決め球のスクリューボールを投げてきて、ちょっと高めに浮いたところにバットを出したら、一三さんの横を抜いてセンター前にいったんですよ。

徳光:
今の話を聞いててちょっと驚きましたよ。新人でしょ、開幕戦でしょ。普通、バッターボックス外せないですよ、新人で。自分で自分の間合いを取るなんて古今亭志ん朝さんぐらい(笑)。そういう意味では谷沢さんはメンタルもすごいんですね。

外木場氏、堀内氏のカーブに仰天

谷沢氏は1年目から大活躍。126試合に出場し427打数107安打、打率2割5分1厘、11本塁打、45打点の成績で新人王に輝いた。そんな谷沢氏だったが、プロに入って驚いたのがエース級ピッチャーが投げるカーブだったという。

谷沢:
広島に外木場義郎さんというノーヒットノーランを3度(うち1回は完全試合)やったエースがいた。そのカーブのすごさったら。一回浮くんですよ。浮くように見えるんですよね。浮いてからストンと落ちるんですよ。

徳光:
谷沢さんの外木場さんとの対戦成績はあまり良くないんですよね。133打数30安打で打率2割2分6厘、三振25。

谷沢:
あまり見たくない数字だね(笑)。
巨人の堀内(恒夫)もそうですよ。堀内もカーブが一回浮いてからズドン。だからどこで打っていいか分かんないんですよ。堀内に対して僕は3年間、1割台ですよ。

谷沢氏と堀内氏は同学年だが、高校からプロに入った堀内氏は、谷沢氏が大卒でプロ入りしたときには既に巨人の主力投手として活躍していた。

谷沢:
高校時代は堀内と何回も対戦してるの。僕らが甲府商業に行ったり彼らが習志野に来たり。ところが、高校時代は一切カーブを投げてないんです。

徳光:
プロで対戦して初めて見た堀内さんのカーブ。

谷沢:
初めてその浮き上がってくるカーブを見たんです。「あいつがこんなカーブ投げるのか」って思いましたよ。

“柴田&高田”対策に水浸し

徳光:
V9時代のジャイアンツと対戦してどうでしたか。やっぱり強かったですか。

谷沢:
いやぁ、強かった。6回までリードしてても7〜9回でひっくり返される。そんな試合ばっかりだったですね。

打倒巨人のため中日スタヂアム(後のナゴヤ球場)のグランド整備も、巨人戦のときは特別仕様だったという。

谷沢:
すごいグランドキーパーがいてねぇ。初回に柴田(勲)さんや高田(繁)さんを出してしまうと、必ず得点が入るんですよね。だから、試合直前の水まきのときに、ファーストから3メートルぐらい、リードする部分を水浸しにするんですよ(笑)。

徳光:
ほんとですか(笑)

谷沢:
幅30センチちょっと3メートルぐらいを水浸しにして、後ろからリードしないとセカンドに行けないようにしてた。

谷沢:
滑るから、そのグランドキーパーから「そこ、注意しろ」と知らせてもらって。

徳光:
谷沢さんはファースト守ってたから(笑)。

谷沢:
柴田さんが言うわけですよ。「なんだこれ、谷沢! こんな水のまき方して」とか。知らんぷりしてましたけどね(笑)。

巨人のV10を阻止

巨人は昭和48年まで9連覇を達成していたが、昭和49年のセ・リーグは中日が巨人とのデッドヒートを制して20年ぶりに優勝。巨人のV10を阻止した。

谷沢:
6月まではそんな(優勝の)雰囲気は全然ない。梅雨の声を聞いてからですね、「今年はいけるんじゃないか」ってチームがまとまりだしたのは。

谷沢:
ウォーリー与那嶺(与那嶺要)さんが監督で、日系2世で外国人の監督ですから、選手たちを家に呼ぶんですよね。そうやってファミリー的な団結力をつくるわけですよ。

徳光:
なるほど。

谷沢:
それで、巨人の川上(哲治)監督のことを、「あの哲に負けてなるものか!」って言うわけですよ。川上さんのときに巨人を出されたから、川上さんを「哲」って呼ぶんです(笑)。それで、「打倒巨人」の雰囲気がどんどんチームの中に広がってくるんですよ。

徳光:
メンタル面を植え付けたわけですね。選手がどんどん一丸になっていくわけですか。

谷沢:
星野(仙一)さんも中3日でも巨人戦になるとね、「行く」って言うんですよ。ほかローテーションのピッチャーが怒ったりするんだけど、「お前どけ! 俺が行く」と。それで、6月の末から7月にかけて勝率がどんどん上がっていくんですよ。

徳光:
それで巨人のV10が止められたわけだ。

谷沢:
中日球場はフェンスが低かったから、ファンがウワーッて雪崩のごとく入ってくるわけです。胴上げどころじゃないですよ、みこしまで入ってくるんだもん。

徳光:
そうですか(笑)。

谷沢:
だからマウンドの上にみこしはあるし、ファンはいっぱいいるし、グラブは盗られそうになるし。そんな中での胴上げっていうかね。ファンが胴上げしたようなもんですよ。

優勝パレードで手が腫れた!?

徳光:
その後、すぐに日本シリーズでしょ。

谷沢:
その前に優勝パレードがあったんです。だけど、同じ日に後楽園で長嶋さんの引退試合があって巨人対中日なんですよ。

徳光:
そうでしたね、ダブルヘッダーで。

谷沢:
すぐそこにロッテとの日本シリーズが差し迫ってるのに、中日の1軍半的な選手が後楽園に行って、レギュラー組は名古屋でパレード。それで、何十万人かのファンが名古屋の中心地にあふれて、ファンと握手しまくったんですよ。そしたら、手が腫れてねぇ。

徳光:
はぁ、それは野球になんないですね。

谷沢:
手が腫れてバットを持つどころじゃないですよ。
でもねぇ、高木守道さんだけはそれを分かってて手袋してたんですよ。だから、日本シリーズで最初に活躍したのは高木守道さん(笑)。

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/6/4より)

【中編に続く】