20世紀最高の天才学者は「ダメ人間」だった…愛車シトロエンで事故った「仰天エピソード」

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「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。

※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。

愛車が一瞬でグシャグシャに

20世紀半ば、構造主義を打ち出した学者として知られるレヴィ=ストロースは、戦間期に青年時代を過ごしました。第一次世界大戦後にはナチスとファシズムの台頭、カトリックの左派党派の分裂、ヨーロッパ諸国の共産主義の社会主義陣営からの分裂によって、ヨーロッパは混乱し錯綜しました。そんな中、創設されたばかりの社会主義学生全国連盟の事務局長に就任し、連盟の機関誌に寄稿して『社会主義学生』誌の編集に携わっています。青年期には、政治に熱中していたのです。

この頃、彼は戦争や植民地主義、資本主義、ブルジョワジーに堕落したヨーロッパを捨ててアラビアのアデンへ旅立った若者を描いた、ポール・ニザンの『アデン・アラビア』の書評を書いています。レヴィ=ストロースは「自然」に対する考察を欠いたニザンの態度に批判的だったのですが、ニザンの冒険精神は称賛しています。いとこの夫でもあったニザンのアラビア滞在経験は、レヴィ=ストロースの海外に出かけることへの願望を刺激したのでしょう。

この間、彼はパリ大学法学部に入学しソルボンヌで哲学を学びました。その後、アグレガシオン(中高等教育の教授資格試験)の研修ではモーリス・メルロ=ポンティとシモーヌ・ド・ボーヴォワールと一緒でした。この時代のフランス思想を代表する錚々たる面々です。

その後、レヴィ=ストロースは24歳で高校の哲学教師となります。ちょうどその頃、県議会議員選挙に立候補し、選挙活動のためにシトロエンの中古車を手に入れました。しかし、選挙運動初日に事故を起こして、なんと車を溝に落としてしまいます。結局、選挙運動は満足にできず、政治家を目指す気は萎えていきました。

アグレガシオンに合格していたので、彼には大学教員になる道が残されていました。ですが、大学という職場で働くことに不安を抱いていたようです。『悲しき熱帯』の中で、「自分の残りの人生のすべてが、同じ授業の繰り返しのうちに終わるかもしれない、ということを感じて慄然とした」と述べています。

そんな時に彼が手にした本が、アメリカの人類学者ロバート・ローウィーの『原始社会』でした。ローウィーはネイティブ・アメリカンの住む場所でフィールドワークを行い、その経験から、文化は完成された固定的なものではなくて、他の文化との相互作用や変化によって偶然つくられた産物であると論じたのです。

レヴィ=ストロースはローウィーの人類学に触れ、理論とフィールドワークが渾然一体となったその学問に圧倒されたようです。そして次第に人類学に惹かれていきました。

『悲しき熱帯」の誕生

そんなある時、レヴィ=ストロースは社会学者セレスタン・ブーグレからの電話を受けます。ブーグレは彼にブラジルのサンパウロ大学で社会学講座の教授を探していると持ちかけました。その話を聞いて、レヴィ=ストロースはすぐにブラジル行きを決めたのです。

1935年に船でブラジルに向かったレヴィ=ストロースはサンパウロ大学で講義を担当する傍ら、カイガングの人々を訪ねました。その年末からの冬休みにはブラジル内陸に数ヵ月にわたる調査旅行に出かけ、マト・グロッソ地方で、精緻な身体装飾を行うカデュヴェオやボロロの人たちと出合います。そして翌年の冬休みにはパリに戻って、調査旅行の展示会を開きました。

1938年にはサンパウロ大学を辞職し、クイアバからマデイラ川までの高地の西部を横切って、横断的な地図をつくる調査準備に取りかかっています。その調査は30頭の牛、それぞれにラバ1頭とライフル銃1丁を持たせた15人の牧童、収集品の運搬用のトラックから成る大規模なものでした。

自然の真っただ中に暮らす人間との出合いを含め、1930年代後半におけるブラジル滞在の経験を綴った著作が1955年刊行の『悲しき熱帯』でした。第二次世界大戦前に「未開」の地を訪ね歩いた人類学者が書き上げた旅行記は、帝国主義やマルクス主義、実存主義といった西洋の政治や思想が行き詰まりを見せつつあった第二次世界大戦後に、新しい時代の始まりを予感させるものであったのです。

さらに連載記事〈なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。

なぜ人類は「近親相姦」をかたく禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」