だが愛澤さんは入学し、この選択を「正解でした」と心底からの笑顔で語る。尊い出会いがあったからだ。

「高校で『ヘレン・ケラー』のお芝居をする機会があったんです。主役のヘレン・ケラーをやらないかと担任から打診されたときは、絶対に無理だと思いました。それまで精神状態が閉じこもりがちだったこともあって、人前に立つなんて恐れ多いと思ったんです。それに、私はセリフを暗記するのが苦手だったんです」

◆健常者に生まれ変わったら…と思っていたが

 だが最終的に愛澤さんは打診を引き受け、喝采を浴びた。その理由について「セリフが『ウォーター!』だけだったから(笑)」と茶目っ気たっぷりに話すが、もちろんそれだけではない。

「先生たちが私に向き合って『主役を任せたい』と思ってくれたなら、引き受けたいと思いました。学生時代を思い返しても、初めて周囲の人から褒めてもらえた体験かもしれません。そのとき、演劇の持つ力を知って、携わりたいなと思ったんです」

 とはいえ、すぐに女優の道へ進もうと決めたわけではない。当時は、こんなふうに考えていた。

「舞台やドラマを見るのは昔から好きでしたし、高校時代のお芝居での成功体験も自分のなかの宝物です。でもそれは養護学校の生徒として演じたから褒めてもらえたんだと思っていました。それこそ、『健常者に生まれ変わったら女優を目指したい』くらいに考えていて、今この身体でやれるとは思っていなかったんです」

 それでも女優として踏み出した背景には、自分の“今の姿”で伝えたいことがあるからだという。

「私は脳性麻痺という障害がありますが、世の中には病気以外にもつらいことがごまんとあります。人ぞれぞれ辛いことを抱えながら生きています。私がそうであったように、ときに人生の意味がわからなくなってしまう場面もあるでしょう。でも、必ず陽のあたる道に繋がっているんだと信じて、私も今日まで生きてきました。私の姿をみて、何かしら感じるところがあれば、心から嬉しく思います」

◆妊娠を報告された交際相手の反応は…

 愛澤さんと話していると、その前向きな思考に驚かされる。だが、ポジティブさを強みとする愛澤さんにさえ、今なおその辛さと向き合い続ける思い出がある。

「5年ほど前、交際していた男性との間に子どもを宿しました。このことは、妊娠できない身体であると言われ続けてきた私にとって、非常に嬉しい驚きでした」

 しかし喜びは長く続かなかった。

「交際相手に報告したその席で、彼はいきなり立ち上がり、走って逃げていってしまったんです。それ以来、音信不通です。交際期間中、私にはもったいないくらいの人だと思っていました。配慮が行き届いて、温厚な性格の男性でした。それだけに、彼が逃走したとき、あっけにとられてしまったんです。当時、松葉杖での移動だった私は、突然の彼の行動に動くことさえできませんでした」

◆妊娠からわずか14週間で悲劇が訪れる

 耳を疑う交際相手の行動も、「自分のなかで一人で生み育てる覚悟が決められたので、むしろ感謝している」のだと愛澤さんは言う。本当の悲劇は、そのすぐあとに起きた。

「急激な腹痛に襲われて受診したところ、『子宮内が血液で満たされている。子どもが流れてしまったかもしれない』と言われました。結局、膣内に留まってくれていて、亡くなった我が子とは対面することができました。彼がお腹のなかにいてくれたのは、わずか14週間でした。

 本当は、今車椅子を使っているのも、出産・子育てをするうえで車椅子の生活に慣れておこうと思って移行したんです」

 現在、“天使ママ”として、流産や死産の経験者が集まる交流会にも参加しているという愛澤さんは、我が子の死を通してみえてくる社会の有様についてこう話す。