中国から提供されたトキの子、日本が間もなく半数を中国に返還―中国メディア
日本政府の環境省は31日、中国から提供されたトキのつがい2組の計4組の子のトキ16羽を中国に返還する。提供時の取り決めで、子は産まれた順に、所有権が日本と中国に交代で割り振られることになっていた。16羽のうちメスは9匹、オスは7匹だ。中国メディアの新華社はこのほど、中国と日本のトキの歴史と、さらに韓国も含めた関連する交流と協力を振り返る記事を発表した。
中国語にはトキを示す漢字表記がいくつかあるが。よく使われるのは「朱䴉」の文字だ。しかし日本では「朱鷺」と書かれることが多い。日本語の「朱鷺」の文字は、中国におけるトキの古い名称だ。南朝の陳の最後の皇帝だった陳叔宝(陳後主、在位:582−589年)は詩の一節で「朱鷺戯苹藻、徘徊渓流曲(トキは浮草や藻の間で戯(たわむ)れ、渓流をさまよい行く)」と、水辺にいるトキの情景を描写している。
トキはかつて東アジアに広く分布し、中国、日本、韓国の人々はトキを「縁起のよい鳥」として愛してきた。しかし20世紀になると開発が進み、さらには農薬の使用などでトキの餌である小型淡水魚やカエルなどが激減したことで、トキは急速に個体数を減らした。
日本ではトキが野生の状態で個体数を増やすことは不可能と判断した。1981年に新潟県の佐渡島に残っていた野生のトキ5羽を捕獲し、それ以前から能登半島で飼育されてた1羽と合わせて飼育することにした。日本は野生トキがいなくなったと宣言した。
中国ではその時点で、トキはすでに絶滅したと考えられていた。ところが同じ81年に、陝西省の洋県で野生のトキ7羽が生息していることが確認された。
日本ではトキが佐渡トキ保護センターで飼育され、人工繁殖が試みられたが成功せず、2年間で3羽が死んだ。日本は85年に中国からオスのトキの「ホワンホワン(歓歓)」を借りて、日本生まれメスのトキの「キン」とペアにしたが、子を作ることはできなかった。「キン」が高齢だったためと考えられている。
日本では人工繁殖に何としても成功しなければ、トキが「完全絶滅」の状態になってしまう。中国側も日本に協力し、トキを貸与するなどした。しかし人工繁殖はなかなか成功しなかった。中国側は94年10月にオスの「ロンロン(竜竜)」とメスの「フォンフォン(鳳鳳)」のトキ2匹を佐渡に貸したが、ロンロンは2カ月後に死んでしまった。この時点で、日本生まれのトキはオスの「ミドリ」と「キン」の2羽だけで、いずれも老齢だった。そこでやむを得ず、95年4月に「フォンフォン」と「ミドリ」を同じ檻の中に移した。すると「フォンフォン」は卵5個を続けて産み、日本側は大いに喜んだ。しかし数日後に「ミドリ」は突然死亡し、「フォンフォン」が産んだ卵は全て無精卵と分かった。「フォンフォン」はその後、中国に戻された。佐渡保護センターには、老いた「キン」だけが残った。
新潟県の当時の平山征夫知事は、佐渡保護センターを訪れた際に、「キン」が自分に向かって歩いて来る姿を見て、「何としても佐渡でトキを繁殖させて、トキに佐渡の空を飛び回らせたい」と、心の中で誓ったという。
平山知事は88年に中国の指導者が日本を訪問した際に、中国側訪問団に健康なトキを渇望する考えを誠意をもって伝えた。こうして「ヨウヨウ(友友)」と「ヤンヤン(洋洋)」が日本にやって来ることになった。そして、人工繁殖などの専門家である席咏梅さんもやってきた。席さんは幼い息子を育てる母だったが、佐渡トキ保護センターで2年間に渡り勤務した。
日本生まれの最後のトキだった「キン」は2003年10月10日に死んだ。しかしその時点で、佐渡トキ保護センターで飼育されるトキは40羽にまで増えていた。
中国からは日本のトキの遺伝の多様性を確保するために、07年と18年に、トキのオスメスのつがい1組ずつが提供された。日本ではまた、トキを野生に戻す試みも実施された。最初の放鳥は08年9月25日だった。オス5羽、メス5羽で、日本の空をトキが飛ぶのは27年ぶりだった。その後の調べによると、自然に放たれたトキが5年後も生きている確率は平均で40.1%に達した。また、最初の放鳥から14年間で、トキ29羽が本土に渡ったことが確認された。最も遠くまで移動した1羽は仙台に至った。また17羽は再び佐渡に戻った。佐渡に戻ったのはすべてオスだった。
21年末時点で、日本で生きているトキは約650羽で、うち野生で生まれた個体は325羽、放鳥された個体は153羽、飼育中の個体は182羽に達した。野生状態で暮らすトキは480羽程度だが、専門によると佐渡島だけでも700羽から1000羽になって初めて、トキが安定して生存できると一安心できるという。
中国では、当初は7羽しか確認されなかったトキの保護で大きな成果を得ることができた。トキの個体数は1万羽以上に達し、生息地は当初の5平方キロから1万6000平方キロにまで拡大した。
中国に10月31日に返還される16羽は、07年に中国から提供されたオスの「ホワヤン(華陽)」とメスの「溢水(イーシュイ)」と、18年に提供されたオスの「ロウロウ(楼楼)」とメスの「関関(グワングワン)」の子で、生まれた時期は16年から22年にかけてだ。(翻訳・編集/如月隼人)