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 NHK大河ドラマ「光る君へ」第31回は「月の下で」。紫式部(吉高由里子)が『源氏物語』(以下、同書と略記することあり)をいよいよ書き始めました。『源氏物語』というと、その作者は紫式部というのが当然のようになっていますが、同書には実は謎が様々あるのです。まず、同書は式部が全て書いたものなのかという問題があります。

【写真】紫式部(まひろ)を熱演している吉高由里子

 『源氏物語』は式部が書いたものが今に残っている訳ではありません。写本が残っているだけです。しかもその写本は中世以降のもの。よって式部が執筆した原文というものは不明なのです。式部の父で越前守を務めた藤原為時が同書を粗方書き、娘の式部が細かい部分を書いたとの説もあります(源氏物語の注釈書『花鳥余情』)。

 また南北朝時代に成立した『源氏物語』の注釈書『河海抄』には、藤原行成が「清書」した式部作『源氏物語』に「法性寺入道関白」(藤原道長)が「自らも制作に参加した」との「奥書」を加えたとの話が載っているのです。このように『源氏物語』は式部が全部書いたのかについては、往古より様々な見解があるのですが、そうした見解の根底には、式部という1人の女性だけで、あれ程の大作が書けるはずがないという女性蔑視があるとの意見もあります。

 その問題はここでは措(お)くとしても、同書の作者についても以上見てきたような謎があるのです。ちなみに「光る君へ」の時代考証を務めている倉本一宏(国際日本文化研究センター教授)は「『源氏物語』全編を紫式部が執筆したという前提で、特定の読者を意識しないでは、あれほどの長編を書きはじめるのは難しいように思われてならない」(同氏『紫式部と藤原道長』講談社、2023年)と述べています。

 作者の件のみならず、式部がいつから同書を書き始めたのか、いつから『源氏物語』と呼ばれるようになったのかについても未解明。同書にまつわる謎は多いのです。

(歴史学者・濱田 浩一郎)