和田アキ子

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 和田アキ子がパリ五輪金メダリストの北口榛花選手の映像に「トドみたい」とコメントした問題。ライターの冨士海ネコ氏が指摘する、フワちゃんとの“危うい共通点”とは。

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 74歳の和田アキ子さんが、金メダリストの北口榛花選手への“トド発言”を謝罪している様子は、ご意見番としての威光を失ってしまったようで、かわいそうに見えた。「かわいい」と思って動物に例えた、という釈明があったものの、選手へのリスペクトが足りなかったことはアッコさんも認めている。そう、「かわいそう」も「かわいい」も、一見優しそうな言葉に見えて、ちょっと下に見ている相手に向ける言葉だなとも思うのである。

和田アキ子

 舌禍事件という点ではフワちゃんの方が深刻だが、アッコさんとフワちゃんはよく似ている。それは、テレビに定期的に出ている人は、そうでない人より偉いという価値観があからさまなところである。

 Mr.シャチホコさんのモノマネが端的に表しているが、「キミ、何をされてる方なの?」というアッコさんの口癖は、単純に職業を聞いているわけではない。「テレビに出るだけの実績がある人なの?」という意味である。マスメディアで取り上げられるようになるには凄絶な苦労や努力が必要とされてきたという、アッコさんが生き抜いてきた時代を思えば、当然の質問なのかもしれない。アッコさん自身もテレビタレントピラミッドの頂点にいる存在だという自負があり、ご意見番としての堂々とした風格を見せなければという使命もある。ゆえに、値踏みするような物言いになるのだろう。

 テレビに出ている人が上。その中でもレギュラーを持っている人、冠番組を持っている人はもっと上。おそらくだが、アッコさんにしてみれば「テレビに定期的に出ている人」か「テレビに出ていない人」という大きな区分しかなく、その意味では北口選手もオリンピック選手であろうと「一般人」の範疇(はんちゅう)だったのではないか。つまり、自分よりヒエラルキーが下の人であり、軽くイジってもいい対象、と思っていても不思議ではない。フワちゃんも街中では声をかけられたくないと言っていることや、飛行機内でCAの指示を無視していたというエピソードからうかがえるのは、テレビ出演になんらメリットをもたらさない一般人への侮蔑の視線である。今になって各所から、「大御所にはあいさつするが人によって態度を変える」との批判も出ているが、アッコさん同様のテレビタレントピラミッドが根付いている人なのだろうと改めて思うばかりだ。

アッコさんの「乱暴芸」はツッコミがあってのもの 近年指摘されてきた感覚のズレと新たな口癖

 ご意見番という役割のタレントに求められるのは、普通の人なら口にしにくいような言葉をズバッと言い切ることである。むしろ、一般常識とはかけ離れた鈍感さや口の悪さがあればあるほど、熱狂をもって迎え入れられるといえるかもしれない。

 ただアッコさんはその加減を読み間違えた。その兆候は、すでに数年前からあったといえる。スカッとするという共感ではなく、時代錯誤のズレた意見としてボヤを起こすことが続いていたのだ。特に、今回のように「かわいい」の雑な使い方でたびたび問題になっている。

 動物つながりではWBCで活躍したヌートバー選手を「一歩間違えたらアレだけど」「あの歯がビーバーみたいでかわいくて」と表現し炎上。議会中にスマホゲームをしていて問題視された宮城県大河原町の町議にも「(小学生に指摘されたのが)かわいい」とコメントし、この時は放送中の謝罪に追い込まれた。アスリートであれ議員であれ、アッコさんにしてみれば「かわいい」か「かわいくないか」と点数を付ける対象としか見ていない。やはり「テレビタレント>それ以外の人」というニュアンスを感じたものである。

 そうした芸風によって視聴者からの反感を買わないよう、アッコさんもフワちゃん同様に「実は泣き虫」「実は繊細」という面を出すことを意識していた向きもある。酒癖の悪さや乱暴者ぶりを武勇伝のように語ることもあったものの、いわゆる「アッコファミリー」の面々が、「あれがアッコさんの愛情表現だから」とか「ゴリラみたい」と通訳やツッコミを入れることで、笑える空気になっていた。

 ただ近年の、いともたやすく炎上する風潮の中では、ファミリーたちも及び腰になっていたのではないか。アッコさんも、自ら「こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど」と予防線を張ってから発言するようになっていた。しかしその枕詞は、全く機能することがなかった。もっと言えば、無自覚に世間とズレている発言は、浮世離れしている大物芸能人の証しだと、どこかで思っているふしがあったのでは、と思うのである。

「悪気がない」発言がタレントとしてのスケールの大きさだと曲解されていた時代を経て……改めてあらわになった「実は普通」の素顔

「悪気がない」という鈍さや無神経さを、一般人とは違うスケールの大きさだと解釈する。それはギリギリ平成のテレビ界まではあった空気のような気がする。生放送やトーク番組で度肝を抜くような発言をする人気タレントを、普通の人の器に収まらない証しだと、ヨイショする共演者やMCは少なくなかった。

 アッコさんのズレたコメントが共演者に騒がれている時、安心しているような表情に見えたこともある。「アッコさん、さすがにヤバいですよ」というツッコミが、本来の意味での注意や警告に変わっていたことに気付かず、「浮世離れしている大物に向ける称賛」として受け取り続けていたのかもしれないな、と思うのだ。

 ドキュメンタリーを見て北口選手のファンになったと語っていたアッコさんだが、本当に応援しているアスリートを「トド」と例える人はそういないはず。トドでなくアザラシなら、パンダなら、という揚げ足取りのような声もあるが、そもそも何かに例える必要もなく、「見ていて笑顔になる、かわいい」で十分だったのではないだろうか。そこであえて「トド」と言ってしまうところに、「無自覚につい面白いことを言っちゃうわたし」という大物ならではの自意識の片鱗というか、ズレたサービス精神を感じる。

 毒舌が持ち味の有吉弘行さんが「トド発言」に「ダメなんだよ、ああいうこと言っちゃ」とコメントしていたが、あれはメダリストに対する敬意がないということだけでなく、今の時代にどういう反応になるかを分かっていない、危機意識がアップデートできていないという意味の方が大きいだろう。

 普通の人と思われたくなくて、普通の人が言わないようなことをあえて口にする。狙ってではなく、無邪気な様子で、「悪気がないので」という免罪符を手に。個性的だと言われたい人にありがちな、とてもよくある承認欲求の満たし方であり、とても普通の人の思考である。わたしのようなテレビにも出ない一般人に、「かわいそう」なんて言われるなんてアッコさんにとっては屈辱に違いない。アッコさん、笑って許して、とでも言うべきだろうか。なんにせよ、仲間のタレントたちが「実はね」と言わずとも、アッコさんってとても普通の人だったんだな、ということが世間にもよく分かった夏だったのではないか、と思うのである。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部