ゆたぼん/青年革命家

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「ここ! 見てください、この海の近くの公園で学校の友達とサッカーしたんです」
 そう言って、小さな歯を見せあどけなく笑う男の子──。’18年に『不登校は不幸じゃない』と題した動画を配信、「少年革命家」を名乗るようになったYouTuberゆたぼんである。「学校に行って病むくらいなら、不登校でいい」。一貫してそう主張し続けてきた彼が、昨年9月から中学校に通い始めた。父親との確執も噂されているが、今はどんな生活を送っているのか? 本人を直撃した。

◆人生は勉強や!元少年革命家の現在地

──今日は一日中撮影に応じてくださりありがとうございます。

ゆたぼん:いえ、僕も知っている場所をいろいろ案内できてよかったです! 撮影した海は、放課後によく行きます。ボクシングのトレーニングで、砂浜をダッシュしたり筋トレしたり。

──青春真っただ中ですね。今日も待ち合わせ場所に一人制服で現れてびっくりしました。

ゆたぼん:まあ、今は普通に中学校に行っているんで(笑)。もともと小学校に行くのをやめたのは、親が許してくれたのが大きい。発端は小学3年生の時、クラスのみんなが先生の言いなりになっていることに疑問を感じ始めて、それで僕は先生が出した宿題をボイコットした。そしたら、放課後に居残りさせられて……。学校も先生も信用できなくなりました。親に正直な気持ちを話したら「学校は行きたい時に行っていいよ」って言われて。あの時は嬉しかったなぁ。不登校になって翌年の’18年には、家族会議で「どうせなら好きな場所で暮らそう」と決めて、沖縄に移住しました。

──YouTubeで発信しようと思ったきっかけは?

ゆたぼん:実は「少年革命家ゆたぼん」として活動する前から動画は配信していたんです。小学2年生のころはお笑い芸人になるのが夢だったので、親に話したらYouTubeの存在を教えてくれ、細々活動するようになりました。もともとネットで意見を発信することには慣れていて、ゆたぼんはその延長でもあります。

◆小学5年生でアンチとバトル

──「不登校でもいい」という発信は賛否両論ありましたね。

ゆたぼん:でも、世の中には学校が嫌すぎて自殺してしまう子どももいる。だから僕は「学校に殺されるくらいなら行かなくていい」とずっと伝え続けてきました。’19年には、琉球新報に僕の主張が取り上げられましたが、それがネットで大炎上。アンチも増え、600人だったチャンネル登録者数が一気に1万人になって、本当に人生が変わった瞬間でしたね。

──炎上した時は大変ではなかったですか。当時はまだ小学5年生です。

ゆたぼん:いや、怖い。半端なく怖かったです……。こんな大人もいるんやと知って、唖然としました。でも、「学校に行っても、ネットで暴言吐くような大人になったら意味ないやん」って、次第に気にしなくなりました(笑)。太陽という輝きを前に、影ができるのは当たり前。僕が輝いているから、アンチという影ができてしまったんですね。それに、この炎上がなければ僕という存在、“ゆたぼん”は生まれていなかった。だから、きっとこれで良かったんです。

◆父親は「一度くらい学校に行くのもいいんじゃないか?」

──それが昨年9月から学校に通い始めたのには、理由があるんですか?

ゆたぼん:中学1年生の時から一回も学校に行かないうちに3年生になってしまいまして、卒業を目前にして、まぁ一度くらいは登校してもいいかなって気持ちになったんです。

──ネットではお父上が、ゆたぼんさんの登校を阻止していたとも囁かれていますが……。

ゆたぼん:いえ、逆に親父は「一度くらい学校に行くのもいいんじゃないか?」と漏らしたこともあるくらいで。動画でコラボした人からも何度か似たような助言をされていました。そのたびに「登校したいと思える時がきたら」と伝えていました。それで、実際に行ってみたら、すごく楽しかった!