堀江翔太インタビュー後編

日本代表としてラグビーワールドカップ(W杯)に4度出場した希代のフッカー、埼玉ワイルドナイツの堀江翔太(38歳)。今季限りで、惜しまれながらもブーツを脱いだ。そんな堀江さんに15年のプロラグビー生活を振り返ってもらいつつ、引退を決めた理由、そして今後の日本代表に期待することを聞いた。

前編>>堀江翔太「キャプテンシー全然ないんです(苦笑)」

中編>>堀江翔太、歴代指揮官との関係性を明かす


堀江翔太のW杯初キャップとなった2011年大会フランス戦 photo by Saito Kenji

――あらためて、今季で引退を決めた経緯を教えてください。

 引退を決めたのは今から2年くらい前でした。2023年W杯の結果がよかろうが、悪かろうが、W杯が終わったあと、そのシーズンで引退しようと決めました。ラグビー選手として最後までやり切りたい、そして(4度目の)W杯を目指すことをモチベーションにやっていましたね。妻にも伝えたら、家にいない状況が多かったので「ゆっくりできるよね」と賛成してくれましたね。

――代表、クラブで800試合以上に出場した堀江さん。引退してしまう寂しさは?

 今のところはないです! みなさんが思っている以上に、試合は白黒つくし、ひとつのミスで負けにつながるプレッシャーと常に隣り合わせです。それはめちゃくちゃきついですし嫌だけど、勝った時の達成感はすごい。ラグビーから離れて、この達成感を味わえなくなったら寂しいと思うかもしれません。

――リーグワンのプレーオフ決勝後、「本当に悔いがないラグビー人生でした。生まれ変わってもラグビーをやりません(笑)」という言葉も印象的でした。

 いや、ホンマにラグビーはもうやり尽くしましたね! いろんな人のサポートによって活かされていた部分も大きいですけど、悔いはないです。もし次の人生があるなら、バスケットボールじゃないですかね! 中学校の時、(ラグビーをしながらも)めちゃくちゃバスケにはまっていたので!
 
――以前から「40歳までやりたい」と話していましたし、今季のプレーを見ていると、まだまだできそうですが、どこかで現役復帰ということは?

 僕の性格上、絶対ないです! 40歳までやりたいと思っていましたが、自分でトレーニングをしてきて、スポーツ選手や一般の方に身体の使い方でパフォーマンスが違ってくるので、それを自分発信で広めたいという気持ちが強くなって、そういう(引退する)気持ちになりました。僕は常に、明日引退しろと言われても後悔しないように、練習、試合もやってきたし、引退は遅かれ早かれくるので、悲観してネガティブになるより、次の道に移行することのほうがワクワクするし、楽しみなことが多いですね!

――引退後は、トレーニングを指導するS&C(ストレングス&コンディション)コーチになるそうですね。

 8年前、首の手術をしたあと、トレーナーの佐藤義人さんと出会って、トレーニングを続けてきました。佐藤さんの運営する「SATO.SPORTS」には、ラグビーだけでなく、サッカーや女子バレー、スノーボードなどいろんなスポーツの選手が来ています。初めの方は僕も必死でしたが、4年くらい経つと余裕が出てきて、いろいろとトレーニングについて言えるようになった。正しい身体の使い方をすればケガなくパフォーマンスが上がるという佐藤さんの考えを、もっといろんなスポーツに広めていきたいと思うようになりました。僕はラグビーを頑張り過ぎたのはあるかもしれないですが、ラグビーの佐藤さんじゃなくて、スポーツの佐藤さん、という思いがあります。もちろんラグビーにも関わるけど、バスケやサッカーもやっていたので関わってみたいし、アメフトなどにはラグビーのコンタクトの活きる部分を伝えることができますし、トレーニングに関しては違うスポーツの選手にも教えることができると思っています。
 
――これからはいろんな場所、スポーツの現場を巡回していく感じですか?

 群馬に住みながら依頼があれば行く感じで、佐藤さんと一緒にトレーナーを育てる「STA(SATO TRAINERS ACADEMY)」という事業も始めています。そこにも顔を出しながら、佐藤さんと一緒にいろいろ回れたらいいな、と思っています。

――今後、歳を取ったら独立する可能性も?

 そうなる可能性もありますね。でも佐藤さんがなかなか見られない選手を僕が見るみたいな感じが一番いいと思いますし、いろんなスポーツの原石、ユース世代を指導できればいいかな。運もありましたが、僕が(ケガをしてから)8年間でこれだけ動ける体になれるのであれば、12歳から8年間やれば、20歳にはケガが少ない状態でいいプレーヤーになれると思う。小中学校やユース年代にも広がれば、日本のスポーツ界のレベルがグッと上がり、オリンピックに出られるようなトップアスリートが増える。そこに僕の根本、芯があります。10年後、服や古着も好きなのでアパレルショップをやっているかもしれませんが(笑)。

――そういう意味では首や足のケガをしたことも......。

 今は左手の握力は40くらいありますが、首を痛めたときは9しかなくなって爪も切れなくなったので、結果オーライですね!

――いずれにせよ、「勇気なくして栄光なし」という座右の銘を貫いたラグビー人生でしたね。

 高校3年の時、仲のいい女の子の座右の銘がそれで、「めっちゃ、いいやん!」と思って、僕も使わせてもらってきました。それをプレーで体現することができたかな。プロ選手は周りの評価だと僕は思っています。何を残せたのかは、周りの人が思ってくれたこと、言ってくれたことだと思います。きれい事で何かを残そうと思ってやってきたわけではなかったので。

――若い選手や、日本代表の若い選手に伝えたいことがあれば。

 年寄りくさくなりますが、1日、1日を大切にしてほしい。あのときこうしておけばああしておけばよかったとか思わないように、毎日、ベストな練習をする、納得する練習をすることがうまくなる近道だと思う。リーグワンのレベルはもちろん上がっていますけど、(自分のように)いろんなラグビーに触れてほしい。もっともっとレベルが上がるように、個人が海外に挑戦してほしいなという思いもあります。日本代表選手たちには、常に桜のジャージーの誇りを持って戦ってほしいし、心技体、メンタル、技術も体力も常にトップでいられるような選手になってほしいですね!

――長年応援してくれたファンに向けてメッセージをお願いします!

 この15年間ずっと応援し続けてくれて、本当に幸せな時間でした。僕がいなくなってもラグビーを応援してほしいし、僕も何かしら活動するので応援してほしいですね! ラグビーもいちスポーツなので、何も気にせず楽しんで見てほしいと思う。節度を持ちつつ、好きなように声を出して、お酒を飲みながら試合を観て盛り上がるのもひとつの楽しみだし、シンプルに楽しんでほしい。そういう人がドンドン増えれば、もっともっとラグビーを見たい人が増えると思っています。 僕もたぶん、いちラグビーファンとして同じ立ち位置になると思うので、一緒にラグビーを楽しんでほしいですね。

――引退したら髪とヒゲはどうする?

 髪はこれで食べていけそうなので、そのままにします(笑)。(切ってしまって)誰?みたいな感じよりいいかな。ヒゲは(切るか)マジで悩んでいます! (口ひげの)カイゼルはとりあえずやっていこうかなと思っています!

―― 堀江さんにとって、ラグビーはどんな存在だった?

 マジでほんま趣味で、一番好きなスポーツで、プレーするのは非常に楽しいスポーツやった。僕にとっては趣味で楽しみながらお金がもらえる天職でしたね。

■Profile
堀江翔太(ほりえしょうた)
1986年1月21日生まれ、大阪府吹田市出身。帝京大学ラグビー部では4年時に主将を務め、2008年卒業後、三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック ワイルドナイツ)に所属し、翌年には日本代表で初キャップを飾ると、トップリーグでもベスト15に選出されるなど活躍。2011年ラグビーワールドカップから2015年大会、2019年大会と3大会連続で日本代表に選出される一方、2013年にはスーパーラグビーのレベルズに入団するなど、海外でも活躍の場を広げた。2022年にはパナソニック ワイルドナイツがジャパンラグビーリーグワンの初代王者となり、MVP、ベスト15、そして選手が選ぶプレーヤー・オブ・ザ・シーズンを受賞した。2024年6月22日の試合をもって現役を引退した。