引退したラグビー日本代表・堀江翔太、歴代指揮官との関係性を明かす「最初はやり方があまり好きじゃなかった」HCとは
江翔太インタビュー中編
日本代表としてラグビーワールドカップ(W杯)に4度出場した希代のフッカー、埼玉ワイルドナイツの堀江翔太(38歳)。今季限りで、惜しまれながらもブーツを脱いだ。そんな堀江さんに15年のプロラグビー生活を振り返ってもらいつつ、印象に残った試合、そして指揮官について聞いた。
リーグワンプレーオフ決勝を戦う堀江翔太 photo by Saito Kenji
――約30年にわたるラグビー生活で、一番印象に残った試合は?
試合では2015年W杯で勝った南アフリカ代表戦、みんながインパクトあるところですよね。時系列で言ったら2010年のプレーオフ決勝では東芝に負けているし、2011年W杯はあまりよくなかった。その後、(NZの)オタゴやレベルズに行って試合に出られなかったのも思い出ですし、2016年のプレーオフの決勝で東芝がキック外して優勝した。すべてをかけて臨んだ2019年W杯のアイルランド代表戦、引退すると決めていたので昨年のW杯のアルゼンチン代表戦も印象に残っています。均等に覚えていますね。
――特に、この試合がターニングポイントになったという試合はない?
特別ないですね。それは現状、今がいいからで、過去に引っ張られてない。自分の中ではそれがいいことだと思っています。だから昔から過去に引っ張られたくなくて、勝ったときのジャージーなどは全部、あげたりしていました。
――2012年、日本人FWとして最初のスーパーラグビー選手になりましたが、レベルズ(オーストラリア)時代も苦労していましたね......。
そうですね......。なかなか、試合に出られなかった。僕はレベルズの後、すぐにワイルドナイツでキャプテンになったんですが、結果、レベルズ時代のことをよくノートに書いていて、その経験が自分の中で活きて、チームを作るのにどうしたらいいか役立ちましたね。もう、そのノートなくなっちゃいましたけど(笑)。
――現役時代、一番辛かった瞬間は?
サンウルブズの最初のシーズンは辛かったですね......。スクラムを組んでいても相手をどう崩してとか、そういう感じにならなかった。何も考えずに1番と3番に手を添えて、頭を突っ込んでいるという状況だったのが2016年でしたね。移動も大変だったし、若い選手も多かったのでギャップもなんとなくあった。相談する選手もいなかった。
――そういう意味では、2016年3月、秩父宮ラグビー場でのハグアレス戦での初勝利は嬉しかった?
ハル(立川理道)が最後にトライを決めた試合ですね。脳震盪になって記者会見に出てないので、そんな思い出はないんですけど、やっと勝てて嬉しかった。でも、その後、サンウルブズの勝率も少しずつ上がっていって、世界に触れるという意味ではいろいろ成長した部分もたくさんありましたね!
――サンウルブズの経験が2019年W杯ベスト8につながったことは明白でしたね。
そう思いますね! サンウルブズみたいなのを、もう一回やってほしいなと思いますけど、お金的に難しいのかな......。でも、いろんな選手がスーパーラグビーを経験できたという意味で、当時は最悪でしたが、僕もやっぱりサンウルブズを選んでよかった。僕の場合、カンタベリーアカデミーもそうですが、サンウルブズも経験する中で、一回、落ち込んでもどっかで跳ね上がるというのを待ちながら、やり続けなあかんというのは、僕の人生において恥じることではないと思っています。
――一番、印象に残っている指導者は?
まず、ワイルドナイツなら(監督の)ロビー(・ディーンズ)さんやブラウニー(トニー・ブラウン)だし、日本代表だと難しいな......。JK(ジョン・カーワン)、 エディー(・ジョーンズ)さん。ジェイミー(・ジョセフ)と思い出がいっぱいで、誰かひとりという感じじゃない。エディーさんには、今思えば(10年前は)一目置かれていたなという感じがします。当時は、チームを締めるために、怒られ役の選手を何人か置いて、その選手を怒ってというエディーさんのやり方が最初はあんまり好きじゃなかった。勝つためのことやったから、しゃーないとは思っていましたが......。でも僕に対しては怒らず、自由にやらせてくれたので、僕の性格をよくわかっているなと。僕にいろいろ言ったら、余計に調子に乗ったり、逆に考えてうまくプレーできなかったりしたかもしれない。今、(ワイルドナイツ所属の日本代表ベン・)ガンターに聞くと、エディーさん、すごくコミュニケーションを取ってくれて、いいヘッドコーチと聞いて「やっぱり、変わったんやな......」と思います。まだまだ時間があるので、今後どうなっていくかわからないですけど(笑)。
――結果的に、歴代の日本代表の指揮官に重用されていましたね。
そうなんですね。でも、ジェイミーには初め全然、気に入られてなかった(苦笑)。ちょっと喧嘩して、2017年6月のアイルランド代表と2試合したのですが、1戦目は先発でしたが、2試合目は控えで庭井(祐輔/横浜イーグルス)が先発でした。過去にジェイミーがハイランダーズでヘッドコーチをやっている時、ベテラン選手がいっぱいいるときにベテランに潰されているので、僕のことを警戒していたのかも。その年の秋、「もう十分、試合に出たし、日本代表にはもう行きたくない」と思った。でも代理人から「引退した後、嫌な人と仕事をして得することも絶対あるし、学ぶ機会と思って絶対に代表に行った方がいい」と言われて、渋々、遠征に行きましたね。
――そこからちょっとずつ信頼を回復したわけですね。
そこからはもう、なんとかプレーで頑張りました! だからホンマに不思議なもので、2019年W杯もそうだったし、2015年W杯前もエディーさんと選手の仲が荒れていた時期もあったけど、大会前、最後に選手さえひとつの方向に全員が向いていれば、結果はついてくると感じています。そこは日本代表の強みなのかなと思います。
―― 今から2023年W杯を振り返ると?
最後はいいチームになったと思いますが、あえて言うなら2015年、2019年W杯で結果を出しすぎちゃって、相手も危機感持って試合をするし、しっかり分析してきた。対戦相手のメンバーを見ても隙を作らなくなったし、やっと日本のラグビーが認められたかな。でも(予選プール2戦目の)イングランド代表戦は、あのヘディング(のトライアシスト)がなかったら絶対、流れがこっちに来る時間があった。あの(PRジョー・マーラーの)ヘディングで流れを全部、持っていかれましたね。
――W杯に4回出場した堀江さんが、日本ラグビー、日本代表に残せたものは?
2011年大会は若すぎて、日本代表へのプライド、どれだけ日本を背負って戦うかがわかっていなかったですが2015年、2019年、2023年とその思いがどんどん強くなっていった。日本代表は特別なチームでW杯の大切さは、ずっと言葉に出していましたし、身をもって行動に移していたと思います。それはワイルドナイツでも日本代表でも変わらない。僕は行動で示して、それをどう受け取るかは後輩の選手次第だと思います。僕は後輩の口を開けて無理やり餌を押し込むように、バンバンしゃべって、リーダーシップを取って、というようなことはしなかった。みんなでラグビーするんだぞ!ということを見せたかった。ラグビーは(グラウンドに)15人もいるので、みんなでやらんと絶対に無理。行動とコミュニケーションを取りながらやるという部分は、ワイルドナイツでも日本代表でもやっていたことです。
――堀江さんはよく「セイムページ(同じ画)」という言葉を常に発していました。
そうですね。日本代表はコンバインドチームなので、常にセイムページを持たないといけない。同じチューリップを描くにしても、色が違うだけで全然違ってくる。そこはしゃべらんとわからない。実際にやろうとすると難しい。プレー中に、コミュニケーションを癖づけて、習慣化する練習ができれば、どのチームも絶対に強くなると思います。
後編>>堀江翔太が現役引退を決めた理由
■Profile
堀江翔太(ほりえしょうた)
1986年1月21日生まれ、大阪府吹田市出身。帝京大学ラグビー部では4年時に主将を務め、2008年卒業後、三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック ワイルドナイツ)に所属し、翌年には日本代表で初キャップを飾ると、トップリーグでもベスト15に選出されるなど活躍。2011年ラグビーワールドカップから2015年大会、2019年大会と3大会連続で日本代表に選出される一方、2013年にはスーパーラグビーのレベルズに入団するなど、海外でも活躍の場を広げた。2022年にはパナソニック ワイルドナイツがジャパンラグビーリーグワンの初代王者となり、MVP、ベスト15、そして選手が選ぶプレーヤー・オブ・ザ・シーズンを受賞した。2024年6月22日の試合をもって現役を引退した。