7月29日、パリ南アリーナ。取材エリアに出てきた張本智和は、落ち着き払っていた。2日前、金メダルが期待された混合ダブルスで「まさか」の初戦敗退を喫していただけに、シングルスにどう挑むか、が注目されていた。

 シングルス1回戦の結果は、4−0とストレート勝ちだった。世界ランキング9位の張本は、同79位のマルティン・アレグロ(ベルギー)を撃破。順当に2回戦へ進んだ。

「(ミックス敗退から)切り替えようと、まったく思っていなかったですね。今でも悔しいので」

 張本は独自の勝負観で言う。

「ふだんのワールドツアーですら切り替えられないのに、オリンピックのミックス(混合)で負けて、切り替えられるわけがない。たとえ切り替わっても、試合中に思い出すかもしれないし、自分の弱さを、不甲斐なかった、と受け入れて。悔しさとプレッシャー、50対50で臨みました。そういうのも含めて人間ですし、負けたことも自分の経験で忘れることはできない。受け入れてやるだけかなと」

 個性的な戦いの作法だろう。「心を整える」極意こそ、彼が日本の男子卓球界トップに立つ理由なのかもしれない。


混合ダブルスで敗れたものの、シングルス、団体と戦いが続く張本智和 photo by JMPA

 スコアだけを見れば、危なげない初戦突破だった。しかし、張本はあけすけに"胸がざわついた瞬間"があったことを明かしている。

「今日はいろんな意味で、やりづらかったです。また負けちゃったら、もう団体しかない、というプレッシャーも正直あったので。(第1ゲーム)出だしの2球でリードされた時、"混合みたいに(点差を)離されちゃうんじゃないか"って不安でした。でも、何を考えても次のボールは来ますし、時間は進みますし、待ってくれないので。次のボールに集中するしかない。その結果、すぐに立て直せて勝てたので、流れに身を任せている感じですね」

 負けた分も頑張る、などと安易に言わないところが、アスリートとして際立っている。

「混合で負けましたが、だから"シングルスを2倍、3倍頑張ろう"とは思っていないです。それでは空回りするだけなので。大会に来る前から(力の配分を)混合30%、シングルス30%、団体30%で挑もうと思って来て、それは変わりません。ミックス(混合)で5しか出せなくても、そこの30は1回、終わり。シングルスの30をしっかりやりきる。そのうえで調子が上がれば、残り10%を出せるかもって。無理にカバーしようとは思っていないです」

【何十年も忘れられない悔しさ】

 その言葉は、実にロジカル(論理的)だ。もっとも、そう語るのは、淡白な性格だからではない。それだけ巨大な感情が動いてしまうのだ。

「こうやって喋りながらでも、ダブルスの結果は悔しいです」

 張本は、心情を隠さずに言う。

「"今日はミックスの準決勝、メダル決定戦だったな"と思いながらプレーしていましたから。しばらく、何十年も忘れられない悔しさだと思います。東京五輪のシングルスの悔しさ(日程変更などのトラブルもあり、ベスト16敗退)も今でも忘れていないですし。1日、2日で忘れられるわけがない(苦笑)。ルームメイトの戸上(隼輔)、篠塚(大登)に、負けた愚痴を聞いてもらい、あっちは聞いていないと思いますけど(笑)、"うんうん"と頷いてもらえて。吐き出すことに意味はないけど、気持ちは楽になりますね。負けた事実を受け入れて、シングルスに負けたら団体があるし、団体に負けたら、次のオリンピック。ずっと卓球は続くので」

 ひとつの悟りである。

 常に勝利をデザインしながらも、一瞬、一瞬を楽しめている。たとえばこの日の第4ゲームの際、フランス人選手のプレーに会場が大歓声に包まれた時だった。

「董(崎岷コーチ)さんにも『うるさい』ってぼやきました(笑)。(調子を崩して)最悪、あのゲームを取られても、まくられる状況ではないなって。これも含めてオリンピックだな、って思いました。ふだんではありえない歓声で、勝ったからよかったですけど、負けたら地獄でした(苦笑)。この歓声をできるだけ楽しめるように、プレーしたいです」

 2回戦で対戦するイランのノシャド・アラミヤンは、アレグロに続く左利きだ。バックハンドが主戦で、独特のリズムを持つ。これが3度目の対戦で、過去2回は張本が勝利している。

「前回のアジア競技大会ではギリギリで勝って、今年のザグレブの大会でもデュースから逆転しました。特殊な戦い方だけに、はまってしまうと、中国に勝つ時もある。ただ、自分のプレーができれば優勢だと思っています。勝てる、とは言わないですが、過去2回勝っているので、プレーを見返してよかった点、悪かった点を分析し、改善しながら......。結局、その繰り返しだと思います」

 その鍛錬こそ、彼の人生そのものなのだろう。

「混合は、あの日の相手がよすぎただけで、"自分のプレーは悪くなかった"と分析しています。だからこそ、疑心暗鬼にならず、"自分は強いんだ"という思いで今日もプレーできました。スコアが2−0になった時から、相手の動きもよく見えて、プレッシャーも少しずつ減り、打てるコースに散らして。"1回の負けでこの3年間は崩れない"という気持ちで......」

 張本だけの戦いのロジックで、卓球人生を突き進む。7月31日に行なわれるシングルス2回戦もそのプロセスのひとつだ。