PPTのウクライナ人団員、イリーナさん(左)とパブロさん

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 ロシアによるウクライナ侵攻がはじまって、2年半以上が経過したが、事態はまったく収束の気配を見せていない。最近の「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、これまでにウクライナ軍は死者8万人・負傷者40万人、ロシア側は死者20万人近く・負傷者40万人前後に達したと報道している。

【写真】実は日本のプロのオーケストラにウクライナ人団員が二人いる!

 そんな中、10月23日(水)に、東京・初台の東京オペラシティ・コンサートホールで、「ウクライナ支援コンサート UKRAINIAN MUSIC FOR PEACE」と題されたコンサートが開催される。演奏は、パシフィックフィルハーモニア東京だ。

 この種のウクライナ支援の催しは、しばしば開催されているが、今回は、その“意義”が、かなりちがうようだ。以下、音楽ライターの富樫鉄火さんに解説してもらった。

PPTのウクライナ人団員、イリーナさん(左)とパブロさん

日本のオケにウクライナ人の奏者が

 日本におけるウクライナ支援のコンサートは、室内楽などの小規模なものまで含めると、かなりの数がこれまでに開催されてきた。クラシック・ファンには「またか」と感じている方もいるかもしれない。しかし、今回は、聴き逃がすには惜しい内容だ。

 指揮は、ウクライナの、チェルニーヒウ・フィルハーモニック管弦楽団常任指揮者の、高谷光信氏。高谷氏は、大阪音楽大学(トランペット専攻)を卒業後、ウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院の指揮科に学び、首席で卒業。同楽団に客演指揮者として招かれ、2012年から、日本人として初めて、常任指揮者に就任した。ちなみに、チェルニーヒウはウクライナ最北部に位置する古都で、多くの史跡がのこる、文化都市である。

 そんな、ウクライナで活躍している日本人アーティストが指揮するだけでも意外な企画だが、実は、演奏するパシフィックフィルハーモニア東京(以下「PPT」)には、ウクライナ人の団員が、2名いる。日本のプロ・オーケストラにウクライナの演奏家が在籍していること自体、音楽業界の外では、あまり知られていないのではないだろうか。多忙なスケジュールの合間に、2人に話を聞くことができた。

 まず、打楽器の、ビルコーヴァ・イリーナさん。昨年4月に正式入団した。

「生まれたのは、ゼレンスキー大統領の生地でもある、クルィヴィーイ・リーフです。子どものころから音楽が好きで、6歳からピアノをはじめました。打楽器は、12歳からです」

 ウクライナの学校には、日本のような部活動はなく、高校を卒業するまでは、音楽教室で打楽器を学んできたという。

「打楽器を選んだのは、特に理由があったわけではありませんが、とても魅力を感じました。高校卒業後は、ウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院に進み、大学と大学院で計6年間、学びました」

 そして、ウクライナ放送交響楽団に打楽器奏者として入団。民間経営ながら、株はすべて国が所有する、半官半民の楽団である。

「ウクライナは、とても音楽がさかんです。首都キーウにも、フィルハーモニーのほか、ジュニアやオペラハウスなども含めると5つほどのオーケストラがあり、そのほか地方都市ごとにもあります」

 実は、ウクライナは、“音楽の聖地”と呼んでもよいほど、多くの音楽家を生み出してる。作曲家では、《ピーターと狼》や、バレエ《ロミオとジュリエット》のプロコフィエフ。また、日本では吹奏楽コンクールで中高生に大人気の《青銅の騎士》のグリエール。さらにはあのチャイコフスキーも先祖はウクライナ人で、彼の交響曲第2番《小ロシア》は、全編にウクライナ民謡が引用されている。先祖といえば、《ウエストサイド・ストーリー》のバーンスタインも、ウクライナ系移民の二世だ。そのほか、ホロヴィッツ、ギレリス、リヒテルといった偉大なピアニストたちも、みんなウクライナ出身である。

 ただ、彼らの活躍した時期、ウクライナはソ連の構成国だったので、一様に「ソ連の音楽家」でくくられてきたのである。

囲碁で日本語をマスター

 そんな平和な地を戦火が襲ったのは、2022年2月24日だった。

「すぐにクルィヴィーイ・リーフの実家にもどりました。しかしすぐにロシア軍が迫ってきて、一部が町にも入り込んできた。危険を感じ、母や義妹らと、避難列車に乗り、リヴィウへたどりつきました」

 リヴィウはウクライナ西端の都市で、ポーランドに接している。ここは国際的な「リヴィウ・モーツァルト音楽祭」(侵攻後は中断) の開催地としても有名だ。実は、あの大作曲家、アマデウス・モーツァルトの息子で、音楽家となったフランツ・クサヴァー・モーツァルトが後年、この地に移住し(当時はポーランド領)、オーケストラを組織して、現在の音楽院や劇場の基礎をつくり、リヴィウを音楽の町に育てたのである。このことだけでも、いかに、ウクライナが、音楽を愛する地であるかが分かる。

 イリーナさんは、そのリヴィウを経由して、隣国ポーランドに逃れ、同年3月、日本に来た。しかし、どういった伝手で、日本まで……? そもそも、このインタビューは、通常の日本語でおこなわれた。イリーナさん、日本語の会話は、完璧! もしや、2年かそこらで、これほど話せるようになったのか……?

「実はわたしは、子どものころから囲碁が大好きで、18歳でアマ三段をとりました。ウクライナでは囲碁がさかんなのです。その囲碁クラブで、いまの日本人の主人と知り合いまして……」

 つまり、イリーナさん、すでにウクライナにいるころから、もう日本語は達者だったのだ。日本へも、すでに何回か来ていたという。

「しかし、日本には、音楽関係の知り合いはいません。そこで、どこかに打楽器の仕事はないかと、いろんな音楽大学やオーケストラにメールを送って、訊ねました。いまから考えると、荒っぽいやり方だったと思います(笑)。いくつかオーディションも受けました。しかし……、ウクライナだったら、せいぜい10人くらいしか応募者がいないのに、日本では、100人くらい来るんです。とても厳しい」

 そのうち、東京都交響楽団が、一度、エキストラで呼んでくれた。それを契機に、今度はPPTに招かれ、昨年4月、正式団員に採用された。

「日本での生活は、とても安定しているし、楽しいです。こんなに落ち着いて音楽ができることを、幸せに思っています。しかし、故郷クルィヴィーイ・リーフに残っている家族のことを思うと、そうとばかりもいっていられません。いまでも両親と祖父母が残っています。町には、その後、何回かミサイルが着弾して学校やアパートが破壊され、死者も出ています。もちろん家族とは、毎日連絡を取って、安否は確認しています。しかし“無事でいる”との返事は、要するに“生きている”ことを意味しているだけで、“十分食べている”“ゆっくり眠っている”という意味ではないのです」

ウクライナではジャズも人気

 さて、もう1人のウクライナ人団員は、トロンボーンのティティアイェフ・パブロさん。昨年10月に来日し、PPTには、この9月に入団したばかりだ。

「生まれはウクライナ北西部の町、ルーツィクです。父がジャズ・トロンボーン奏者だったこともあり、13歳のころから、父にトロンボーンを教わってきました。ウクライナでは、けっこうジャズも人気があるんですよ」

 パブロさんは、イリーナさんとはちがい、早くから国外で生きてきた、いわゆるコスモポリタンといえそうである。

「13歳でポーランドへ行き、15歳からはドイツで正式に音楽の勉強をはじめました。アメリカやヨーロッパ各地のコンテストで入賞し、昨年10月、佐渡裕さんが芸術監督をつとめる兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称「PAC」)に採用されました。そしてこの9月、PPTに移籍したばかりです」

 実は、パブロさんもドイツ時代に、現地で働く日本人女性と婚約し、その縁で日本に来ることができたのだという。イリーナさんのように戦火を逃れてきたわけではないが、もちろん、故郷のことは心配だという。

「日本で、みんなと一緒に音楽をできることは、とても楽しいです。いまのところ母国の家族は無事ですが、いつか、落ち着いてルーツィクに帰れればと思っています」

故郷のために……

 ところで、今度の「ウクライナ支援コンサート」で演奏される曲は、もちろん、大半がウクライナの曲だ。イリーナさんは、

「最初に演奏される、ルイセンコ作曲の、歌劇《タラス・ブリバ》は大好きです。ウクライナ人なら誰でも知っている曲で、わたしも何十回と演奏してきました。タンバリンを担当する予定です」

「タラス・ブリバ」(「ブーリバ」の表記もあり)とは、文豪ゴーゴリによる小説。日本では「隊長ブーリバ」の邦題のほうが有名かもしれない。ポーランド軍と戦うウクライナのコサック隊長ブーリバと、その2人の息子をめぐる戦争悲劇だ。東欧では有名な物語で、過去、ヨーロッパ各国で5回映画化されているほか、ヤナーチェクの狂詩曲や、グリエールのバレエ音楽も知られている。

 パブロさんは、「わたしもルイセンコは好きですが、スコーリクの《メロディ》も大好きです」という。

 おそらく今回の演奏曲目のなかで、もっとも有名な曲だろう。いや、曲名は知らなくとも、誰もがどこかで耳にしたことがある旋律のはずだ。

 これは、ソ連時代の2時間余のドラマ『高き峠』(英語題“High Pass”)の劇中音楽だ(しばしば「映画」と紹介されるが、「TVドラマ」である)。第2次世界大戦で離散した家族が、戦後のソ連新時代を生き抜く物語。作曲したミロスラフ・スコーリク(1938〜2020)は、ウクライナ人民芸術家・英雄の称号をもつ“偉人”でもある。

 この曲は、侵攻直後の2022年3月、ゼレンスキー大統領が、米議会でオンライン演説した際、現地の悲惨な状況を伝える映像のバックに流れ、全米の涙をさそった(作曲者スコーリクは2020年に逝去しているので、今回の母国の悲劇を知らずに逝ったわけだ)。

 こうしたウクライナの名曲群のほか、後半には、新しい時代への希望もこめて、ウクライナと同じスラヴ系、チェコのドヴォルザークによる交響曲第9番《新世界より》も演奏される。ほかに歌手として、やはりウクライナ現地で活躍する歌手、高谷公子さん(ソプラノ)、デニス・ビシュニャ氏(バス)も出演する。

 異国の地・日本で、故郷のためのコンサートに出演するイリーナさんの、いまの思いは、いかばかりだろうか。

「侵攻後、日本でも、チャイコフスキーなどロシアの音楽を拒否する傾向がありました。わたしは、そこまでむかしのロシア音楽を拒むつもりはありません。しかし先日、ロシアのバレエの来日公演があり、PPTが伴奏することになりました。その出演者のなかに、プーチン派のひとたちがいました。そういうひとたちは、応援したくないし、かかわりたくありません。そこで、その公演は、降板させていただきました」

 もちろん、今度のコンサートでは、堂々とステージに立つ。

「ぜひ、多くの方々に、ウクライナの美しい音楽を知っていただきたいです」

 当日は、支援金箱が設置され、集まった支援金は、日本ウクライナ音楽協会を経て、チェルニーヒウ・フィルハーモニック管弦楽団とウクライナ・ハルキウ音楽院に寄附されるという。

富樫鉄火(とがし・てっか)
昭和の香り漂う音楽ライター。吹奏楽、クラシックなどのほか、本、舞台、映画などエンタメ全般を執筆。東京佼成ウインドオーケストラ、シエナ・ウインド・オーケストラなどの解説も手がける。

デイリー新潮編集部