[24衆院選 現場から]保守分裂で「王国」揺らぐ、紀州戦争に「しこり残る」…和歌山2区

写真拡大

 小選挙区制が導入された1996年以降、自民党元幹事長の二階俊博(85)が連続当選を重ねてきた「二階王国」は、二階の引退に伴い、保守分裂の戦いに突入した。

 「離党して裸一貫となったが、即戦力で仕事できるのは私だけだ。もう一回、政治の中枢で頑張るチャンスをいただきたい」

 18日午前、和歌山県海南市で家庭用品の製造販売会社を訪れた前参院幹事長の世耕弘成(61)は、ロビーに集まった約30人の従業員を前にこう声を張り上げた。

 派閥の政治資金問題で離党勧告を受けて自民を離党し、衆院解散4日前の今月5日、衆院へのくら替え出馬を表明した。元首相・安倍晋三の形見として譲り受けた茶色の運動靴を履き、安倍の下で官房副長官や経済産業相を務めて自民政権の「中枢中の中枢で仕事してきた」とアピールする。

 これに対し、二階の三男、伸康(46)は、自身が正統な後継候補であることを強調する。

 「街角に目を向ければ、私と相手候補のポスターが同じ軒先に並べて貼られている。この景色を見る度に胸が痛む」

 公示日の15日、伸康は田辺市で行った出陣式で、世耕との分裂選挙になったことをわびた上で、「私は自民党の公認をいただいた身だ。政権とのパイプを守らせてください」と呼びかけた。600以上の企業・団体から推薦を受け、選挙事務所には総裁の石破茂や副総裁の菅義偉ら党執行部のため書きが所狭しと並ぶ。

 17日夜に伸康の応援に駆けつけた自民幹事長の森山裕(79)は、名指しこそしないものの、「自民が苦しい選挙をしている時に、政治家として配慮があっても良かった」「政治の道を踏み外してはいけない」などと世耕への批判を展開した。

 和歌山では、しばしば二階と世耕が主導権争いを繰り広げてきた。県議時代を含めて半世紀にわたって政治活動を続け、運輸族として知られた二階は、高速道路の整備や南紀白浜空港(白浜町)への国際チャーター便就航に尽力し、「圧倒的な実力者」(自民県議)として君臨してきた。

 一方、世耕はかねて首相を目指す意向を公言し、衆院にくら替えする機会を狙ってきた。二階が政治資金問題の責任を取って引退するタイミングは、絶好の機会となった。

 和歌山は衆院小選挙区の「10増10減」で選挙区が3から2に減り、2区は、二階の地盤だった旧3区に7市町が加わり、県内30市町村のうち27市町村からなる。参院議員として県内全域を選挙区とし、5回の当選を重ねた世耕にとって有利に働くとの見方もある。

 世耕陣営が神経をとがらすのは二階の影だ。二階は公示後、表立った動きは見せておらず、世襲や政治資金を巡る問題への批判をかわすためと見る向きもある。それでも二階の老練な政治手腕を知る世耕は「竹やりで戦車に向かうような選挙だ」と警戒する。

 世耕は圧倒的な票差をつけて勝利し、将来的な復党につなげたい考えだが、自民執行部の一人は「自民公認候補の対抗馬として立候補したのは、明確な反党行為だ。復党させるわけがない」と言い切る。地元の自民関係者は「世耕と二階の対決となった『紀州戦争』のしこりは、選挙後も残り続ける」と危惧する。

 野党は世耕、伸康の双方に矛先を向ける。立憲民主党の新古祐子(52)は「和歌山を変えなければ日本は変わらない」と政治資金や世襲の問題をやり玉に挙げ、共産党の楠本文郎(70)も「クリーンな政治」を訴えている。(敬称略)

(田ノ上達也、和歌山支局 竹内涼)