ドッキリGP博物館の展示(フジテレビ提供)

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 バラエティ番組の一大コンテンツ「ドッキリ」。その歴史は、1969年に放送された日本テレビ『なんでもやりまショー』の1コーナー「どっきりカメラ」が元祖だと言われる。同コーナーが独立し、人気番組へと飛躍したことで他局も追随。「ドッキリ」はバラエティ番組に欠かせない企画となった。一方で、コンプライアンスが厳しい昨今、「ドッキリ」が曲がり角を迎えていることも事実だろう。「芸能人が本気で考えた!ドッキリGP」(フジテレビ系)で、企画・チーフプロデューサーを務める蜜谷浩弥氏に話をうかがった。【我妻弘崇/フリーライター】

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「子どもから大人まで楽しめるドッキリ番組を作りたかった」

「最高だぜフジテレビ」

ドッキリGP博物館の展示(フジテレビ提供)

 今年、1月2日に放送された「お笑いオムニバスGP 2024」で、ドッキリを仕掛けられたカンニング竹山が言い放った一言だ。引っかかった側ですら感嘆してしまうほどの“ドッキリ力”。フジテレビのドッキリへのこだわりと愛は、どうしてこれほどまでに強いのか――。

「元祖どっきりカメラ」から遅れること約6年、フジテレビで「スターどっきり(秘)報告」の放送が始まった。同番組の最大の特徴は、一般人を対象とするのではなく、タレントのみをターゲットとするドッキリに特化したことだ。

「『スターどっきり(秘)報告』以後、フジテレビには音楽番組を制作するスタッフの中に、「ドッキリ班」というドッキリを専門とするチームが存在していたほどです」

 そう語るのは、現在フジテレビで放送中の「芸能人が本気で考えた!ドッキリGP」(以後、ドッキリGP)で企画・チーフプロデューサーを務める蜜谷浩弥氏。

 当時、「スターどっきり(秘)報告」を手掛ける制作スタッフは、「夜のヒットスタジオ」を担当していた疋田拓プロデューサーを中心とした制作班だった。「テッテレー」というおなじみの効果音が誕生した背景には、音楽に強い制作陣がいたことと無縁ではない。音楽番組制作班とドッキリ班が同じ空間にいたこと。結果的にこの奇妙な関係が、その後もフジテレビにおいて、ドッキリが特別なものとして受け継がれていく素地となった。

「『ドッキリGP』を2016年に立ち上げたとき、僕自身はドッキリ班ではなく、お笑い班の人間でした。すでに、ドッキリ班が『ザ・ドキドキどっきり』という番組を定期的に制作していたので、新たに番組を作る必要はないのではないかといった話にもなりました。ですが、フジテレビにとってドッキリは大きな存在です。僕としても、子どもから大人まで楽しめるドッキリ番組を作ってみたかった」(蜜谷氏、以下同)

 ドッキリの歴史は50年以上にわたる。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(日本テレビ系)、「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)、「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系)、「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系)、「ロンドンハーツ」(テレビ朝日系)、「水曜日のダウンタウン」(TBSテレビ系)――。名ドッキリを生み出した番組は枚挙にいとまがなく、視聴者それぞれ、「お気に入りのドッキリ」は違うだろう。

とんねるず番組のディレクターがもたらした“発明”

「ドッキリはざっくりと2種類に分かれると思っているのですが、一つが精神的なドッキリ、もう一つが物理的なドッキリです。前者は、『ロンドンハーツ』や『水曜日のダウンタウン』などが当てはまります。『めちゃ×2イケてるッ!』のよゐこ・濱口さんへの大学受験のような長期間にわたるドッキリもそうですね。対して、後者が『とんねるずのみなさんのおかげでした』の全落・水落オープンや、僕たちが手掛ける『ドッキリGP』です」

 フジテレビは、他局と比べると今でも物理的なドッキリを仕掛ける印象があるが、「画的に子どもでも楽しんでもらいやすい」ことが理由の一つだといい、それを可能にしているのは、フジテレビが誇る裏方陣の存在が大きいと明かす。

「80年代、90年代を知っているスタッフ、特に美術さんの経験が今に受け継がれていることは、フジテレビの大きな財産だと思います。『とんねるずのみなさんのおかげでした』でセットを作っていた美術さんが、僕らの番組にもいるのですが、“塩梅”を分かっている。『みなさんのときはこうだった』など的確なアドバイスをしてくれるので、攻めたことができるんですね」

 また、担当する番組こそ違うが、現場で培った経験とスキルを共有できることも、フジテレビのドッキリイズムだと続ける。

「僕の同期の一人が、現在、『ドッキリGP』で総合演出を務める中川(将史)なのですが、彼はもともと『とんねるずのみなさんのおかげでした』のディレクターでした。『とんねるずのみなさんのおかげでした』のドッキリは、ネタばらしをして終わりではなく、落とし穴に落ちた後に、とんねるずさんと引っかかった演者の掛け合いが始まります」

 こうしたネタばらし後の掛け合いを、「ドッキリ史における発明」だと蜜谷氏は笑う。その理由を問うと、「ドッキリは、ものすごくコストパフォーマンスが悪いコンテンツです。僕らはガチのドッキリにこだわり続けているため、演者にバレないように仕掛けないといけない。あらゆる手練手管を施す必要があるんです」。

「ドッキリは、究極の大喜利」

 たとえば、タレントを呼び出すためには、ニセの企画書が必要になる。出演するメリットがあると感じさせなければいけないため、適当な企画書は作れない。さらにロケをするとなると、ニセ番組用の台本を作り、ロケ車やロケ弁の手配もしなければいけない。その場合、バラエティ班のカメラマンなどがいるとバレる可能性が高まるため、「普段、僕らとはお付き合いがないような情報番組系の技術班を仕込むこともある」という。あくまでこれらはすべてフリ。手間と時間をかけたバックヤードが、表に出ることはない。

「手間と時間をかけたとはいえ、そのドッキリに十分な撮れ高がある保証はありません。そのためドッキリ、特に物理的なドッキリはコストパフォーマンスが悪いわけですね。ですが、ネタばらし後に掛け合いを設けることで、もう一山を作ることができる。仮にドッキリがうまくハマらなかったとしても、その後の掛け合いで笑いが生まれるきっかけになる」

 ネタばらし後の掛け合いで、演者の出演機会、いわゆる「出代(でしろ)」を作り出すことが可能に。テッテレーから掛け合いへ。ドッキリ史における重要なメルクマールだろう。

「僕たちの番組でも、『本当にそれで大丈夫ですか?』ではないですが、中川がネタばらし後に掛け合いをします。とんねるずさんの番組に関わっていた中川だからこそ、こうした掛け合いが分かっている。僕は、ドッキリは究極の大喜利だと思っています。完全に引っかかっている状況にもかかわらずリアクションが求められる。その後も、何が起こるか分からない中でコメントをしなければいけない。瞬発力がないと成立しないんですね」

 そのため、中途半端なことはできるだけしないように努めているという。上から水を降り注ぐなら、キンキンの冷水にする。『なんでこんなに冷たいの!?』。瞬間的な一言が出やすいように、ドッキリならではの配慮があると話す。

「視聴者の読後感」まで考える番組作り

 だが、コンプライアンスが叫ばれる昨今、必ずしも作り手の思いが、視聴者に届くとは限らない。そもそもの話、今ほどコンプラインアスが厳しくなかった昭和の時代ですら、『スターどっきり(秘)報告』はPTAから低俗番組として糾弾されていた過去を持つ。ドッキリは、いつの時代もやり玉に挙げられやすいコンテンツでもあるのだ。

「とても難しい問題だと思っています。僕自身、BPO(放送倫理・番組向上機構)さんと何度もお話しさせていただいています。僕らとしては、タレントさんをいじめたいとは1ミリも思っていない。ですが、「タレントさんにひどいことをしてかわいそう」という意見が届くことも事実です」

 その齟齬をいかにして埋めていくのか? そう尋ねると、「今も試行錯誤の最中です」と前置きした上で、「視聴者の読後感を良くするような番組作りを心掛けることが大事ではないか」と言葉を続ける。

「先ほどの掛け合いもそうですが、引っかかった後にタレントさんが笑顔だったら印象は変わりますよね。『なんすかコレ!?』『ちょっと何やってんですか』『意味わかんないんすけど!』という部分以外も描かなければいけないと思っています。視聴者の皆さんに、ドッキリの前後の文脈まで届けないといけない」

 オープンキッチンを想像すると分かりやすいかもしれない。裏側で完結するのではなく、顧客がキッチンの内部を見渡せる。ドッキリとは言え、見ている人が安心感を抱けるような環境を作ること。ハラハラドキドキと安心感の両輪がなければ、ドッキリは時代遅れだと後ろ指をさされてしまう。

「作って仕掛ける側が意地悪な存在に見えて、仕掛けられた側の演者は愛されるような存在になる。それが僕たちの目指すところです」

 大勢の家族連れでにぎわう「お台場冒険王」。今年のメインキャラクターに就任したのは、「ドッキリGP」から生まれた名キャラクター、向井康二(Snow Man)演じる「マッサマン」だった。もしドッキリに否定的な声が主流なら、こうはなってはいないだろう。フジテレビのドッキリ愛は、現在進行形だ。

 時代とともにドッキリの在り方は変わってきた。一方で、ドッキリから新しいスターが生まれ続けることは変わらない。ドッキリの来し方行く末は、テレビの在り方そのものを示しているのかもしれない。

我妻 弘崇(あづま ひろたか)
フリーライター。1980年生まれ。日本大学文理学部国文学科在学中に、東京NSC5期生として芸人活動を開始。約2年間の芸人活動ののち大学を中退し、いくつかの編集プロダクションを経てフリーライターに。現在は、雑誌・WEB媒体等で幅広い執筆活動を展開。著書に『お金のミライは僕たちが決める』『週末バックパッカー ビジネス力を鍛える弾丸海外旅行のすすめ』(ともに星海社)など。

デイリー新潮編集部