「日本人の賃金は安すぎる」のか…年収ではなく時給で考えるべき「シンプルな理由」

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この国にはとにかく人が足りない!個人と企業はどう生きるか?人口減少経済は一体どこへ向かうのか?

なぜ給料は上がり始めたのか、経済低迷の意外な主因、人件費高騰がインフレを引き起こす、人手不足の最先端をゆく地方の実態、医療・介護が最大の産業になる日、労働参加率は主要国で最高水準に、「失われた30年」からの大転換……

注目の新刊『ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』では、豊富なデータと取材から激変する日本経済の「大変化」と「未来」を読み解く――。

(*本記事は坂本貴志『ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』から抜粋・再編集したものです)

変化5 賃金は上がり始めている

日本人の賃金が安すぎるという認識が近年広がっている。

しかし、賃金を国際比較する際にはその時々の為替の影響などを避けることができず、日本人の賃金が本当に安すぎるのかを検証することは実は難しい。また、少子高齢化に伴う社会保険料負担の増加や、国際商品市況の価格上昇による国民所得の漏出など、日本人の賃金が抑制されてきた原因は企業側だけに求められるわけでもない。

しかし、労働市場の需給がこれまでの賃金の動向に確かに影響を与えてきたことも事実だ。そして、その構造は近年明らかに変化している。

実質の年収水準は下がり続けているが……

図表1-18は、厚生労働省の「毎月勤労統計調査」から実質の年収水準の推移を示したグラフであるが、これをみると確かに、2020年基準の実質の年収水準は1996年に430.5万円でピークをつけた後、2023年には369.5万円へと長期的に低下している。

これは国際比較をしても同様である。年収水準を国際比較してみると、イタリアを除けば日本以外にこんなにも長期にわたって年収水準が上昇していない国は見当たらない。

しかし、まずそもそも賃金は年収水準で比較をすべきだろうか。たとえば、1990年代当時、働く人は壮年期の男性がほとんどだったとみられる。しかし、近年では女性や定年後のシニアなど短い時間で働く人は著しく増えている。あるいは、現代においては新入社員であっても過去のように長時間残業をしてまで働く人は少ない。

これは賃金をどう定義するかという問題であるが、経済の基調を見たいのであれば、基本的には単位労働当たりの賃金、つまり時給で考えるべきだ。

たとえば労働者側の視点に立ったとき、年収が2倍になったとしても、それに伴い年間の労働時間が2倍になっていれば時給では同額である。これを喜ぶ人は少ない。逆に企業側とすれば、従業員の年収水準を2倍に引き上げなくてはならなかったとしても、2倍働いてくれるのであれば経営的にはそれで問題はない。

一方で、従業員の時給が2倍になれば企業の経営は危機的な状況に追いこまれるだろう。仮に従業員の時給が高くなれば、労働力の過度な利用は人件費コストの上昇につながるため、経営者はこれを節約しようと考える。

このように経営者が利潤最大化の意思決定にあたって考慮するのは、従業員の年収水準というよりも、単位労働当たりのコストである時給水準である。これは労働者も同様だ。労働者にとって時給水準の変動は余暇と労働の相対価格を変化させることで、その人の労働供給量の決定にも影響を及ぼす。経済主体の意思決定を記述するうえで重要な指標は、あくまで時間当たりの報酬水準なのである。

近年、賃金統計の母集団を構成する労働者の属性は大きく変わってきている。平均労働時間が急速に減少するなか、年収や月収水準の平均値を追うのみでは経済の実態は掴めない。

このため、『ほんとうの日本経済』で賃金について言及する際には、基本的には時給水準を指すことにまず留意をしておきたい。実際に、FRB(連邦準備制度理事会)の政策決定に大きな影響を及ぼし、世界のマーケット関係者に最も注目されている統計である米国雇用統計は、平均時給を賃金指標のヘッドラインとして用いている。

日本で賃金に関する代表的な統計として用いられるのは、厚生労働省「毎月勤労統計調査」である。同統計調査は、毎月多数の同一事業所の賃金の状況を調査しており、賃金の動向を時系列で分析する際には最も信頼できる統計である。しかし、同調査がヘッドラインとして公表している現金給与総額はあくまで月給である。

人々の働き方が急速に変化しているなかで、各種メディアで報道される現金給与総額だけを見ていると日本人の賃金の趨勢を見誤ってしまうということをまず最初に指摘しておきたい。

つづく「なぜ「日本人の賃金」は上がり始めたのか…「2010年代半ば」から起きていた「変化」」では、時給水準が2010年代半ばを境に上昇している状況について掘り下げる。

なぜ「日本人の賃金」は上がり始めたのか…「2010年代半ば」から起きていた「変化」