現在、新宿2丁目でBARを経営する愛奏さん

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 セクシー女優として活躍していた薫桜子を覚えているだろうか。2004年に人気絶頂の中で惜しまれつつも引退。その後は愛奏(あいかなで)に改名し、Vシネマや成人映画などに出演していた。2008年、第20回(2007年度)ピンク大賞にて女優賞を受賞。
 彼女は今、どうしているのか? 新宿2丁目の奥深くに、その姿があった。

◆「正直、生きるためでした」

 現在は俳優業だけでなく、新宿2丁目で「Shrimp Bar Ebidon」を経営しながら焼売(シュウマイ)の移動販売もしている。そんな彼女の半生から聞いてみた。

 2002年にデビューしたが、そもそもセクシー女優になったきっかけについては「正直、生きるためでした」と笑う。

「本当にお金目的といったら夢がないけど、稼ぎたくて始めたんです。他に理由はないかな」

 当時はファストフード店でアルバイトしながら写真コンテストなどのモデルをしていたという。

「被写体はやったことがあったし、映画オタクでたくさんの演技を見ていたからセクシー女優になることにも抵抗はありませんでした」

 ちょうど業界的に転換期を迎えていたが、「撮影はショー感覚だった」と愛さんは振り返る。

「最近の話を聞くと、ビックリしますね。撮影の内容がハードなうえに、ギャラも格段に安い。いい時期にセクシー女優をやっていたと改めて思います」

◆引退作に500万円のギャラ提示も「断っちゃいました」

 愛さんは2年ほど活動して引退。じつは、さまざまなメーカーから引退作のオファーがきたそうだが、首を縦にふらなかった。

「500万円というギャラの提示もありましたが、断っちゃいました。あの頃の私は、人生なめてるっていうか。いま思えば、引退作を撮っておけば……。だって、500万円を稼ぐって並大抵のことじゃない。もっと引退時期やギャラについて駆け引きすれば良かったのかも(笑)」

 では、なぜ人気絶頂の時期に引退を選択したのだろうか?

「アダルト系の仕事だけを追うのがつまらなくなってしまったんですよ。まわりの女優さんを見ても、続ければ続けるほど、仕事の内容的にも精神的にもキツくなっているのは明らかだった。それで、私は“求められているうちに辞める”と決めていたんです」

◆新宿2丁目で店を始めることに…

 その後はVシネマや成人映画に出演するように。だが「最初は驚きの連続だった」と苦笑する。

「まず、ギャラが10分の1ぐらいなんですよね。売れないミュージシャンがライブをすると逆にお金がなくなっていくっていうけど、本当にそんな感じでした。

 でも私は、現役時代にホストとかブランド物にも興味がなく、派手にお金を使っていなかったので、生活は大丈夫でした。そういう自分の性格と貯金のおかげで、今まで続けられたと思いますね」

 俳優として活動しながら、自身の店「Shrimp Bar Ebidon」は12周年を迎える。

「店を始めたのは本当に成り行きといいますか。俳優仲間たちのお疲れ様会があって、そこで行ったスナックで週1回とか2回ぐらい働くようになりまして。飲み屋での接客がけっこう自分に合っていたみたいで、『店をやって欲しい』って、けっこう言われたんですね。ただ、自分でやるなんてピンとこないし、大変そうだなって。断ってばかりいたときに、知り合いの映画関係者がゴールデン街で働いていたのを見て、“あ、こんな感じならできるかな?”と思ったんですよね」

◆新宿2丁目の店が12周年「続けているというか、辞めていないだけ」

 そして縁あって現在の店をオープンするに至ったというが、12周年を迎えるまで続けるなんて並大抵のことではない。その理由を聞くと、予想外の答えが返ってきた。