合法的に"人をカモるビジネス"横行するカラクリ
「自分は大丈夫」とほぼすべての人が思い込んでいる(写真:Graphs/PIXTA)
ニュース沙汰になるような重大な詐欺師でなくても、この社会には善良な人たちの心の動きを利用して、「ズル賢く立ち回りたい人」がごまんと存在する。
「見えないゴリラ実験」(2004年イグ・ノーベル心理学賞受賞)で一躍有名になった心理学者、ダニエル・シモンズとクリストファー・チャブリスの2人は、明らかに犯罪とはいえなくても、現代の企業の多くは「欺瞞的な手法」を標準的なビジネスとして採用しており、もはや合法と非合法の境界があいまいになっているという。望むと望まざるとにかかわらず、自分を守るために「ズルい人の手口」と「認知のしくみ」を学んでおかないと、生きにくい世界だということだ。
シモンズとチャブリスの最新刊『全員“カモ”』の冒頭で解説を寄せた作家の橘玲氏が、自身の経験をまじえながら、「フェイクが横行する時代」を生き抜くシンプルな対策を提示する。
自分は絶対だまされないと思っているなら、かなり危険
ワイドショーでたまたま見かけた特殊詐欺のニュースに「なんでこんな手口に引っかかるのか」と嗤(わら)い、自分は絶対だまされないと思っているのなら、あなたはかなり危険な立場にいる。なぜなら、誰もがいつかどこかでだまされることになるし、自信があるひとほどヒドいことになるからだ。
『全員“カモ”』の著者である心理学者のダニエル・シモンズとクリストファー・チャブリスは、「見えないゴリラ実験」(2004年イグ・ノーベル心理学賞受賞)で、「全員“カモ”」になる理由を示した。
この実験についてはすでに知っているひとも多いだろうからネタバレすると、白のシャツと黒のシャツの6人の男女が、それぞれのチームに分かれてバスケットボールをパスする動画を見せられ、白いシャツのチームが何回パスしたかを数えるよう指示される(2個のボールが行きかうのでかなりの集中力がいる)。
するとこのとき、画面の右から着ぐるみのゴリラがゆっくりと登場し、中央で胸を叩いたあと、画面左へと歩き去っていく。その間、9秒間も画面にゴリラがいたにもかかわらず、多くの被験者はそれに気づかない(少なくとも半数はゴリラが見えなかった)。
ユーチューブで“Selective Attention Test” と検索すると動画が見つかるので、知り合いに試してもらうといい。見事に引っかかって、ちょっとした自慢ができるだろう。
この現象は「非注意性盲目(Inattentional Blindness)」と呼ばれている。脳にとって注意はきわめて希少な資源なので、あること(パスの本数を数える)に注意を集中させると、それ以外のことが目に入らなくなってしまい、文字どおり「盲目(ブラインドネス)」になってしまうのだ。
自分すら信じられなくなる
脳が簡単にだまされることは、さまざまな実験で確認されている。男性の被験者に、2人の女性の写真のどちらが魅力的かを答えさせたあとで、手品のトリックで選ばなかったほうの写真を見せ、「あなたはいまこのひとを魅力的だと答えましたが、その理由を教えてください」と聞くと、大半がすり替えに気づかず、なぜその女性に惹かれたのかを滔々と説明する。
この実験は、主観がかなりあいまいで、好き嫌いはちょっとしたことで変わることと、脳は一貫性にこだわるので、「このひとを魅力的だと答えた」と言われると、その「事実」に合わせた説明を巧妙に(そして無意識のうちに)でっちあげることを示している。
こうした脳の脆弱性(非合理性)は、心理学者としてはじめてノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが行動経済学を創始して以来、近年の心理学・行動経済学研究では一大ブームになっている。その結果、(『全員“カモ”』でもきびしく批判されているように)データを偽った再現性のない研究が氾濫し、大きな問題になっている。
今後迫りくる、「AIにカモられる社会」?
だがこれは逆にいうと、「脳はどのようにだまされるか」があらかた研究しつくされてしまったということでもある。残り少ない果実に研究者が殺到した結果、データ偽造に手を染める者が現れたのだ。
「脳の癖」が科学的に研究されると、その知見をビジネスに活かそうと思う者が出てくるのは避けられない。これは、特殊詐欺やマルチ商法などの違法行為だけのことをいっているわけではない。
より大きな問題は、いまや大企業が、法律の範囲内で消費者の脳の脆弱性を利用していることだ。それも一部の「不道徳」な企業の話ではなく、大手ブランドからグーグル(アルファベット)、アマゾン、フェイスブック(メタ)などのプラットフォーマーにいたるまで、消費者を“カモる”ビジネスをしていないところはほとんどない。
より不穏なのは、この傾向が今後ますます強まるのが確実なことだ。人間以上の知能を持つようになるらしいAI(人工知能)に、収益を最大化するビジネスモデルを構築するように指示すれば、合法的かつ効率的に消費者の脳をハックする手法が提案されるのは間違いない。そのときもっとも大きな被害に遭うのは、認知的な脆弱性を抱えるひとたちだろう。
心理マーケティングで私がとくに感心したのは、ハワイの外資系ホテルで体験したタイムシェア方式のリゾート・コンドミニアムの営業だ(タイムシェアというのは、別荘を買うほどの余裕がないひとのために、1週間の利用権をバラ売りするものだ)。
知は力なり
説明係は、ハワイに魅了され3年ほど前に脱サラして家族で移住したという、とても感じのいい日本人男性だった。彼はいろんな苦労話も交えて、ハワイでの生活をざっくばらんに話してくれた。
最初はゆったりとしたロビーでコーヒーを飲みながら、余暇の過ごし方についての簡単なアンケートに答える。リゾートに来たのだから、ほとんどのひとは「いつかはハワイに住んでみたい」とか、「世界中を旅行したい」とか、そんな夢を語るだろう。
次いで豪華なホテル専用車で、超高級コンドミニアムに案内される。ベッドルームが3つもあり、ラナイ(テラス)からは海が見渡せ、ゴルフコースまで併設されている。そのあとで、5万ドル(740万円)くらいの、ちょっとがんばれば手が届きそうな物件を紹介され、タイムシェアを活用して余暇を楽しんでいるひとたちの例を次々と教えてくれた。
さらにその場で、人気の物件は残りわずかで、期間限定の割引や、滞在中に契約書にサインすればホテルから特別なギフトがあることが明かされる。そして最後に、説明会に参加した謝礼として、300ドル(4万4000円)のホテルクーポンをもらった。
ロバート・チャルディーニは心理マーケティングの古典である『影響力の武器』(誠信書房)で、好意、権威、社会的証明、一貫性、希少性、返報性の威力を解き明かしたが、さすがアメリカの会社だけあって、それらを徹底的に活用したシステマティックな営業だった。なかでもいちばん効果的なのは、説明係の日本人が、心理テクニックによって顧客を誘導しているとまったく自覚していないことだ。彼は善意のひとで、心の底からその商品が素晴らしいと信じており、ただ会社のマニュアルに沿って忠実にしゃべっているだけなのだ。
私はけっきょく、300ドルのクーポンだけもらって彼の申し出を丁重に断った。それで豪華なディナーを楽しむことができたのは、“元ネタ”を知っていたからだ(ちょっと計算すればわかるが、タイムシェアのリゾートはものすごく割高な買い物で、経済的な合理性はない)。
どんな巧妙な手品も、最初に種明かしされればだまされることはない。
本書のいちばんの価値は、同じような場面で、「なるほど、ここではこういう心理テクニックを使っているのか」と気づけることだ。「知は力なり」で、これだけでじゅうぶん購入代金の元は取れるだろう。
小さな損失を受け入れる
企業が心理マーケティングに習熟するにつれて、わたしたちは「いつどのようにだまされるかわからない」という疑心暗鬼に陥ってしまった。著者たちは、「現代の企業は、欺瞞的な手法を標準的な業務手順として採用している。もはやビジネスの世界では、合法と非合法の境界線があいまいになっている」と述べている。
だが、つねに他人を疑っているようだとせっかくの機会を失ってしまうかもしれないし、それ以前に幸福な人生を送るのが難しくなるだろう。この難問に対して著者たちは、「社会でのやり取りのほとんどは、誠実な人との間で行われる」し、「不正行為をされたとしても、その影響は小さいことが多い」という。
このアドバイスを私なりに解釈すると、だまされるのは「脳の仕様」なのだから、完璧を求めて大きなコストをかける(すべてを疑う)のはムダで、小さな損失を受け入れたほうが(どうせ避けようがないのだから)人生の幸福度は高くなるということだろう。デパートやオンラインショップのセールでいらないものを買ってしまったとしても、人生にさしたる影響はない。
だが場合によっては、真剣に考えなくてはならないこともある。それは、大きな出費をともなう取引を行うときだ。詐欺的な商法によって数百万円、あるいは数千万円を失ってしまうと、取り返しのつかないことになる。
これについての私の対策はシンプルで、「大きな買い物はしない」になる。本書には有益なアドバイスがたくさんあるが、これは書いていないのでつけ加えておきたい。
(橘 玲 : 作家)