なぜオリックス・中嶋と阪神・岡田は歴史に残る名将になり、楽天・今江は解任されたのか…「チームを日本一にする」監督の”意外な条件”
シーズン終わりの恒例行事とはいえ、一挙に5人退任となると、なんとも寂しいものがある。さらば名将たちよ! プロ野球をとことん愛する長谷川晶一氏、村瀬秀信氏が、その実像と思い出を語りつくす―。
前編記事『なぜ中日・立浪は「3年連続最下位」で終わり、西武・松井は「交流戦前の休養」に至ったのか…今季退任した監督たちの「強烈だった指導」「ヤバすぎる采配」』より続く
歴史に残る名将
長谷川:退任する監督の中で、歴史に残る名将も現れました。オリックスの中嶋聡監督です。
私は中嶋さんが現役のときに取材したことがありますが、野球の全体像をしっかり見ている、聡明な方でした。彼は'87年の阪急(のちにオリックス)入団から、西武、横浜、日ハムと4球団を渡り歩いた苦労人。様々な球団を見る中で、野球とは何か、監督とは何かという考えを磨きぬいていったのでしょう。
それに、外様としての苦労も知っている。実はこれ、監督の大切な資質だと思うんです。
村瀬:中嶋さんがいたころの横浜は、谷繁元信が抜けた後で捕手が3人体制でした。中嶋さんの出番はあまりなく、優遇はされていなかったかな。結局1年で日ハムに移籍してしまいますから。ただこのときに、外様の苦しさを学んだのでしょう。生え抜きも外様も分け隔てなく選手をうまく起用していた印象です。ヤクルトファンの長谷川さんにとっては、中嶋さんには苦い記憶もあるでしょうけど(笑)。
長谷川:'21年と'22年の日本シリーズは、ヤクルト対オリックスの同カード。'21年はヤクルトが勝って日本一となりましたが、翌年はリベンジされて悔しい思いをしました。
ただ、このときの采配は本当に見事でしたよ。中嶋監督は日本シリーズの最中に、投手の起用方法を大胆に変えてきたんです。初戦で守護神の平野佳寿、第2戦で阿部翔太が被弾すると、ワゲスパックを抑えに起用する大胆な采配でヤクルトに雪辱、日本一を手繰り寄せました。中嶋さんの戦術に、ヤクルトは対応できなかった。あの柔軟さは素晴らしかったですね。
日本一の監督の条件
村瀬:勝利のために全力を尽くす監督なのに、後年は選手の気持ちが中嶋さんと呼応していない場面が見られた。それが残念ですよね。
長谷川:そうそう。監督が審判に真剣に抗議しているのに、ベンチの中で選手がヘラヘラ笑っていたりね。
村瀬:結局、今年は5位に終わりましたが、中嶋監督は退任に際して「優勝後のチーム内の気の緩みが改善されなかった」と漏らしていました。あの名将でさえ「令和の緩さ」に悩まされたのかと、ショックを受けました。
長谷川:私にはひとつ、監督に関する持論があります。それは、チームを日本一にするのは「外様の厳しい監督」、もしくは「生え抜きの優しい監督」というもの。ヤクルトの場合だと、前者が広岡達朗、野村克也。後者が若松勉、真中満、高津臣吾です。理想は「生え抜きで厳しい監督」なんですけど、それができる人は少ない。その貴重な存在が、中嶋監督であり、岡田監督でした。
岡田監督のもと、阪神は'23年に日本一に輝きましたが、私は常々「厳しい監督だな」と思っていました。成績は好調なのに、佐藤(輝明)選手らに対して辛辣な言葉を投げる。しかも、スポーツ紙などを通じて、という古いやり方で。
村瀬:それまでの阪神に流れていた緩い空気を一変させたのは間違いありませんよね。
長谷川:前任の矢野燿大監督が朗らかすぎましたからね。キャンプでは「予祝」といって、優勝した時のことを想定した胴上げの練習をしたり、ホームランを打った選手にメダルをかけていましたから。
村瀬:矢野阪神って強くても怖くなかったんですよね。だから、岡田さんは阪神に怖さを取り戻すため、監督就任後に「予祝」をすぐに廃止しました。また、調子が良くとも天狗になりそうな選手はシーズン中に二軍に落としていた。あれも怖さのひとつでしたね。
長谷川:選手の慢心をおさえる一方で、一時的に主力を休ませ、戦力の温存にもつながったんですよ。こうした選手の育て方・チームの作り方は、経験値の高い岡田監督にしかできない。
村瀬:今年8月、主力の一人である村上(頌樹)選手が中日戦で自己ワーストの5四球を与えると、いきなり二軍落ちとなりました。お前たちの代わりはいるよ、という強烈なメッセージ。ただ、立浪監督と違うところは、その意図が選手たちにも伝わるんです。これぞ名将の力。結局、村上はシーズン中に一軍復帰。意味のある「懲罰」となりました。
令和の悲しき指揮官
長谷川:そんな岡田監督でも、完全には令和の選手の心をつかみきれなかったのかもしれません。スポーツ紙を通じて選手に苦言を呈する昭和のスタイルは緊張感を与える一方で、若手には受け入れられなかったのかも。
村瀬:最後に楽天の今江敏晃監督ですが、彼こそ「令和の悲しき指揮官」ですね。
長谷川:楽天は創立以来20年間で、1年で退任した監督が6人。異様です。
村瀬:「IT企業らしい」といえばいいのか、オーナーの三木谷浩史氏がせっかちですぐに結果を求めるタイプなのか、生半可な結果では許せないんでしょう。
今江監督はファンサービスにも注力していて、今年は観客動員もよかった。結果こそ4位で終わったものの、若い選手も育ってきていました。監督の最終戦のスピーチでも、その手応えが感じられて、来年も続投だと思ったのに、スピーチ翌々日に球団が解任を発表した。むごすぎます。
長谷川:今年は交流戦も優勝しているのにね。
初のAI監督誕生か
村瀬:私が思うに、三木谷さんは将来的に監督をAIにしようとしているのでは(笑)。1年で監督を交代させているのは、AI監督に様々なデータを食わせるためだとにらんでいます。
こうした非情な監督人事が続くと、楽天はもちろん、プロ野球界全体で「監督をやりたい」と思う人が少なくなってしまうのではないでしょうか。「ただ責任を取らされるだけなら、やりがいもクソもない」と感じてしまうおそれがあります。
長谷川:監督なんてやりたくない、と公言する元選手も増えています。昭和の時代、プロ野球の監督は男の夢のひとつでした。ところが今の時代に、監督を引き受けるのは貧乏くじに近い側面もある。一般企業でも、昇進して責任を負うことを嫌う社員が増えていますが、そうした空気が野球界にも流れてきているのかもしれません。
村瀬:ファンが監督に対して厳しい目を向けすぎているのも一因かもしれませんね。シーズン中、SNSでは監督への誹謗中傷ともいえるひどい言葉が溢れていましたから。
長谷川:令和気質の選手の引き締めに悩み、ファンの声に頭を痛めるなかで、結果を出し続けなければならない。監督とはなんと大変な職務か。だからこそ私たち野球ファンは、退任する監督に「プロ野球を楽しくしてくれて、ありがとう」と感謝の念を持たなければならないんですよ。
【さらに読む】『なぜ中日・立浪は「3年連続最下位」で終わり、西武・松井は「交流戦前の休養」に至ったのか…今季退任した監督たちの「強烈だった指導」「ヤバすぎる采配」』
はせがわ・しょういち/'70年、東京都生まれ。'03年に独立。近著に『海を渡る サムライたちの球跡』『プロ野球アウトロー列伝 異端の男たち』など
むらせ・ひでのぶ/'75年、神奈川県生まれ。'00年よりライターとして活動。著書に『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』など
「週刊現代」2024年10月26日・11月2日合併号より
なぜ中日・立浪は「3年連続最下位」で終わり、西武・松井は「交流戦前の休養」に至ったのか…今季退任した監督たちの「強烈だった指導」「ヤバすぎる采配」