日本社会の「最大のガン」の正体…私が「ポスト・モダン」だけを語る人たちが嫌いである理由

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熟慮や中庸といった精神的な姿勢の価値が回復されねばならない。

私は精神科医で、2011年の福島での原発事故の後に2012年に南相馬市に移住してから、政治的な事柄について考えたり発言することが増えた。当初から自分のことをいわゆる「左派・リベラル」だと自認してきた。しかし、10年以上の年月を経て、次第に保守的な姿勢が強まった。今回はそのあたりの事情を説明したい。

この記事では「左派」「リベラル」に大きな影響を与えている「ポスト・モダン」という思想傾向に触れている。そうするのは、俗流化したポスト・モダン的な左派の思考や行動の様式が、「ナルシシズム」という人間心理の厄介な問題を解決させることにつながらず、それをこじらせて成熟を妨げるような性質を強めていることに危機感を抱いているからである。

日本が全体として精神的な成熟を深めるためには、第二次世界大戦における敗戦という出来事に向かい合い、何らかの国民としての共通認識を持てるようになることが大切だと考えている。現在は、「何も悪いことはなかった。帝国主義の欧米がつくった状況に強いられてそうなっただけだ」という意識と、「日本のように罪深い国はない」という意識に分裂している。そのどちらも、熟慮の末に達成されたものではない。

情緒的な面からは、加害者であったことも含めて、悲惨なトラウマであった戦争について、悲嘆や恐怖の感情を含めてきちんとそれらを受け止めた上で、一貫した主体的な意識の中に、さまざまな経験を統合していけるようになることが必要だろう。その作業は、ずっと回避されてきた。

しかしもちろん、戦後の日本人がその課題を回避し続けてきたばかりではない。

思い浮かぶのは、丸山眞男が日本社会を「無責任の体系」と批判し、そのことについて精緻な分析を行った一連の業績など、1980年代頃まで盛んだった一連の日本人論の成果だ。丸山の他に藤田省三、中根千枝、川島武宣、土居健郎、山本七平、中村元らの名前を挙げておきたい。

私はこれらの仕事を引き継ぎ、いかにして「無責任の体系」と名指された社会の中に、責任感を持って一貫した姿勢で社会に参画できる市民を育成していくことが、目指されるべきだと考える。しかし、その作業に興味を示す人は少ない。個人的にはそのための作業を、「日本的ナルシシズムを分析する」という形で継続しているつもりである。しかし日本が高度経済成長を遂げ、また「日本的経営」の優秀さが欧米からも賞賛された事情もあり、こういった日本を貶める印象のある言説が遠ざけられるようになった。時に自虐的に言及されることを除いては。

批評家の柄谷行人が2007年に講談社から『日本精神分析』という本を出版している。この中で、前述したような日本人論への興味を日本の左派知識人が失っていった経緯が説明されている。「ポスト・モダン」と呼ばれる思想の影響力が強まったのである。

「ポスト・モダン」について簡便に説明することは難しい。しかし、丸山らが理想として掲げていたような「一貫した責任を持てる市民」といったイメージを解体する方向の影響を与えるものであると説明することは、不可能ではないだろう。柄谷自身の表現を引用する。

「自己(主体)の不在というようなことを日本の思想の欠陥として批判したのですが、そのような近代的主体を否定するポスト・モダニズムの思想が西洋から到来したのです」

さらに「その結果、日本こそ、ポスト・モダニズムの先端を行くということになったのです」という発想も出てくる。そのような言い方で、日本のアニメのような文化が、世界で評価される状況が理解されるようになった。

「ポスト・モダン」が受け入れられ、その影響力が強まっていった流れがあるにもかかわらず、2024年という今の時代に私がやっているように、1980年代の文献に依拠して「日本は非近代的な」などと批判しているのは、まったく時代遅れのダサい所作とみなされるようになっている。

しかし私も、ポスト・モダンの言い方や仕草を全く知らない訳ではない。時代遅れにみえても、自分が行ってきたような分析と問題提起が、これから述べるような理由で必要であると考えているから行っているのである。実際、丸山らが指摘した問題点は、高度経済成長後に国が豊かになって目立たなくなっていただけで、温存されていた。それが経済力の衰えによって、改めて見えやすくなっているのが現在である。

西欧におけるポスト・モダンの思潮の高まりは、第二次世界大戦のホロコーストのような体験に彼らが向かい合った思想的経験に影響されている。これも丸山眞男が指摘していることであるが、ナチス高官の一部は過度に理性的で、合理的な判断としてホロコーストを遂行した。そのような経験を反省し乗り越えるための営みとして、近代的な主体を解体するモーメントを持つポスト・モダンの思想を解釈できる。

一方日本である。大日本帝国のプロジェクトにかかわり戦後も生き残った指導層の多くが、戦争遂行の理念には表面的に賛同していただけで、自分は空気に強いられただけであり、主体的にそこに関与した感覚に乏しいという状況だった。丸山はそのような日本社会のありようを「無責任の体系」と呼んだ。

このような無責任さが日本社会についての真剣な分析結果として指摘されていたのにもかかわらず、現在の左派知識人のサークルが外来の「ポスト・モダン」の受容と紹介に没頭することを続けたらどうなるのか。ますます無責任さが強まってそれが温存されてしまうのではないか、それが私の問題意識である。

誤解がないようにしたいのは、私も日本のポスト・モダンの受容とその精緻な応用は、多くの価値をもたらしたと思っている。

しかし2011年の原発事故後に起きたことは、私にとってはこのようなポスト・モダンの影響が強い現代日本の左派知識人の限界を示す出来事だった。

彼らは、「大きな物語」にコミットすることを警戒し、それを忌避する。そのような仕草は、日常的なミクロな体験を分析し記述するのには役に立つが、「原発」「国防」といった国全体や世界のあり方にかかわる「大きなこと」からは切り離された、タコ壺化した一部左派知識人とその取り巻きによる、やや自閉的なサークルを生み出すのみで、それを超えた影響を十分に発揮しないことに通じる。もちろん、そうなる。彼ら自身が、そういう大きな意味で社会に影響を与えることを望んでいないのだから。しかし、私たちの社会の指針を示してくれるような信頼できる「文系の偉い人」がいないのも、心細い話である。

私にとって悪い意味で衝撃的だったのが、自分たちの得意な領域については非常に巧緻性の高い分析や思考を巡らす左派知識人の多くが、社会の大きな問題にかかわると極端に粗雑な言動を示したことだ。原発事故に関していえば、単純に政府や東京電力の言動は悪で、それを批判すればよいといった安易な判断で十分と考えているように見えた。あるいは、そういう判断から撤退して、自分の領域内にのみ引きこもっているように見えたこともある。得意分野では華麗な分析を行う姿を知っていたし、それに憧れていたところもあったので、その落差を理解して受け止めることに時間がかかった。多分、そういった知識人たちは、普段考えたことがないことに急に発言しなければならなくなり、短絡的に身内のサークルで受けそうな発言をして引っ込みがつかなくなっている場合も、少なくないのだろうと予想する。

しかし、「政府は全部正しい」権威主義者と、「政府は全部間違っている」という雑な水準で判断している左派言論人は、精神的なレベルでは同水準にあるとしか思えない。役所>民間、年長者>年下、男>女といったタテ社会の論理の逆をいつも実践したからといって、タテ社会の論理への依存を克服したことにはならないだろう。

私の日々の仕事は医者である。その立場からは、一部の反原発の運動家たちの放射線被ばくの影響の過剰な喧伝、反ワクチン論者たちが跋扈する現代の混乱は、本当に嘆かわしい。「ポスト・モダン」的な論者たちには、それらの活動家たちに対する牽制を行わず、それを助長しているような悪影響を及ぼしていることへの反省を求めたい気持ちもある。

ここで、近代のオーソドックスな考え方である、「一貫して責任を持って判断する主体」という概念の重要性に立ち返る必要があると考える。そのような主体が真剣に物事に取り組む特に行うのが熟慮であり、そこで重んじられるのが中庸だ。

ポスト・モダン的な論者が「そんな主体とか自我とかいうものは、ペテンでまやかしで、本当にはない」と主張したとしても、それをまともに受け取る訳にはいかない。人間の経験や社会を成り立たせるためには、そういう次元の精神活動も必要なのだ。そもそも、近代社会を成り立たせる基本的人権、民主主義、資本主義などは、そういう「主体」「個人」を前提にできている制度なのである。

1967年に中根千枝が『タテ社会の人間関係』で行った分析の、現在にまで続く有効性を改めて感じている。注目したいのは、次のような指摘だ。

「とにかく、痛感することは、「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」

もちろん、日本以外の世界を見れば、民主主義や資本主義などが危機にあることは明らかだろう。そこで、ポスト・モダン的な思索が重要なのも理解できる。しかし日本はそれだけではやっていけないと思う。モダンの考え方で、日本の前近代的な部分を近代化させていくという課題にも、同時に立ち向かっていかねばならないのだ。

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